お城を遠ざける二十七曲がり、でも岡崎城へも


乙川は、岡崎城下で矢作川に合流して知多湾へ注ぐちょっと大きな川です。
14年前に来たときは、旧街道の延長上に堰堤があって渡れたのに、今日は
水量が多く渡れないから、90m上流の
大平橋を渡ります。橋の上から
旧道が見えたので、田んぼの畦道を通って旧道へ向かいます。
13時16分

 

川を渡った旧道の入口には、小さな大平川神社があるよ。乙川なのに大平川って
昔はそう読んでいたのかなぁ。この神社は昔、水神社として川の中州にあって
大平川の守護神だったんだ。でも三回も流されちゃったので、この岸辺に移した
んだよ。隣には馬小屋があって、3頭ほどの馬がいました。早速
今年の干支
会えてボクは嬉しいよ。中でもおとなしいこの白馬が気に入りました。パパが
昔来た時も、場所が違うけどやっぱり馬は居たんだって。何して働くのかなぁ。
13時24分


川から300mほど大平町東で国道1号線を横断します。写真は渡った旧道から
振り返ったところだよ。薬師寺・交番・男川小学校西を右に見て300m進むと
岡崎大平
郵便局の角に「ようこそ東海道 西大平藩陣屋跡」
石碑があります。90mと書いてあったので、右折して行ってみましょう。
13時36分

 
 
西大平藩の陣屋は、大岡越前守は江戸時代唯一町奉行から大名になった人だよ。
パパは、百田尚樹の小説「
影法師」の磯貝彦四郎にそっくりだと思っています。
何でかというと、家督を継げる長男と違って四男だった大岡忠相、中士の次男だった
彦四郎。運命は勘一の影法師となって勘一を家老まで出世させるんだけど、彦四郎
は不遇な死を遂げるんだ。越前守も養子に行って苦労したんだろうなと、パパは
陣屋跡の椅子に座って感慨深そうでした。その越前守忠相が初めて藩主になったのが
西大平藩で、ここはその陣屋だったんだ。詳しいことは案内板を読んで下さい。

 
 西大平藩陣屋

 西大平藩陣屋は、大岡越前守忠相が三河の領地を治めるために
 置いた陣屋です。大岡忠相は旗本でしたが、72歳のときに前将軍
 吉宗の口添えもあり、寛延元年(1748)閏10月1日に三河国宝飯・
 渥美・額田3郡内で4080石の領地を加増され、1万石の大名とな
 りました。西大平に陣屋が置かれたのは、東海道筋にあり、江戸と
 の連絡に便利であること、三河の領地がもっとも多かったことが考
 えられます。しかし、大岡忠相が藩主であったのは、わずか3年間
 で、宝暦元年(1751)には亡くなっています。2代目は忠宣が継ぎ、
 廃藩置県まで7代にわたって大岡家が領地を治め続けていきます。
 大岡家は、江戸に常駐する定府大名で、参勤交代がありませんで
 した。家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでおり、陣屋詰めの家臣
 は、多い時期でも郡代1人・郡奉行1人・代官2人・手代3人・郷足軽
 4,5人程度でした。


13時37分~49分



 陣屋から1ブロック進んだ角は、日本橋から80番目の大平一里塚跡だよ。
この塚は南塚で、北は昭和三年の道路改修のとき壊されたんだ。榎も
昭和20年の台風で倒れちゃったので植え替えたんだって。向かいには
秋葉山常夜灯と地蔵堂があります。ここで気が付いたのは、前にある
松飾りだよ。
門松はどこでも見るけど、乙川を渡ってからの門松は、ちょっと
変わっているよ。普通は土台をわらや竹で巻いてあるけど、ここのは砂で
山を作ってそこに立ってるんだ。植木屋さんが作って持って来て置くだけの
門松と違って、ここで作らないと出来ないよね。二十七曲りに入るまで、こん
な門松を見ることができました。
13時54分


旧道はやがて国道に吸収されてしまいます。突き当りには大きなファミリーマート
岡崎総合センターという建物があるよ。合流直前の右は、
大平八幡宮の入り口が。
国道に出て少し進むと東名高速
岡崎インターの国道接続道路です。
13時57分


岡崎インターに歩道を遮られた代わりに、専用の歩道が用意されていたよ。
案内板があるから迷わないで進むことが出来ます。
14時00分

 
トンネルを3本くぐって、県道が国道の上を通過する下を進むと、370m
旧道が続くけど、その入口には小さな新しい松並木があって、ボクたち
が休める石のベンチがありました。かなり疲れたボクは進めません。

14時10分

 

松並木から続く旧道をそのまま進んで、この坂を登りましょう
歩道を進んで竹橋入口交差点に行っちゃったら、右折してね。
坂を登ると右にカーブして右手に法光寺が現われるからチェック。
旧市街を260m進めば岡崎二十七曲りの入口だよ。
14時22分

 
 

ここが、欠町にある二十七曲の碑だよ。ここから複雑な街歩きが始まるよ。
二十七曲りは、徳川家康が駿府城から江戸に移った天正18年、豊臣側の
田中吉政が岡崎城に入城し、徳川ゆかりの城に入ったことから、徳川の
攻撃を恐れて作ったと言われているよ。掛川城にもあったけど、岡崎城のは
桁違いだね。兎に角攻めてくる軍勢を城に近づけたくなかったんだね。
今では高い建物が多くて、最後の方まで行かないと岡崎城は見えないよ。
二十七曲りも都市計画なんかで消滅した角もあって今では19曲りほど、
では
岡崎市観光協会の散策マップを見ながら出発しましょう。
14時29分

 
若宮2丁目交差点は、保健所のある最初の曲がり角です。ここにも二十七曲りの説明と
モニュメントがありました。昔と違って随分整備されたよと、パパは安心しました。
14時35分


ここにあった道標2種類を紹介します。右の石柱に刻まれた道標は、
昔のもので、パパは14年前この道標を目印にここを通過したんだ。
左のボクが抱きついているのが新しい道標で、次の角までの距離
まで書いてある親切で分かり易い道標だよ。道標の上のところに
”い”って書いてある白丸のしるし分かる?これは角のナンバーで
いろはにほへと、と順番が書いてあるんだよ。これを追いかければ
正しい二十七曲りを歩けるって訳さ。便利になったとパパは言いました。


”ろ”の手前にあったのは、根石寺。和銅元年(708)悪病が流行し、困った元明天皇が
行基法師に祈願をお願いしたんだ。そこで行基は六体の観音像を彫って、その内
二体をここ根石の森に勧請して十七日間祈祷を続けたところ、病気の流行が収まっ
たんだ。村の人たちは喜んで、ここに観音堂を作って観音様を祀ったんだって。
”ろ”はこれより両町角まで310mって書いてあって直進だから、次の角にある
”は”
を紹介します。ここで右に曲がって次の伝馬町角まで80mって書いてあるよ。
14時45分


80mの間に不思議な常夜灯発見。右側にある両町公民館の前に小さな祠に
納められた常夜灯の頭があるよ。この常夜灯も
秋葉山常夜燈で、寛政二年
(1790)に建てられたもので、昭和20年7月の空襲にあり、壊れかけていましたが
昭和47年10月、危険になったので頭の
宝珠を残してこの祠に保存したんだ。
岡崎で一番古い常夜燈でみんなで大切に保存しているんだって。
14時46分


”に”で左折すると伝馬通りだよ。Tenma Streetと書かれた大名行列の
フラッグが目立つよ。左の
鈴木金物店ショーケースを見てビックリ。
中にマニアックなチェーンブロックや滑車がたくさん展示されています。
分かるけど、何も実物をこんなにたくさん並べなくてもいいのになぁと思います。
14時51分


逢いたかったオカザえもん、ちょっとペラペラの2Dだけど、まっいいか。
14時53分


円頓寺の山門はまるで竜宮城の門みたい。そして遂に伝馬交差点角にある
パパがお勧めの和菓子の店、
備前屋さんが現われました。ヤッホー!
14時56分

 
 
パパが最初に東海道を旅した1989年1月22日にこの備前屋であわ雪をいただき
とても美味しくてお茶まで入れていただき感動したことから、2回目の東海道でも
2000年5月24日に寄ってあわ雪をいただいたそうです。今回は、ボクたちと
ママに是非食べさせたくて寄りました。元旦で休みかと思ったら開店していたので
みんな喜びました。備前屋は天明二年(1782)に開店した和菓子屋さんで、パパの
好きなあわ雪は、明治初年に三代目藤右衛門さんが東海道名物あわ雪茶屋の
あわ雪豆腐がなくなったのを惜しんで作ったんだよ。詳しい歴史は備前屋さんの
サイトにあるから読んでみてね。今回もボクたちはお店のお姉さんに頼んで
一口大にあわ雪を切ってもらい、お茶も御馳走になって休憩しました。口の中で
とろける様なまろやかな味で、とっても美味しかったよ。もちろん爺婆のお土産に
何本か買って行きました。みんなも岡崎を通ったら絶対に食べて行ってね。
14時57分~15時15分


備前屋の前には石の道標が有るよ。この道標は、伝馬の脇本陣杉山家所蔵の物の
レプリカだよ。でも素材も当時のままの岡崎産花崗石を使っていて、東海道と足助
街道の追分に立っていたんだ。備前屋の並びには「紙」なんて木の看板を掲げた店
など古い商家が並んでいるよ。
15時20分

 
伝馬通1丁目の交差点で左折するけど、備前屋からそこまでの間140mには
石の彫刻が道の両側に並んでいるよ。全ては撮れなかったけど一部を
紹介します。上段左は朝鮮通信使で、李氏朝鮮は将軍に向けて12回の使節団
を送ったんだ。総勢500人にもなる使節団がここを通ったので、町の人は
驚いたんだって。そのまま右へ「助郷」「飯盛り女」「人馬継立」、下段に行って
左から「三度飛脚」「塩座」「御馳走屋敷」「籠田惣門」だよ。御馳走屋敷は
これから行く岡崎信用金庫資料館の南にあって、偉い人を接待するお屋敷
だったんだ。今で言えば岡崎藩の迎賓館といった処だって。「籠田惣門」を
過ぎて左折するところに西本陣があったんだ。石碑も立ってるよ。
15時21分



60m進んだら”へ”で右折するよ。そこにも明治二年に立てられた道標があって、
上:東京道、左:西京いせ道、下:きらみちって彫られています。明治の初めじゃ
まだまだ道標が必要だったんだね。ここの歩道には
総門通りって書いてありました。
15時22分

 
 
総門通りで目立つのは、赤レンガの大きな建物、東海道歩きの人は、みんなここで
建物全体の写真を撮るからパパはちょっと凝って見ました。正面玄関の左にいるのは
ママだよ。この建物は
旧商工会議所で、大正6年に岡崎銀行本店として建てられた
んだ。戦後は商工会議所、今は
岡崎信用金庫資料館として中を観ることができるん
だけど、さすがに元旦はお休みだね。
15時24分

 
その先には籠田惣門があった場所があって、そこで右折して籠田公園を突っ切る
けど、例の道標が見つかりません。パパは不安になって先の交差点まで行って
調べたけど無かったんだ。仕方が無いのでパンフレット通りこの太い道を右折
(写真右)して道路を横断して公園内へ(写真中)、公園を横切って
籠田公園北西
交差点(写真右)へ出ました。ここには「
篭田町より連尺町角」という石の道標が
あったけど”と”や”ち”の木の道標は見つかりませんでした。ここからは
信号を渡って連尺通りを西に向かいます。
15時37分


連尺通りを進み県道を横切った次の交差点に”と”が有ったよ。”へ”と”と”の間で二回も
曲がっているのに、どう言う事?次の材木町口角まで80mに従って進むと、
”ち”
あるよ。ここには次の材木町角まで100mって書いてあります。古い石柱には
材木町口木戸前って彫ってありました。なかなか案内がダブって判りづらいね。
15時45分


”ち”から1ブロック進んで材木町1丁目交差点には”り”があるから従って右折だよ。
途中、歩道には
本町通りって書かれています。2ブロック行って、ファミリーマートの
角に”ぬ”があり、次の柿田橋角まで350mって書いてあります。行くと、
”る”
見つけたよ。そこには次の三清橋角まで190mだって。
15時54分


”る”で左折すると、伊賀川に沿って次の橋まで土手を歩きます。
ボクたちは、川が好きなので川岸の歩道を歩くことにしました。
15時56分


次の三清橋に着いたら右折して橋を渡ります。ここには木製の道標は無く
更に石道標にはこんなペットの注意書きが張られていて読めません。
パンフレットでは、この先がややこしくて、国道1号線に出るまでに5回曲がる
けど、実際に道標に従ってゆくと1回で国道に出てしまうよ。写真中が
橋を渡った後、最初に曲がる場所で
道標も、こんな感じ。国道に出ると
石の道標が有って土台には、国道はここでは渡れないから横断歩道橋へ
行って戻って来いって書いてありました。段々いい加減になってるみたい。
16時07分


国道1号線を渡る八帖交差点の横断歩道橋は凄いよ。楕円形を二つ
あわせたようなデザインなんだ。こんな時ボクたちは急に元気になって
ぐるぐる一周走り回ってしまいます。橋は国道1号線だけを渡って、
国道248号線は渡らないでね。ややっこしいけどさっき出てきた
対岸へ進めばいいんだよ。
16時09分



国道1号線を引き返すように進むと、この場所で右折ですが道標は無いよ。
少し進むと右上に東海道と二十七曲りの標識があるから正解と分かります。
250m、4分ほど進むと道路標識の柱に
佐武の手のひらほどの幅の
小さな二十七曲り標識を見つけ、ここで右折することが分かります。あまり
小さい標識なので拡大してみました。
16時16分


途中で岡崎城の天守が見えたので城マニアのママは大興奮。
疲れたというボクたちを道端に置いて、パパと二人でお城に
行ってしまいました。ボクたちが待っているので、兎に角
天守閣をそばで見てきただけといって10分ほどで帰って来たよ。
16時18分~28分


さっきの角で右折するとすぐに板屋町角の石柱が出てきるから間違いないね。
その先の
中岡崎町交差点で国道248号線を横断して50m進んだところが
今回の旅のゴールだよ。ここで左折すると、260mで名鉄
岡崎公園駅なんだ。
電車に乗って、車を置いてきた豊川稲荷駅に戻ります。今回で日本橋から335km
歩いて来ました。中山道だと中津川宿と同じ距離だって。お疲れ様でした。
16時32分

 

豊川稲荷駅に戻ったボクたちは、有名な豊川稲荷に初詣に行きました。
ここで鰻を食べて、車で東京へ戻りました。さあ明日は箱根駅伝だ。


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