大晦日は、とても静かな有松の町並み保存地区を通り過ぎます。

第31日目 2014年12月31日

平均気温7.2℃ 最高気温12.3℃ 最低気温3.2℃ 平均湿度64% 最大瞬間風速11.9m/s 降水量2.5mm 日照時間6.3時間
気象庁電子閲覧室より引用


2日目で大晦日の今日は、昨日のゴール富士松駅からスタートだよ。
富士松というのは、1955年に刈谷市に編入される前にあった村の名前
なんだ。桶狭間の戦い後、ここを通った旅人が今川勢の回し者と勘違い
されて殺されちゃったんだ。それを気の毒に思った村人が葬った場所に
松を植えて、それが
お富士の松と呼ばれるようになり、村の名前になった
んだよ。その松は伊勢湾台風で枯れちゃったけど、2代目3代目をこの
駅前に植えたんだって。今は小さな松が花壇の中に植わっていたよ。
9時57分


駅前の旧東海道を460m進むと国道1号と交差します。でもこの今川町
交差点には横断歩道がなくて、地下道を使って向こう側に渡るんだよ。
旧道に入ってすぐの小さな橋に面白いことが書いてあります。
どう読んでも
用悪水路です。どんな用途の水路なんだろう不思議だなぁ。
パパが、田んぼに入れた水を捨てるための水路だよって教えてくれたよ。
すぐに大きな工場が右側に出てくるよ。それは敷島製パン刈谷工場だよ。
左側にはボクたちが大好きなラウンドワンがあったけど、パパは進みます。
10時07分

 
今度は、境川を境橋で渡ります。この橋は尾張の国と三河の国の国境
だったんだ。ボクたちの神奈川県にも武蔵の国と相模の国の境川が
あったね。この橋は西側が板橋で、東側が土橋だったんだけど、何度も
洪水で流され土橋に一本化され、明治になって欄干付きの橋になった
んだよ。今はとても立派な橋だよ。ママは魚が気になって川を覗きます。
川を渡った土手で、おにぎり食べて休んでいたら、案内板を発見!

うち渡す尾張の国の境橋 これやにかわの継目なるらん

この句は、京都烏丸に家があった藤原朝臣光廣が古今夷曲集に寛政六年
(1666)載せた句だよ。昔は有名な橋だったんだね。

10時14分~30分



頭上には国道1号から伊勢湾岸自動車道に乗るための豊明インターが。
高速道路の真下で旧東海道は国道に合流します。豊明駅前を過ぎた頃、
345kmポストがあったよ。ボクたちの行程は約353kmだから8km差が
付きました。
10時41分


水路を渡っていたら、左側にボクたちが乗ってきた電車と同じ
名鉄名古屋本線の電車が橋を渡っていました。
10時42分


左上に阿野一里塚この先200mの案内板が出てきたよ。その先は国道の上を
走る県道だよ。ここでY字路になっているから、左の旧道へ入って下さい。
県道をくぐるとき、下に面白いもの発見。なんだか分からなかったらパパが
昔の
消防ポンプだ~って驚いていたよ。何でそんな物がここにあるんだろう。
10時46分


200m進んだらありました阿野一里塚です。道の両側に残っていたよ。
10時48分


ボクたちの休んでいるのは南塚で、北塚には森市雪の句碑があったよ。

春風や坂をのぼりに馬の鈴

春風に馬の鈴が蘇えるようにひびき、道には山桜が点在して旅人の
心を慰めてくれる。という意味なんだって。
10時54分


坂を登りきると前後駅です。ここも昔は桶狭間の戦いの戦場で、織田軍の兵士が
討ち取った今川兵の首をご褒美をもらうために棒の前後にぶら下げたことから
前後村の地名になったという逸話が有名なんだ。なんだか恐ろしい場所だったんだね。
今は大学病院や団地が建って、豊明駅より乗降客が多い、急行停車駅なんだ。
駅から750m進むと右の落合公会堂前に、昔、東海道を旅する人の為にお茶を
振舞って休憩所を設けた尼僧の
寂応庵跡碑があります。
11時19分・11時30分



旧道から国道へと合流する場所が、中京競馬場前駅だよ。
蹄鉄の上に競走馬が乗ったモニュメントが目印です・
11時45分

 

駅から国道を160m進むと案内板があって、左に100m行くと
桶狭間古戦場跡がありました。ちょっとの登り坂もボクの足に
ダメージを与えるよ。パパが元気に観ている間ボクたちはベンチで
休憩することにしました。
11時47分

 
 
 
 
 古戦場

  この地は、永禄三年(1560)五月十九日、今川義元が織田信長に襲われ
 戦死した所と伝えられ田楽狭間、あるいは舘狭間と呼ばれた。
  今川義元・松井宗信・無名の人々の塚があり、明和八年(1771)七石表が
 建てられた。文化六年(1809)には桶狭間弔古碑が建立された。また、戦死
 者を弔って建てられた、おばけ地蔵・徳本行者念仏碑などがある。
    昭和十二年十二月二十一日  国指定史跡
                          豊明市教育委員会



いろいろな碑やお墓があって、ちょっと不気味な感じの場所だけど
お天気が良かったので、あまり怖くはありませんでした。そばに
住宅がたくさんあったけど、自分の家に下も戦場で戦死した人が
いると思うと、お化けが気になってトイレ行けなくなるね。
まだ日本の歴史を習っていないので、よく分からなかったけど
パパの説明はリアルだったよ。


右の道路を挟んだ向こう側の竹林のなかにあるのが、お化け地蔵だよ。
あまりお化けが出たので、この地蔵を建立して祀ったら出なくなったんだよ。
体中に落ち武者が入り込んできそうで怖いので早く行こうよ。
その前に綺麗なトイレ(写真左)に寄って行こう。
12時09分


国道に戻ったら直ぐ左に入る小径が東海道だよ。たった330mの短い
旧道だけど、外さないでね。
12時12分


国道を220m歩いて、大将ヶ根で国道を横断し、向こう側に小径に入りましょう。
12時19分

 
 
 
 
今度の旧道は、ガラッと景色が変わります。ここからは有松町並み保存地区だよ。
右側の有松山車会館は、蔵造りで立派だよ。正面突き当たりは、寿限無茶屋。
12時24分


 
  布袋車(東町)の山車庫

  
ここ東町の山車庫には、「布袋車」と呼ばれる山車が格納されている。
 かつて祭礼に曳行した山車は、祭が終わると山車庫に解体保管していた
 が、現在は上山をおろした状態で収容、格納している。
  昭和四十三年~四十四年頃に本来建っていた場所より有松商工会の
 東隣りの現在地に移転した。町並みの景観に配慮された造りとなっている。
  明治二十四年(1891)に東町が袋町(中区錦二丁目あたり)の道具屋から
 延宝三年(1675)より名古屋城下の三大祭りの一つ、若宮祭へ参加してい
 た布袋車を購入した。昭和四十八年(1973)、市の文化財に指定された。
  毎年十月第一日曜日の「有松天満社秋季大祭」に曳きだされる。
                         名古屋市教育委員会



ここは寿限無茶屋、今日のお昼はここで、味噌煮込みきしめん
いただきました。パパは、名古屋にきたら名古屋めし5を食べなくちゃと
いいます。「みそカツ」「ひつまぶし」「手羽先」「きしめん」「味噌煮込みうどん」
もう最初の三つはいただいたので、残る二つを一度に味わえると
喜んでいただきました。とっても美味しかったよ。
12時26分~13時00分

 
ここが有松で、というか東海道で有名な井桁屋だよ。パパの話だと
街道沿いの家は、街道に面した幅で税金が決まるから、みんな幅が
狭く奥行の長い家ばかりなんだけど、この井桁屋は凄い幅だよ。
13時01分

 
   服部家住宅

  服部家は、寛政二年(1790)創業の絞問屋で、屋号を井桁屋という。
  屋敷地は、東海道に面して広い間口を有する。中央部に店舗及び
 居住として利用する二階建の主屋を配し、井戸屋形、店倉、藍倉、門
 など合わせて十一棟の建物が有力な絞問屋の屋敷遺構の典型として
 昭和三十九年(1964)県の有形文化財に指定された。
  主屋の二階は黒漆喰の塗籠造、屋根両妻に卯建を設ける。土蔵は
 漆喰の塗籠造で、腰は海鼠壁とし、防火対策を行っている。
  有松を代表する価値ある建物群である。
                   名古屋市教育委員会




立派な蔵がずらりと並んだ町並みは、東海道でも珍しいね。その中に
旧家を利用した新しい店も有って素晴らしいと思いました。ここは
DASENKA蔵というパン屋さんだよ。中庭にカフェもあるらしい
けど、今休んだばかりだから進むことにしました。
13時04分


ここも絞問屋の竹田家だよ。屋号は笹加というんだ。有松絞りの開祖の
竹田庄九郎ゆかりの建物なんだけど、老朽化が進み悩んでいたところ
みんなの協力で有松まちなみ保存ファンド募金が始まって直したんだ。
ママが歩いているこの写真はフェースブックでも人気なんだよ。
パパはディスカバーJAPANを意識して撮ったんだって。
13時06分


800m続いた旧市街を抜けると、名古屋第二環状自動車道が上空を覆います。
その下には、モダンにアレンジされた
有松一里塚跡(写真右)があったよ。
この一里塚は江戸から87番目だけど大正時代に払い下げられ無くなったよ。
でも地元の熱意でこんな素敵な一里塚跡が出来ました。
13時12分


高速道路の下で名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。ここは有松駅と右京山駅の
中間で、上に高速が走っているので、電車の中からも分かる場所だね。
四本木から入る右京山駅を過ぎてしばらく行くと、平部北交差点に
平部町常夜灯があったよ。鳴海宿の東の入口に建てられたもので、表に
秋葉大権現、右に宿中為安全、左に永代常夜燈、裏に文化三丙寅正月って
刻まれていました。きっと宿の安全と火災防止に建てられたんだね。
13時16分・13時30分


扇川を渡るといよいよ鳴海宿、右に瑞泉寺があります。曹洞宗のお寺で、鳴海根古屋城主
安原宗範が応永三年(1396)に創建しました。この山門は宇治市の黄檗宗万福寺総門を
まねした中国風の門だよ。
13時38分


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