宮の渡しから舟に乗ったつもりでいきなり桑名へ上陸しました。

第32日目 2015年5月3日

平均気温19.9℃ 最高気温24.1℃ 最低気温16.4℃ 平均湿度--% 最大瞬間風速8.5m/s 降水量0.0mm 日照時間6.6時間
気象庁電子閲覧室より引用

 

今年のゴールデンウィークも街道にやってきました。今回は5月3日から2泊3日で津を
目指すよ。42kmを3日で歩きます。マラソンの選手なら2時間少々で行ける距離だけど
ボクたちは、のんびり進みます。今回のスタートは、桑名の
七里の渡し場跡だよ。
パパは昔、宮の渡しからここまでボートで来たって言うので、乗りたかったけど
ボクたちには危ないからといって載せてもらえませんでした。宮からは東海道に道は
無く、江戸時代も舟で七里(28km)の海を渡ってきたんだ。この鳥居は伊勢国一の
鳥居だよ。ここをくぐってボクたちは伊勢神宮を目指します。
9時34分


昔は緑色の土手や、コンクリートの水門は無かったんだけど、昭和三十四年の
伊勢湾台風で甚大な被害を受けたため、防波堤が出来たんだよ。

 
お木曳とは、伊勢神宮宇治橋外側にある大鳥居を式年遷宮のたびに、貰い受け
奉曳車に乗せ、二千人でここまで運んでくるお祭なんだ。丁度今月5月31日が
その日で、桑名市民館前からここまで一般参加者300人と供に盛大に曳くよ。
20年に一度なので、その日にくればよかったね。


桑名宿は、渡し場を中心に西に舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣があって、
ボクたちの進む南側には舟会所、人馬問屋、丹羽本陣があったんだ。でも今はとても
静かな、町並みで茶色に染められた東海道を進みます。直ぐ右には
歌行燈という
桑名のハマグリを食べさせてくれる老舗があったけど、まだ営業時間になってません。
パパは前着たときより立派になったと驚いていました。調べたらボクたちの家のそばの
新宿や二子玉にもお店を出していたのでビックリ。でもここが本店なんだよ。
9時37分

 

次は春日神社の銅鳥居だよ。この鳥居は寛文七年(1667)に七代桑名藩主松平定重が
建てたものなんだ。左下にある石碑は、
しるべいしと言って、迷子を捜すSNSの役割を
していたんだよ。自分の子供がいなくなった親は、石の左側に子どもの特徴なんか
書いた紙を張り、心当たりある人は右側に子どもを見た場所なんかを書いた紙を張る
ルールなんだ。これで本当に見つかったのかなぁ。
9時39分

 

今度はお堀が左側に現れました。お堀の向こう側の石垣は、桑名城城壁の一部なんだ。
積み石の状態は、乱積で野面はぎ・打込はぎの二つの方法で積まれています。今は
石垣の上は普通の民家だけど、昔はお城だったんだね。
9時41分


ここは歴史を語る公園になっていて、街道と平行しているからボクたちは公園内を
進んでゆきます。中には富士山のような形をしたものがあったけど、何だか分かりません。
9時44分

 
街道が突き当たりになったら右折します。直ぐ右側に石取会館があるよ。
大正14年に四日市銀行桑名支店として建てられたもので、文化庁の
登録有形文化財になっています。旧街道にはこういう建物多いね。
9時47分

 

県道を横切る角にあるのが桑名市博物館だよ。折角だから入ってみました。
桑名の歴史や民俗が分かるよ。しかしママの目を引いたのは、千羽鶴でした。
一枚の折り紙で一羽の鶴を折るのは誰でもするけど、ここに展示されていた
鶴は、一枚の折り紙から2羽~97羽の鶴を折るものなんだ、その複雑さと、
美しさにボクたちもビックリ、ママは早速折り方が載っている本と、型紙セットを
購入。家に帰ってからチャレンジしてたよ。ここを見るとママが買ったものを
通販で買えるんだ。興味のある人は取り寄せてみては。
9時48分~10時05分


博物館を出たら、そのまま
京町交差点を渡り、次の路地を左に入ります。ここの右には
新しい道標が立っているから分かり易いよ。そのまま進むと、「左江戸、右京いせ道」と
いう道標があるので、そのまま真っ直ぐ進みます。大きな通りを横切って進むと、
ほねつぎのところで突き当たりになるから左折して次を直ぐ右折してね。
10時11分


真っ直ぐ進んで、大きな通りを横断歩道で渡ると突き当たりは、傳馬公園だよ。
公園に沿って左へ進み、萱町交差点手前の写真右の小径へ入ってね。
10時20分


萱町から来る大きな通りに合流したら、次の日進小学校前交差点を右折して下さい。
150m先右側にあるのは、天武天皇社だよ。
10時23分

 

ここは天武天皇を祀った日本で唯一つの神社なんだ。壬申の乱(672)のときに桑名に
泊まった大海人皇子(のちの天武天皇)にちなんで建てられたんだよ。難しい字で
由来が書いてあったけど、ボクたちには読めませんでした。
10時27分


天武天皇社から2回信号機のある大きな通りを横断し突き当たりまで660m
進むと、右側に
江戸時代の火の見櫓がある角に来るから、そこで左折してね。
傍らには新しい道標もありました。そこから870m進んだ右側には
桑名まちかど博物館という建物があったけど、開いていなかったので
ショーウィンドウだけ見学して次に進みました。

10時39分・10時51分


頭上には国道258号線が走っています。その下を横断するのは地下道。
ボクたちもバギーじゃ無くて自分の足で歩いてくれるので、こんな時
助かるねとパパは喜んでいました。
10時54分


国道を横断しそのまま真っ直ぐ進むと、突き当たりは員弁川、昔はそのまま橋があった
のですが、今は無いのでこの交差点を左折して町屋橋を渡ることにします。
10時59分


角の右側には伊勢両宮常夜燈、左側は料理旅館すし清あります。
11時01分


左の木が茂っているところが旧東海道の突き当たり、あの辺りに橋があったんだね。
木でできた手摺のある
町屋橋で、員弁川を渡ります。
11時04分

 

町屋橋南詰を右に曲がり、直ぐ左の小径に入るのが東海道だよ。
川から少し入ったところに一里塚跡があったけど、何の一里塚だか
日本橋から何番目だか、何も説明が無いので分かりません。
ネットで調べたら97里、
縄生の一里塚跡だということが分かったよ。
東海道は、海路も行程に入っていて、熱田の伝馬町一里塚が89里
海上で一里塚がないのが、90里~96里なんだ。97里と言ったら
380.9kmだけど、ボクたちの行程は海上を除いて372km
少し遠回りだね、姫街道が影響しているのかな。
11時18分

 
ここにもまちかど博物館があって、木喰上人や馬頭観音の木彫りが並んでいます。
向かいは富士の光・清鷹ブランドのお酒を造る
安達本家酒造だよ。聴き酒が出来たら
パパは、帰ってこなかっただろうね。
11時23分

 

近鉄名古屋線の伊勢朝日駅前にあるのは東芝三重工場。パパの会社にある
大きなモーターはここで作っているので、修理なんかで何度かこの工場へ
出張してきたことがあるんだって、懐かしがっていたよ。あの時はお世話になりましたって。
11時24分

 

工場の前には休憩ポイントがあったので、東屋の下で休みました。
その先にあるのは、
橘守部誕生地遺跡だよ。案内板を写したよ。
11時34分~52分

  
  <三重県指定遺跡>
  橘守部誕生地遺跡

  橘守部(1781~1849)は、江戸時代後期に活躍した国学者です。守部は、伊勢国朝明郡
 小向村(現朝明町小向)の大庄屋格であった飯田長十郎元親の長男として生まれ、十七歳
 で江戸へ下り学問を志しました。二十九歳の時、武蔵国葛飾郡内国府間村(現埼玉県幸手
 市)へ転居し、四十九歳で再び江戸に戻り、地庵と号しています。当時、国学者の多くが本
 居宣長の門人であった中で、ほとんど独学で国学を学び、独自の学説を展開した守部は
 異色の存在であり、平田篤胤、香川景樹、伴信友とともに天保の国学四大家に数えられて
 います。『稜威道別』『稜威言別』など多数の著書があり、嘉永二年(1849)六十九歳で没し
 ました。お墓は、東京都台東区向島の長命寺にあります。




目の前に立ちふさがるのは、伊勢湾岸自動車道と国道1号北勢バイパスだよ。
下は朝明川で、その土手にポツリと
常夜燈が目立ちました。ボクたちも
横浜から東名高速、伊勢湾岸道と通ってきたけど、ここの手前みえ川越で
一般道へ降りたので、この上は走っていません。次の松阪の時は走り
たいけど、渋滞がひどくタクシーの運転手さんも国道23号のほうが良いよって。
12時09分

 
 

ページはまだ桑名だけど、ここから四日市宿に入るよ。ここは、朝明川に架かる
朝明橋だよ。当たり前だけど、今は朝明川には多くの橋が架かっているけど
こんな小さな橋が川の名前をもらうってことは、昔はこの橋しかなかったんだね。
12時11分

 
 
 
 
朝明川を渡ると、四日市の案内板のある小さな公園があります。そこにはシーボルトの
ことが書かれていたよ。シーボルトって誰?何でも長崎の出島から江戸まで旅して
その間に、伊能忠敬の日本地図のコピーを手に入れて日本の外へ持ち出そうとして
国外追放になったドイツのお医者さんなんだって。彼がこの橋を渡ったのは、文政九年
(1826)3月28日と5月28日だよ。また公園には
力石と言うのがあって、こんな説明が
書かれていました。これからもたくさん出てくる第1号がここの力石だよ。

 
 力石(ちからいし)

  この力石は、江戸末期から明治初期にかけ東海道筋のこの地で営まれていた
 茶屋「橋南(はしみなみ)のつる」の主 大久保つるが後世に残したものである。
  石には「二十七メ」と刻まれ、その目方が二十七貫目(約100kg)と想像される、
 北勢地方で見かける力石は、その多くが神社仏閣の境内にあるが、これは数少な
 い民家の軒先に保存されているものである。
  東海道を往来した旅人や篭かき衆等が休んだおりに余力を誇示するがごとく
 自慢げにこの石を持ち上げたであろう往時の様子が偲ばれる。又この辺りの地名
 を「茶屋の前」と称するのは、この茶店に由来するものと言い伝えられている。
 
  力石について 四日市大学 高島愼助教授により
 平成二十年十二月に鑑定されている       大久保隆氏所蔵
                       松寺連合自治会

 

後日、この案内板、そして力石の所有者である大久保さんから貴重な
お便りをいただきましたので、ここで紹介させていただきます。


東海道の四日市辺りでは、力石が神社仏閣の境内に保管されているのが多いのですが、
我が家の力石は自宅の一角で保存しておりました。
昨年この広場が出来ることになり、自治会から依頼があり展示場所を移したのでした。
神社仏閣に保存されているのは主に地元の若衆が娯楽の無かった時代に力比べをしたのに使われたのに対し
我が家のは茶店の軒先に有り東海道を行き交う旅人達が余力を示すのに使われたという違いがあります。
説明板に記載されている大久保つると言う女性は私の曾祖母で、
日本の山林王と言われた初代諸戸清六氏と若い時代からつき合いがあったと地元の伊勢新聞に出ておりました。
その諸戸さんも商売で桑名と四日市の間を往復されたときにこの茶店でお休み頂いたそうです。
諸戸さんは当茶店においでの時は開口一番「(人力)車夫に飯を食わせよ」だったそうです、
自分より体力を消耗する車夫さんにたいする暖かいお気持ちだったようです


右の写真は、中部電力川越火力発電所だよ。パパは昔そこへ見学に
来たことがあるんだって、当時は東洋一の火力発電所だったんだって。
この煙突は、四日市のどこからでも見えて目印になるよ

12時13分~29分


公園で休んだ後に街道へ戻ると、松寺の立場跡があります。ここにも茶屋があって
旅人が休んだんだ。いまのサービスエリアってところかな。桑名と四日市の間には
5箇所の立場があったというので、パーキングエリアなのかもしれないね。
四日市市に入ったら、街道沿いの家々にはこんな東海道標識が掲げられていました。
12時30分

その後、蒔田の
ミニストップで休憩
12時37分~13時02分

 

真っ直ぐ進むと踏切とガードの立体交差が現れるよ。この先が富田の町、
パパは初めてここを通った時迷子になっちゃったんだよ。ガイドブック
でもよく分からない複雑な東海道なので良く予習してから通ってね。
左の写真は
三岐鉄道とJR関西本線の立体交差で、ここをくぐって
道なりに行くと、左折するポイントがでてくるけど、そこはカーブ通りに
進めば、写真右の
三岐鉄道と近鉄名古屋線のガードが出てきます。
13時08分・17分

 

 
ガードを抜けると直ぐ右側に98里目の富田一里塚跡があるよ。
その先左側の八幡神社には力石がありました。さっきの茶屋の
力石とは違ったことが書いてあったので、読んで見ました。

 
 八幡神社の力石

 「力石」は、鎌倉の頃より、江戸、明治、大正と時代を越えて若者たちに愛され継承され
 てきた。「力石」は豊作の願いと村一番の力持ちの競い合いと仕事士の証としての踏ん
 張りの精神力そこに集まった人々の笑いを意味していて「生きる喜びの証」であったろう
 と思われる。「力石」の中には重軽石といって、願掛け、占いに使われたものもあるが、
 ここ八幡神社の「力石」は、力比べ体力を養うことを対象にしたものであり、この石に触れ
 ることによって、健康長寿への信仰を深めたのであろう。
 しかし、この「力石」も労働の機械化、生活の変化に伴って次第に忘れられ、神社や広場
 の片隅に放置される存在となってしまった。
 昔日の人々のこの思いを引き継ぎ、ここ八幡神社の神前に捧げ末永く保存することに
 したものである。
   重量 およそ百キログラム
 「力石」は、ここ八幡神社のほか、北村若宮八幡神社、茂福にも存在する。
                               冨田地区文化財保存会

13時22分


 
さて、この左の写真が地図で注意とした場所だよ。この何の変哲も無い
小径を右折するのが東海道で、昔パパたちはそのまま真っ直ぐ進んで
迷子になったんだって。右折したら直ぐ右に
西町公会所と言う建物が
あったら正解です。少し進むと写真右の通りを左折します。

13時23分

 
商店街を進むこと160m、寺村薬局を左に見て、交差点を右折するよ。
右に
冨田地区市民センターがあって、そこに東海道案内板があるから
チェックしてね、その先は富田小学校の正門で、そこには
明治天皇御駐輦跡がありました。明治元年(1868)9月25日東京へ
向かう明治天皇が休憩したんだ。その帰りの12月19日にも休み、
再び遷都のため東京へ向かう明治二年3月15日にもここで休まれた
んだって。明治13年には陸軍大演習があって7月3日、4度目の休憩
をここにあった広瀬五郎兵衛でしたんだ。屋敷は小学校と地区センターに
またがる大きなものだったんだ。
13時30分

 
小さな十四川を渡ると右側に常夜燈、この辺りの常夜燈は神宮への導光といわれ
桑名から伊勢まで続いています。これは天保十巳亥年(1839)と刻まれているよ。
少し進むと豊和堂という青い看板のところで道が鍵の手になるよ。突き当たり
には
新設用水道碑と例の力石がありました。
13時34分


ここ茂福の力石は、大人用と子供用があるよ。そして土台のコンクリートに
固定されていないので持ち上げることが出来るんだ。大人用はボクが
挑戦してもビクリとも動かなかったけど、子供用は佐武にも持ち上げられました。
ここの説明も、前二つとは少し違うので読んでみました。

 
 力石の由来

  明治の中頃、この村にある二ヶ寺の御堂を再建するにあたり各所より土台石の
 奉納があった。また、御堂の地築(地固め)に、近郷近在より奉仕の人々が集まった。
  その節、土台石の中よりこの石を選び休憩時に体力を試さんと持ち上げ競い合った
 と伝えられている。
  その後、茂福地区の青年若衆が大正の終わり頃までこの石で力比べをして競い
 合ったと言う。
  およそ三十二貫(約百二十キログラム)を肩越しまで担ぎ揚げた人は幾人もいなか
 ったといわれる。茂福町においては、この由緒ある力石を健康長寿の石と名付けて
 ここに保存することにした。石に三十二メと刻まれている。下にある小さな石は重さ
 五貫(約十九キログラム)で子供用であろうか。
  平成五年七月吉日建立
          茂福地区自治会 茂福地区白寿会
                              富田地区文化財保存会

13時39分



頭上に高架道路が通る八田三丁目西交差点を横切ると、佐武がトイレと言うので、
左へ進み国道1号線沿いの
白須賀食堂へ入って昼食にしました。そこは美味しい
越後の釜炊きご飯と、バイキングみたいに好きな食材を選んで食べられる食堂で
まるで学食のようだと、ボクたちは喜びました。旧道に戻って少し進むと、
車検場
手前に
常夜燈があります。小さな川を越え、しばらく行くと地蔵堂です。
13時45分~14時35分


しばらく行くと街道沿いにたった1本の松が、この松は「かわらずの松」といって
江戸時代から唯一残った松なんだ。昔は松並木が続いていたんだけど、道路の拡幅や
松くい虫にたおれ、今では日永にある1本と、この1本だけなんだよ。かわらずというのは
この付近の町名が
川原須だったことと、江戸時代から変わらなかったことを掛けたんだ。
四日市市は東海道の看板を各家に付けているけど、その他にもこの植木鉢を
ひっくり返したような電球の入ったとうかいどうと書かれているモニュメントを良く見るよ。
志氏神社、光明寺と進むと街道は鍵の手になり国道1号に合流します。
そこは393kmポスト、ボクたちの行程は380.1kmでした。
14時38分

 

ENEOSのスタンドには、右桑名左四日市の古い道標があるよ。その先の金場町交差点で
国道を渡って左側を進んでください。旧道は
多度神社で、左への小径へ入ります。
14時54分

 

小径は100mほどで、海蔵川に突き当たります。昔はここに橋があったのでしょうが
今は、40m上流の海蔵橋を渡ります。河畔には小さな公園があって、そこに
三ツ谷一里塚跡がありました。この一里塚が99番目になります。本当の位置は今の
海蔵川の中で、川を拡幅する時に取り残されてしまったため、ここに移したんだ。
ここで最後の休憩をとって、いよいよ四日市市街に入って行きます。
15時01分~15分

 
   
 
海蔵橋を渡ったら、土手を左へ進み、写真右の小径へと入りましょう。
さっきの一里塚跡の街道から見れば真っ直ぐ川を渡った場所だと分かるよ。
15時18分

 

700m程進むと今度は三滝川を三滝橋で渡るよ。
橋の上から左を望むと四日市の石油コンビナートが近くに見えるよ。
これは
コスモ石油の製油所で凄く大きい工場なんだ。
パパが子どもだった頃の川崎市も公害がひどくて、喘息になる子が
多かったって聞いたけど、ここ四日市も昔はひどかったらしいね。
でも今は、空も青いし綺麗な町になったから、安心して通れます。
15時28分


三滝橋を渡ると直ぐ左になが餅の笹井屋があります。創業が天文十九年(1550)というから
凄く古いお菓子屋さんだね。パパも過去二回の東海道で立ち寄ったので、ここは外せないと
早速店内へ、名物のなが餅は日持ちしないので、今夜食べる分だけ買って、お土産は
最終日に駅で買うことにしました。あまり甘くなくてとっても美味しいお餅でした。
15時32分

 
 

国道164号を横断し真っ直ぐ進むと、道は枡形になり、その角に道標があります。
15時40分

 
 
歩道に屋根のある諏訪新道に出たら右に曲がりましょう。目の前は国道1号の
諏訪神社前交差点なので、そのまま国道を渡り、奥へと進みます。
15時43分


諏訪神社の表参道と呼ばれているのがアーケード街になった東海道だよ。
表参道スワマエってあるけど、パパが前回来た時はライオン通りだったらしいよ。
でも下に東海道の横断幕があるから迷わないね。
15時44分

 
商店街を真っ直ぐ進んで行くと、とんでもないものがありました。
なんでも四日市のゆるキャラ
大入道だそうです。あまり面白いので
しばらく見て行きました。
15時47分
 
 
 
アーケードを抜けると、右手が近鉄四日市駅だよ。ボクたちの宿は
スーパーホテル四日市国道1号沿店で、旧東海道に面しているんだ。
今夜も明日もここに泊まって、四日市の夜を楽しむんだって。
15時48分


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