とうとう名古屋に着いたよ。宮の渡しで367km歩きました。

 
瑞泉寺から200m程行くと、右側に和菓子屋さんの菊屋茂富があるよ。
ここは道がクランクになっているので、きっと枡形だね。ここから本町を過ぎて
作町の右カーブ(西の枡形かも)までが鳴海宿の中心地なんだけど、何も無いよ。
県のサイトには復元された高札場があるって書いてあったけど、見つかりません。
13時40分

 

どこが本陣だか分からないうちに、丹下町常夜灯だよ。この常夜灯は
鳴海宿の西の入口に建てられたものだから、前頁の平部町常夜灯との
間が鳴海宿ということになります。表は「秋葉大権現」、右に「寛政四年」
左に「新馬中」裏は「願主重因」って彫ってあります。

13時55分


西へ向かっていた東海道は、作町から北上するよ。三皿交差点を横切ってゆくと
県道59を横断する
三王山交差点(写真左)です。この角に「買います!」って
看板の
お宝創庫鳴海店を発見。早速ボクたちはプレミアカードをゲットしました。
数千円も投資してしまったけど、大満足のボクを裏の写真で観てね。
14時02分~11分


この辺は、名古屋港まで5.4kmなんだけど、海抜を見てビックリ!
10mの津波が来たら駄目じゃん、もっとも宮の渡しは海沿いにあるから
海抜0mなんだね。480m進むと、
天白川を渡るよ。
14時19分


10分進むと、道はY字路になって、その真ん中に笠寺一里塚がありました。
この塚は日本橋から88番目の塚で、名古屋市内を通る東海道に
残された唯一の一里塚なんだって、今は東側だけが残っているよ。
あれ?何処で名古屋市に入ったんだろうって地図見たら、桶狭間古戦場
を出てところで、緑区に入ったんだ。
14時28分

 
 
 
笠寺一里塚の左の道を真っ直ぐ進むと、遠くにお寺の屋根が見えて来たよ。
これが有名な
笠寺観音だよ。本当の名前は天林山笠覆寺なんだ。
14時30分

 
 
今日は大晦日、明日の初詣に備えすっかり準備を整え終えた
笠寺観音だよ。ボクたちは、ここまで無事に歩けたことに感謝して
今年最後の御参りをしました。何で笠寺と呼ばれているのか
知りたいでしょう。とても洒落たホームページがあるのでどうぞ!
14時35分


もう一度山門から東海道に出て右へ街道を進み、西門の前で
左折して、
笠寺西門交差点でMaxValuに寄りました。飲み物と
おやつを買ってトイレをお借りしました。ありがとうございました。
14時56分


商店街を歩いてゆくと、線路の手前に大きな看板が、すぐ左が名鉄本線の
本笠寺駅だよ。踏切を渡って最初の交差点(写真中)を右に曲がりましょう。
正面にある、はんやと書かれた耕雲堂印舗が目印です。この辺りの町名は
呼続っていうんだけど、パパも読めなかったらふり仮名付きの町名板があった。
14時58分

 

富部神社・長楽寺入口には、東海道400年の記念碑があります。
平成13年だから、あれから13年経ってちょっと忘れられた感じがするね。
パパが前回ここを歩いたときは、399年だったんだよ。
 
15時05分

 
広い道を横断する呼続小学校前交差点から180m、朝岡歯科手前の角に、
鎌倉街道を横断する小さな交差点。その先右熊野三社を過ぎると道は下り坂、
そこは
山崎の長坂で、名無し信号から540m緩やかに下って行きます。
15時17分


長坂を下りきると、山崎川を渡るよ。その右手前の吾妻屋製菓の前に古い道標が
あったよ。
北あった、南よびつぎって彫られています。橋を渡るとT字路なので
左へと向かいます。川を左に見て進むと道はドンドン広くなるよ。

15時21分


立派な歩道も出てきて、パラボラアンテナが乗った高い鉄塔の下が
国土交通省
名四国道事務所だよ。正面には高速道路が
頭上に出てきて、左にはラッキープラザ堀田店があるけど、
その一角に面白い窓口みたいな、貸金庫みたいな不思議なものが
ありました。パパに聞いたら、きっとパチンコの両替所だねと教えてくれたよ。
15時30分


松田橋交差点は、頭上に高速道路、下の青い道が国道1号線。
その間を横断歩道橋で渡ります。旧東海道は、国道事務所の方から
来て、そのまま真っ直ぐ進むだけで、写真左の青い道のほうへ
進んでください。いよいよ中心部に入ってきたと言う感じだよ。
15時32分


鉄板居酒屋はなまるの前には何故か二宮尊徳の像があったよ。
右にトヨトミの大きな看板が現れると、国道は高架になるけど、ボクたちは
側道の下の道を進みます。まもなく
JR東海道本線の踏切だよ。
15時43分

 

踏切の手前には小さな祠があったので、佐武はいつものなんまいなんまい。
渡ったら、最初の小さな交差点を直進し、Y字路を左へと進みましょう。
奥田モータースとCoffeeしんげつの間の小径だよ。すぐに
新堀川を渡ります。
このまま川沿いに左へ行けば、870mで宮の渡しなんだけど、東海道は
真っ直ぐ、1100m歩いてゴールなんだ。ボクは疲れたよ。その先で
名鉄の常滑線をくぐります。
15時50分

 
常滑線をくぐると、右側に伝馬街園という一里塚見たいな公園があって
そこにこの案内板が立ってます。いよいよ宮の渡しが近づいて来たよ。
15時51分


左が伝馬街園だよ。右は裁断橋址、元あった姥堂って何処なんだろう。

 
  裁断橋跡

  宮の宿の東のはずれを流れる精進川の東海道筋に架かっていて、
 現在の姥堂の東側にあった。
  天正十八年(1590)に十八歳になるわが子堀尾金助を小田原の陣
 で亡くし、その菩提を弔うために母親は橋の架け替えを行った。三三
 回忌にあたり、再び架け替えを志したがそれも果たさず亡くなり、養子
 が母の意思を継いで元和八年(1622)に完成させた。この橋の擬宝珠
 に彫られている仮名書きの銘文は、母が子を思う名文として、この橋
 を通る旅人に多くの感銘を与えた。
  現在は裁断橋も縮小されたが、擬宝珠は市の指定文化財で市博物
 館に保存されている。
     名古屋市教育委員会

15時51分



伝馬町のゲートをくぐったら、広い道は横断できないので、
右の国道1号伝馬町交差点まで迂回して向こう側へ向かいます。
一方通行もなんのその、歩いてゆけば逆走も大丈夫。
突き当りまで進みましょう。突き当たりの左手前角には古い
道標があるよ。この道標は江戸時代からこの位置にあったんだよ。
東海道をやって来たボクたちに右(北)へ行くとさやつしま(佐屋津島)
・みのち(美濃路)・なこやきそ道(名古屋木曽道)、左(南)へ行くと
京いせ七里の渡し、ボクたちの来た道東は、江戸かいとう(街道)
って彫られているんだよ。つまり、東海道で京へ向かう人は、ここで
海路七里の渡しか、陸路佐屋街道を選択したんだね。
ボクたちは第三の道(伊勢湾岸道)で向かう予定だよ。
16時00分


道標を左に折れて七里の渡しへ向かったボクたちに試練が。
国道247を越えなくてはならないんだけど、横断歩道橋なんだ。
足が痛くて辛いのに、歩道橋の取り付け階段がボクたちの進む
方向と逆なんだ。つまり歩道橋を通り過ぎてUターンして階段を
登り、降りる時も階段下りてUターンして進むんだよ。
とてもガッカリしました。歩道橋の上からは熱田の森が見えたよ。
16時03分


歩道橋を降りると、あつた蓬莱軒本店蓬莱陣屋と宝勝寺が並んであるよ。
国道を真っ直ぐ進まないでお寺のほうへ斜めに入っていってください。
パパとママは、新安城で櫃まぶしをいただいたけど、櫃が漢字だったね。
名古屋名物
ひつまぶしはこの蓬莱軒の登録商標なんだ。ここで食べたかった
けど、時間が難しかったね。今度は車で来て食べようね。
16時05分

 

やっと着きました、宮の渡し(七里の渡し)だよ。時刻は16時10分
くたくたになったけど、ゴールすると嬉しいね。ボクの後ろにあるのは、
熱田湊常夜灯で、寛政二年に作られたんだけど、風害・火災・荒廃に
あったけど、昭和30年に復元されたんだ。パパは前回の旅のときは、
遊漁船おおぜきの小舟で桑名まで渡ったんだけど、今度は子連れなので
乗らないって。残念だけど1時間30分も掛かるって聞いて諦めました。
この旅を始めたときは、今回は佐屋街道で伊勢を目指そうとパパは考え
ていたんだ。でもボクが1年生で日本橋を出発し、6年生でゴールする
予定が、もう中学2年生。このままでは中学3年生までに伊勢へ着かないと
考えたパパは、佐屋街道を諦めて、次回は桑名から伊勢に向かうことに
しました。つまり七里の渡しは最新の伊勢湾岸道を車で突っ走るよ。

 
 
近くには、宮の地図があったよ。パパは地下鉄の伝馬町駅まで戻って金山の
ホテルへ帰るぞって言ったけど、ボクが足が痛くて嫌がったら、タクシーを
拾ってくれました。座ったままホテルへ帰ることが出来ました。良かった良かった!

 
 
大晦日の今夜は、名古屋飯の店ではなく、芋んちゅうという沖縄料理屋へ。
泡盛シークァーサーで、桜島噴火カツオのタタキ・馬刺し三種盛り・花咲いかシュウマイ
ラフテー温泉玉子添え・豆腐よう辛子・明太子の天ぷら・門外不出の手羽先・
桜ユッケ・スクガラス豆腐などをいただきました。
来年は、絶対ゴールするぞ~!
翌日、元旦は熱田神宮へ初詣の予定でしたが、雪が降ってきたので、急いで帰路へ。
危機一髪で、御殿場の通行止めを切り抜けて、無事帰宅できました。


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