今日はパパの誕生日、プレゼントは元気な家族。

第34日目 2015年5月5日

平均気温18.5℃ 最高気温25.3℃ 最低気温14.4℃ 平均湿度55% 最大瞬間風速9.4m/s 降水量0mm 日照時間11.1時間
気象庁電子閲覧室より引用


今日は、パパの誕生日なんです。中学生になってしまったボクたち、
中山道に続き、東海道に付き合ってくれたママ、そんな家族と一日中
一緒に歩いて旅ができることが、還暦を過ぎたパパにとって最高の
プレゼントなんです
さぁ良い天気になった伊勢街道へ出発です。


今日の出発場所は、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅の西、踏切の前神戸八丁目交差点だよ。
ここから神戸宿の中へと入ってゆくんだ。神戸はここでは
かんべと読むんだよ。
中山道にはごうどと読む神戸があったね。神戸は織田信長の三男信孝が、神戸家の
養子になってお城を築いた城下町で、伊勢街道の宿場町でもあったんだ。
出発したら、正面の小さな
大橋を渡ります。すぐ街道はY字路になるから、旅館
あぶいを左に進んでね。その角にあるのは神戸道路元標で、ここは札の辻
呼ばれていたんだ。ということは
高札場跡だよ。
9時34分


栄橋西を過ぎると左に神戸別院があり、そこは明治天皇神戸行在所だよ。
道なりにS字を描いて進むと、
魚次商店に突き当たるので、左折しましょう。
9時41分


地子町公園南で、大きな道路を横断すると、左側に大きな常夜燈があるよ。
この隣にあるのが、不思議な建物なんだ。一応カラーコーンで入れなくなって
いるんだけど、工事を行っている様子は無く、外に突き出た大きな階段が
一般の住宅やアパートとも違う感じなんだ。パパは
津波用のシェルター
なんじゃないって言ったけど、ここから海までは3.8kmもあるんだ。
でもこの辺の海抜は8m位だから、津波が届くのかもしれないね。
9時49分


矢橋一丁目交差点で、新旧の伊勢街道が交差します。新伊勢街道を見ると
奥に
鈴鹿市役所が見えたよ。昨日もこの辺で高くてとても目立つこの建物を
目指して歩いたけど、今日はドンドン離れて小さくなってゆくよ。まもなく、県道
553に突き当たるからそれを横断して左へ進み
伊勢鉄道の高架をくぐりましょう。
9時55分


伊勢鉄道をくぐったら、右斜めに入る小径が伊勢街道だよ。
県道や伊勢鉄道が無ければ、県道を渡る前の伊勢街道から
真っ直ぐなんだけど、県道のおかげで分かりにくくなりました。
9時55分


静かな古い町並みの中を660m進むと、用水路を渡ります。この辺りの家には
5月5日だというのに
注連縄が飾ってあるよ

ボクたち街では、お正月が終わる松の内が過ぎると注連縄は外すけど、
伊勢では一年中注連縄を飾る風習があるんだよ。その注連縄には
3タイプあって、ここにある「笑門」の他、「蘇民将来子孫家門」と「千客萬来」
があるんだ。この笑門が一番見かけるタイプで、「笑う門には福来る」だよ。
次に最近人気なのが「蘇民将来子孫家門」で、昔々、須佐之男命がこの地を
旅し、泊まるところが見つからず困ったんだ。この地には将来という兄弟がいて
まずお金持ちの弟に頼んだら断られてしまい、続いて貧乏な兄蘇民に頼んだら
泊めてくれたんだよ。これに喜んで須佐之男命はお礼に、茅の輪をプレゼント
して、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に
付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残して去ったんだ。それから
蘇民将来の家は、どんなに疫病が流行っても免れ栄えたんだ。
この話にちなんで、このタイプの注連縄が人気なんだよ。また、千客萬来は
商売をしている家が飾るものなんだ。家々がどんな注連縄つけているか
伊勢神宮まで調べながら進むと面白そうだね。

なるほど、それで注連縄を飾っているんだ。面白いから数えてみる。
10時08分

 
用水路から200mで国道23号に突き当たるよ。ここは横断歩道ではなく
地下トンネルを使って渡ります。渡るとまっすぐ進む道はなく、右へ進む
田んぼの中の小径が伊勢街道だよ。
10時13分

 
 
ここが田んぼの中の伊勢街道だよ。ちょうど田植えが終わって、
おたまじゃくしがいないか、つい探してしまう癖は中学になっても
変わりません。後ろの建物は国道沿いにあるカンセイという会社。
10時15分


国道から240m、集落に入る手前に
天白神社がありました。
ここで今日最初の休憩を取ります。小さな神社で社は無く
石の御神体があるのみ、ボクたちはその御神体の基礎石に
座らせていただき休みました。神様ごめんなさい。
10時16分~30分

 
413m進むと、正信寺というお寺に突き当たり、その角に右さんぐう道という
石の道標がありました。道標に従ってここで直角に右へ曲がります。
そのすぐ先で、街道は直角に左へとカーブします。
10時34分

 
350m進むと、国道に出る直前に左さんぐう道という道標が出てきたよ。
国道に出ないで、ここでは直角に左折してください。
10時39分


230m進むと、さんぐう道の道標は無いけど、左に彌都加伎神社のある交差点
に来るから、ここを右へ曲がってください。写真右の矢印の方向だよ。
10時42分

 
途中枡形を通過して、しばらく行くと東玉垣交差点(写真左)だよ。
ここは直進して、少し行くと左に
岸岡団地児童公園があるから
トイレ(写真右)に行きたい人は立ち寄るとすっきりします。
10時55分


公園の隣は、喫茶店紙芝居、お腹が空いたボクたちは、ここでしっかり
休憩して、マスターのおばちゃんにサンドイッチを作っていただきました。
凄くボリュームがあって、満腹になったよ。パパとママはアイスコーヒー
だけだったのにお菓子が付いてきて、さすが名古屋圏と喜んでます。
11時00分~50分


喫茶店を出ると、フジクラ鈴鹿工場のグリーンベルトが430m続きます。
元々、神田淡路町に工場を作って出発した電線の会社で、沼津工場・佐倉
工場に継いで、ここ鈴鹿にCVケーブルの工場を1970年に作ったんだって。
CVケーブルって何?ってパパに聞いたら。パパは電気の設計でよく使った
電力を供給するケーブなんだって、こんな静かで綺麗な工場で、そんなもの
作っているなんて、信じられない感じだよ。
11時51分


工場の敷地が終わると、道は緩やかな下り坂になって、正面に
海が見えて来たよ。ここから海まで1km、早く行きた~い。
その手前に右にあったのが、
老農水原政次翁彰功碑だよ。
何のことだか分からないから、読んでみてね。

 
 6.老農水原政次彰功碑
  MONUMENT COMMEMORATING FARMER MASAJI MIZUHARA
 
  この碑は、農学博士・横井時敬の筆により翁の農事功績をたたえ大正13年
 (1924)に建てられた。水原翁は、弘化4年(1847)4月現在の市内木田町に
 生れ、青年時代農業をなし、上京して農学社に学び、32才から30余年三重
 県農事試験場や県農会に勤め農事に関する知識の普及や農事改良につくし
 県下初の農事試験場長であった。また、退職後64才のとき現在の東旭が丘
 地域の地に水原新田を開拓して学理と経験を生かし、近郷や県下の農業者に
 新しい米作技法など啓発指導した。
  晩年に失明したが「昼間だに、くらきましひも嬉しきは、物にまよはぬ心なり
 けり」と農事にかけた心意気を歌っている。


12時04分


更に下って行くと線路に突き当たるから、線路に沿って右へ進んでね。
小さな踏切があるから渡って。ここは
近鉄名古屋線の踏切だよ。
渡ったら、止まれの標識の角を
右折して下さい。右の角が富士屋タバコ店
なら正解です。真っ直ぐ行っちゃだめだよ。
12時09分

 

写真左はその先の枡形だよ。ここは道なりにクランクして進むと江島本町交差点、
ここも直進すると、左に
江島陣屋跡(写真右)があります。この軽トラックの家が
陣屋跡だよ。この辺は江戸の初めまでは天領だったけど、その後紀州藩旗本の
領地になって享保年間、小笠原肥前守が陣屋を建てたんだ。この陣屋の代官は
本居宣長門下の国学者村田橋彦なんだ。明治天皇も伊勢の帰りここで休憩したよ。
12時20分

 

ゴールデンウィークでお休みが多い飲食店だけど、今日もラッキー
この
麺処めんくいくんが開店していますた。通りの少ない伊勢街道に面して
いるので、空いていると思って入ったらビックリ、満員で待たされました。
12時21分


ボクたちはお腹が空いていたので、ろくにメニューを見ず、大好きな
ざる蕎麦を注文しました。お蕎麦もとっても美味しかったのですが、
このお店の名物は、手打ち麺に牛スジ入りのこくのあるだし汁を使った
カレーうどんだったんです。後でメニューを良く見て気がついたんだ。
今度来たら絶対カレーうどん食べてやる。満員の原因は、街道の裏に
大きな道路があって、そこに大きな駐車場を完備したお店で、地元で
人気のあるお店だったんだ。お店を出て気がついたんだけど、この場所は
日本橋からボクたちが歩いてきて、ちょうど
400km地点なんだ。
凄いでしょ、ボクたち自分の足だけで400kmも歩いて来たんだよ。
12時56分


腹ごなしに、めんくいくんの角を入って海に向かいました。
今回の街道歩きで、ここが
一番海に近い場所で175m行くと
伊勢湾が広がっています。
12時59分

 
 
見て御覧、防波堤を越えると、見渡す限りの海、伊勢湾が広がるよ。
ボクたちは、ず~と向こうまで海かと思ったら、太平洋は右の方の
ほんの少しだけで、写真じゃ分からないけど、よく見るとみんな対岸が
見えるんだ。パパの左後ろが、中部国際空港セントレアだよ。真後ろが
渥美半島の先端伊良湖岬、その左が知多半島だよ。

 

 
 
佐武は、ママが注意しているのに無視して、波消しブロックの上へ。
滑って転んだら面白いことになるのに、すばしっこい佐武は転びません。


ボクたちは、ママと貝殻探しをしましたが、パパは一人でお昼ね。
あまり早く着きすぎると、帰りの東名高速の大渋滞に巻き込まれると
いうので、パパは夕方の到着を考えてここで時間稼ぎなんだって。
結局、この浜で1時間も休みました。
14時08分


すっかり休んで出発です。ちょっと進むと、
鈴鹿白子本町郵便局のところで
街道は
枡形になるから、右に曲がってすぐ左へ曲がります。そこには
高札場跡があります。ここは白子代官所が掲示した高札場なんだ。
14時12分


枡形を過ぎてすぐ左の白子東町公園内には、
旧河芸郡役所跡があったよ。
この公園に明治26年から大正12年まで役所があったんだ。その後、
裁判所になったけど、昭和28年に火事で燃えちゃったので公園になったんだよ。
少し進んで、橋を渡るとまた
枡形だよ。また右折してすぐ左折だよ。
14時13分


久留真神社の前を通るよ。でもここの鳥居、縦横比が少し変じゃない。
幅に対して高さが足りないような気がしました。
14時20分


三度目の枡形は、唯信寺に突き当たるところだよ。ここでお墓の方へ行かないで
お寺の門前を通って、写真右の門で左折します。
14時21分


その枡形の角には、伊勢参宮街道の道標がありました。
この付近は、曲がり角が多く、旅人が道に迷うことから
近所の和田さんが建てたんだ。しかし何度も倒れちゃったので
建て直しを続け、今の道標は昭和30年代の道標なんだ。
ちょっと新しいね。と言ってもパパより若いんだね。
14時22分


次に出てきたのは、同心屋敷跡。ここには道の両側に5軒づつの屋敷が
あったんだよ。同心は江戸時代のお巡りさんで、奉行→与力→同心→目明し
という序列で悪い人を捕まえていたんだ。必殺シリーズの中村主水が
同心だったね。与力は大坂町奉行の大塩平八郎がいるよ。目明しは岡っ引き
とも呼ばれ、ボクたちに関係が深いよ。まず銭形平次でしょう。そして
佐武と市捕物控の佐武。なんだボクたち二人は目明しじゃん。
そんな話をしながら歩いてたら、白い綺麗な猫が不思議そうな顔をして
聞いていました。真っ直ぐ進むと小さな橋を渡ります。ここを左に行くと
鼓ヶ浦海水浴場だよ。さっきの浜は、何の施設も無いから海水浴場じゃないね。
14時31分

 
 
ここは、子安観音寺の入口の辻だよ。そのまま真っ直ぐ進むのが正規の
伊勢街道だけど昔の人々もこの辻を曲がって観音様にお参りして伊勢を目指したんだ。
ボクたちも迷路のようなこの参道へ入って、昔の気分を味わいます。
14時33分

 

地図で紹介するよ。右上から下へ向かって進んできて、
青い道をそのまま堀切川へ向かうのが本当の伊勢街道だよ。
子安観音寺へ御参りする旅人は、ゴルフ場の前で右折して
西方寺で芭蕉句碑を見て、観音寺で不断桜見て、道標に
導かれながら元の伊勢街道へ戻るんだ。さあ入ります。

 
入ってすぐ右手は昭和湯という銭湯だよ。でも建物も傷んでいて
暖簾も出ていないので、廃業しちゃったのかなぁ。続いて隣が
西方寺、ここには芭蕉の句碑があると聞いてきたけど、見つかりません。
14時34分

 
 
ここが突き当たりにある子安観音寺だよ。聖武天皇の天平勝宝年間(749~756)
創建の古いお寺で、前の海(鼓ヶ浦)に鼓の音がしたので、おかしいなと漁師が
網を入れたところ、鼓に載った観音様が上がってきたんだって。それを聞いた
天皇が伽藍を建立させ勅願寺になったんだ。ここにお参りすると妊婦は
安産だという霊験があるので
子安観音寺なんだよ。
14時38分


山門の両側には立派な仁王像がありました。三重県の指定文化財です。

 
 
 
本堂の前には銅燈籠があるよ。この燈籠は立派で、東大寺や日光街道野木の
法音寺の燈籠に似ているね。これも三重県指定文化財です

 
本堂右には三重塔、左には不断桜があるよ。この桜は国指定の天然記念物です。

 
 天然記念物 不断桜
         大正十二年三月七日 国指定
          
白子山 子安観音寺

 この桜は、里桜の一種で四季を通じて葉が絶えず、開花期も
 春秋冬に及ぶのが特長です。
 永禄十年、連歌師 紹巴が、東国に下ったときの紀行富士見
 道記に「白子山観音寺に不断桜とて名木あり」と記され、、また
 観世流の貞享三年版にある「不断桜」もこの桜をうたったも
 ので古来より全国に有名です。
 また当山の縁起によれば、天平宝字年中雷火のため焼失した
 伽藍跡に芽生えた桜と伝えられ本尊白衣観世音の霊験によっ
 て咲くとして尊ばれています。
 なお不断桜の虫喰葉の巧妙な自然の紋様に着目して伊勢型紙
 が創られたという由来があります。
                    鈴鹿市教育委員会
                    鈴鹿市観光協会


14時43分

 
 
次は、山門を出て右の小径へと入って行きましょう。
途中S字のような曲がり角を通って行きますが、これが
本当に伊勢街道かと思うくらい狭い道です。
14時45分

 
 
突き当たると、との左角に右さんぐう道の道標①があるよ。向こうから来た人には
左くわんおん道って彫ってあります。くわんおんは観音のこと?
14時45分

 
 
65m行くと写真右の辻、ここにも左いせみちと掘られた道標②があるから
それに従って左折します。本当に狭い民家の間の道、こんなところ
昔の人は本当に歩いたのかなぁ。その先のカーブの頂点には、伊勢型紙
工房、中七勇匠庵があったよ。
伊勢型紙は着物の生地に模様を染色する
ための型紙で、国の重要無形文化財に指定されているよ。また人間国宝も
6人いたんだって。一番盛んだったのは関東大震災の頃で、小学校の
先生が月給50円の時代に300円稼いでいたそうです。今だったら
月給300万円というところかな、ボクも職人になろうかな。
14時46分


堀切川排水機場の前で本当の伊勢街道と合流するよ。
伊勢から歩く人は少ないと思うけど、ここが子安観音寺の入口です。
14時50分

 
 
 
真っ直ぐ行くと堀切川を渡る蓬莱橋だけど、その手前にある道標
右いせみちに従って橋を渡らず、ここで右折します。ここには
鼓ヶ浦の石碑もあるから間違えないでね。
14時51分

 
左に堀切川を見ながら上流に向かって進むよ。右手には
鼓ヶ浦保育園があって、中の遊具が楽しいそうなので写真撮りました。
でもママは、保育園の入口を見てビックリ、門が無くてすぐボクたちの
歩いているこの道です。ということはその先には堀切川があり、右手には
電車の踏み切りもあるんだよ。ここの保育園の園児は良い子で
門が無くても外へは出てゆかないんだね。ボクたちの行ってた
保育園では考えられないことだよ。門があっても脱走者はいたね。
14時53分

 
 
近鉄名古屋線は踏切で渡ります。ここまで来るうちも特急や急行など
色々な電車が通ってゆきました。ちょうど踏切に着いたら、松阪行きの
電車が通過していったよ。その先は国道23号線で、ここも
地下トンネル
向こう側に渡ります。トンネルを出たら、すぐ国道に上がって橋に向かいます。
14時55分

 
 
国道23号線の堀切橋を渡ります。上流に見える水門のところから
左に入るのが伊勢街道だから、橋を渡ったら右に曲がって土手の上の
道を進みましょう。狭いのに結構車が通るので気をつけて歩いてね。
14時59分

 

ここが水門のところ、道なりに進めは旧伊勢街道に入ります。すぐに大きな
道路が出てきます。最近の地図でもこの道路は無いので
新しい道なんだよ。
ここは信号も無いから飛ばしてくる車をかわしながらすばやく渡りましょう。
15時04分

 
 

再び静かな旧伊勢街道です。立派なお屋敷が何処までも続いています。
この旧道は次に国道に合流するまで1250m続きます。古い町並みを
楽しんで歩きましょう。ここでも街道の左側の家には街道に面した壁に
開口部はありません。かなり大きな壁だけど窓は一つも無いんだ。
西日が強くて畳が焼けるから窓を作らないんだろうか。それとも旅人の
往来が激しいので、覗かれないように窓を作らないんだろうか。教えて
15時15分

 
 

中ほどに八幡神社があったので、また木陰で休憩です。その先で国道と合流しますが
次は国道から左へ入って行くので、ここで
地下トンネルをくぐって国道の左側歩道に。
15時20分~57分

 
 
国道へ出たら中ノ川を中ノ川橋で渡ります。500mほど進むと
東千里交差点、ここから左の側道へ入り出てきた踏切を渡ります。
16時06分

 
 
踏切から100m進むとY字路になるよ。左が巡礼道、右が伊勢街道だよ。
この先伊勢街道と平行して巡礼道というのが良く出てきます。巡礼道は
伊勢西国三十三ヶ所めぐりの巡礼たちが通った道で、札所を巡る道だよ。
16時08分


巡礼道との追分には甕釜冠地蔵堂があります。ここは昔旅人に
お茶を振舞った休憩所で、屋根の上に水甕を宝珠代わりに置いて
あることから
かめかまかぶりと呼ばれたんだけど、何故甕なのかは
分からないんだって。よく見ると屋根の上のものは水甕だ~!
今度は土蔵も出てきた旧伊勢街道、ここも素敵な通りだよ。
16時09分

 
 
地蔵堂から660m、道は再びY字路に。真っ直ぐ行くとさっきの巡礼道に
合流するので、ここは右へ曲がって行きましょう。特に目印は無いけれど
曲がってすぐ、今回のゴール
千里駅が出てきたら正解です。
ここで今回のボクたちの旅はおしまい。晴れているほうが気持ち良いけど
疲れるね。ボクたちはもうぐったり。駅に行くとすぐ電車が来たので飛び乗って
四日市のホテルへ戻りました。四日市で早い夕食をとって、渋滞の23号線から
伊勢湾岸道へ、東名で御殿場に着いたことには渋滞も解消していました。
次回は、9月の20~22日だよ。松阪に宿も予約して松阪牛食べる気満々です。
16時19分


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