雨がちらほらの一日でしたが、伊勢街道に入りました。

第33日目 2015年5月4日

平均気温18.1℃ 最高気温19.9℃ 最低気温15.9℃ 平均湿度94% 最大瞬間風速13.0m/s 降水量13.0mm 日照時間0.0時間
気象庁電子閲覧室より引用


おはよう!東京は晴れているのに四日市は早朝かなり強い雨が降りました。
出発を10時まで遅らせて、小雨になるのを待ってホテルの前の東海道を
出発します。こんな細い道が東海道で、頭上にはいつもお世話になっている
近鉄名古屋線が走ります。珍しく傘を差しての行進になりました。
10時15分


鹿化川を渡ると右側に大宮神明社があるよ。大昔はこのあたりは海で、
山のほうへ更に1kmほど行かないと陸地は無かったんだ。その陸地に
あったのが舟付明神様で、垂仁天皇のころ倭姫命が天照大神を伊勢の
地に遷すときにこの舟付明神に留まったんだ。その明神様が400年前
火事になったので、当時出来た東海道沿いのこの場所に移したのが
この大宮神明社なんだよ。6月30日には
那護志大祓というお祭があって
輪くぐりという茅の輪をくぐると夏負けしないという言い伝えがあって、
大勢参拝客がやってきて夜店もたくさん出て賑やかなんだって。
10時39分

 

この辺りから街道沿いの民家が立派になってくるので、みんなで驚きました。
一体何をして稼いでいるんだろうとパパとママは話しています。
天白川
渡ると
日永神社がありました。元々は天照大神をお祀りする南市場神明社
と呼ばれていたんだけど、日吉神社・岡山白髭神社・山之神社・追分神明社
地鯉鮒社・稲荷社を合祀して日永神社になったんだ。昔は拝殿の右側に
松の老木があって国難があると樹皮が変色して人々を驚かせ神木と崇め
られたんだけど、今は無いよ。そこに立つ道標は元々追分の鳥居のところに
あったもので
東海道最古の道標なんだ。
10時52分


街道沿いには立派なお屋敷が並んでいるよ、この辺りでも少し気がつき始めたんだけど
街道沿いの家で右側の家には、街道に向いた壁に窓があるけど、左側(東側)の家には
街道に面した壁に窓がまったく無いんだ。鈴鹿の先でそれが顕著になるから紹介するね。
10時53分

 

日永神社から300m、小径の四つ角に日永一里塚跡があったよ。この一里塚は
日本橋から
100番目の一里塚だよ。案内板にそのことが書いてないのが残念。
またこの一里塚から東へ400m行くとマラソンの瀬古利彦さんの母校四日市
工業高校があるよ。高校生の頃、この辺りも走っていたのかなぁ。更に340m
進むと、また一本松、富田のかわらずの松と並ぶ唯一残った松なんだ。こっちは
東海道名残りの一本松という名前だよ。この辺りは縄手と呼ばれ家が一軒も
無かった場所で、低い土手の上に大きな松並木があったんだよ。
10時57分・11時01分


泊駅入口を過ぎて、国道に合流する場所に東海道日永郷土資料館があるよ。
この家は、土蔵付の古民家「八木家」を借りて運営しているんだ。館内には
古地図や民具など古代から近世に至るまでの物が1200も展示されているよ。
11時15分


ボクたちは、30分も見学しました。特にパパは古地図に興味を引かれたようで
各時代の地図を熱心にみていました。ボクたちはおばちゃんにお茶を入れて
もらい、おじいちゃん達と楽しくお話しました。みなさんありがとう!
開館は、水・土・日曜日・祝日(年末年始は除く)の午前9時から午後4時まで
だから、立ち寄りたい人は注意してね。楽しい資料館なので是非寄ってね。

11時45分


資料館の先で国道1号線と合流して、200m足らず進むと日永追分です。
ここで、東海道と伊勢街道が分かれるんだよ。パパは過去2回ここから
右へ進んだけど、今回初めて左へ進むんだと興奮していました。
11時48分


 
 日永の追分

  道が左右に分かれているところを追分と言う。「日永の追分」は東海道と伊勢街道の
 分れ道である。
  道路が拡張される前は伊勢街道の入口に道を跨いで伊勢神宮の二の鳥居が立って
 いた。この鳥居は安永三年(1774)久居出身で江戸に居た渡辺六兵衛と言う人が、江
 戸から京都に行くとき、ここから伊勢神宮を遥拝するようにと思って立てたものである。
 鳥居は皇太神宮の遷宮に合わせて、二十年ごとに建て替えられることとなっていた。
 今の鳥居は昭和五十年に建て替えられたもので、最初の鳥居から数えて第九次の
 鳥居となる。
  また、追分は東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿との間にあって「間の宿」と
 言われ、神宮遥拝鳥居を中心に旅籠が軒を並べ、茶店も多かった。そして、間の宿
 は本宿に比して割安に宿泊することが出来、旅人からは歓迎されていた。
  「日永の追分」は昭和十三年に三重県の史跡に指定され現在に至っている。


今年は昭和50年から40年目だけど、20年目の平成7年に建て替えたはず。
看板が間違っているのか、建て替えていないのかどっちだろう。七里の渡しに
あった一の鳥居は今月建て替えるって言ってたけど、二の鳥居はどうなるの。

11時53分


追分から300m進むと、頭上に高架道路があるよ。ここまでは国道1号線だったけど
ここをくぐると一般道が南へ真っ直ぐ進んでいます。ボクたちも真っ直ぐ南へ。
そろそろ昼食と思った頃、旧道への分岐点に
焼肉屋の看板がありました。
喜んでお店の前へ行ったらお休みでした。今日は5月4日、ゴールデンウィーク
の真っ只中、パパとママは、中山道の本庄を思い出してゾッとしています。
ボクは憶えていませんが、ゴールデンウィークの本庄はゴーストタウン化して
食べ物屋さんがまったく開いてなく、空腹のボクたちを抱えて困ったそうです。
さあ、今回も本庄の二の舞、この先地図を見ても飲食店やコンビにも無いよ。
12時08分


旧道に入って進むと内部川の土手に出ます。昔は真っ直ぐ橋が架かっていま
したが、今は新しい橋に架け替えられたので、左にある
河原田橋を渡ります。
対岸の土手を直ぐ右に曲がり、水路を跨ぐ
小さな橋を渡れば旧伊勢街道だよ。
12時17分


河原田の旧道は1100m続きます。右に山が迫りとっても静かな伊勢街道だよ。
この辺りも立派な家が並んでいます。江戸時代はこの街道から東、鈴鹿川まで
ず~っと田んぼで、米どころだったのかもしれないね。
12時18分


河原田集落の中ほどにあるのは、比較的新しい道標だよ。だって名古屋市なんて
彫られているんだ。その先には
河原田小学校がありました。今日は休みなんだけど
雨で少年野球チームもお休みなのかしら、誰もいませんでした。
12時22分


いよいよお腹が減って困っていたら、旧道の終わりに魚重という料理屋さんが、
しかし宴会場みたいで、飛び込みのお客さんは入れそうにありません。
困って大きな通りの方を見ると、
吉楽庵というレストランがありました。
やった~、ご飯食べれる。早速入ってこんなちらし寿司セットを頼んだよ。
食後のアイスクリームまでいただいて、ボクたちはご満悦でした。
12時31分~13時58分



県道103はほとんど横断するだけで、すぐ左の小径へと入るのが伊勢街道。
今日の目的地鈴鹿まで4kmという標識見つけ喜んでいます。昨日から
今日は雨になると分かっていたので、昨日の行程を延ばし、今日の行程は
10kmと4kmも短縮したのです。正解だったみたい。
14時01分



小径へ入るとすぐにJR関西本線を渡る踏切。渡って線路に沿って右へ進むよ。
正面の土手には1両編成の
伊勢鉄道の電車が走ってきたよ。さっきの河原田
から津までの22.3kmしかないローカル線で、平行して近鉄名古屋線が
走っているのに、赤字にならないのかなぁと心配したら、本来関西本線から紀伊
本線を走って名古屋から伊勢に行くJR東海の特急や快速がこの路線を通って
亀山まで回らないでショートカットしているんだって。面白い路線だね。
そのまま行くと県道をくぐるトンネルがあるから入って行きましょう。
14時05分



トンネルから出ると右側に常夜燈がありました。そのまま進むと鈴鹿川を渡る
高岡橋があるから渡りましょう。車もすれ違えないほど狭い橋だけど、車が
来るので気をつけて渡ってね。橋の長さは250mほど、中心が日本橋から
391km地点だよ。
14時13分


橋を渡ったら右へ土手を行くけど、車が飛ばしてくるので危ないから左へ降りてね。
下の道と合流して進むと、右の土手上に
常夜燈があるよ。そのまま真っ直ぐ
進むと道は左へとカーブして高岡の集落の中に入って行きます。
14時20分


ここから一直線に1120m進むよ。右の蔵の土台を見てパパはビックリ。
この石垣は
亀甲積みといって江戸後期に低い石垣に用いられた手法なん
だって。どうやってこんなにピッタリ積めるのか不思議だね。
14時22分


両側田んぼの中を一直線に進むよ。しかし道路を見ると完全な直線に
なっていないよ。ここは
古代条里制の残る道なんだ。つまり一辺が
109mの正方形の田んぼを10等分した形なんだ、写真じゃよく
分からないけど、地図や航空写真で見るとよく分かるよ。ボクたちが
いる前の田んぼも一辺が100m位あります。凄いでしょう。その真ん中
を12分ほど掛けて歩きました。とっても気持ちの良い道でした。
14時30分


条里制の道が終わる頃、また常夜燈が出てきました。伊勢神宮まで続きます。
その向こうにあった家には屋根の上に
天体望遠鏡のドームが、確かに周りは
田んぼだらけなので、夜は星がきれいに見える場所なんだろうね。
14時41分


集落に入ると、左右に土手が延びて街道はその真ん中を貫いて進みます。
ここは、
神戸の見付といって、神戸宿の入口なんだ。この石垣の間には
木戸があって夜は番人を置いて閉めたんだって。色々な宿場にある見付と
一緒だね。今日のゴールはこの先の鈴鹿市駅だけど、昔は伊勢街道の
神戸という宿場だったんだね。
14時48分


赤坂の大橋屋みたいな古い建物が素晴らしい加美亭旅館が街道沿いに有るよ。
今でも営業しているのかなぁ。その先近鉄鈴鹿線の踏切が今日のゴールだよ。
14時49分


踏切を渡ったら左へ150m行くと鈴鹿市駅です。この町には神戸城や神戸高校なんかがあり
鈴鹿じゃなくて神戸だと思うのだけど、確かに白子や平田町を含む鈴鹿郡だったから鈴鹿市
なんだよ。鈴鹿といえばボクたち関東人は鈴鹿サーキットしか知らなかったけど、歩いて
いろいろ勉強になりました。サーキットはここから南西に6kmほど行ったところだよ。
さて、それでは鈴鹿線から名古屋線に乗り換えて四日市に帰りましょう。
14時55分


四日市のスーパーホテル四日市国道1号沿店に戻り、温泉で汗を流したら夜の街へ、
今夜は
ゆるり屋というホテルのお姉さんお勧めの店で、大あさりで乾杯です。


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