平成26年元旦は、藤川宿から岡崎宿まで歩きます

第29日目 2014年1月1日

平均気温5.2℃ 最高気温12.5℃ 最低気温0.2℃ 平均湿度--% 最大瞬間風速8.6m/s 降水量0.0mm 日照時間4.4時間
気象庁電子閲覧室より引用


3日目の朝食をホテルクラウンヒルズ豊川のバイキングで摂って
名鉄で
本宿駅にやってきたよ。この駅は1992年に高架駅に
なったんだよ。
manacaPASMOと相互乗り入れしたので、ボク
たちのPASMOでピッと出られました。便利になったね。駅の下には

ふりむけば 額田の里は 夢街道

9時14分


御油・赤坂宿と藤川宿に挟まれた本宿は、法蔵寺の門前町として
栄えた村で、立場茶屋が二軒あって旅人の休息で賑わったんだよ。
東海道中膝栗毛には
、「ここは麻のあみ袋、早縄などあきなふれば
北八、みほとけの誓いとみえて宝蔵寺、なみあみ袋はここの名物」

ってあるので、古くから麻細工がさかんだったんだ。街道右側には
一里塚跡の石柱が立ってます。左には揚珠院があり、祠が目立つよ。
9時19分


この古い家は、宇都野龍碩邸跡の長屋門だよ。宇都野さんは、岡崎市
古部町出身の蘭方医なんだ。シーボルトの弟子だった青木周弼に医学を学び、
この場所で開業したんだ。安政年間には画期的といわれた種痘を施したんだよ。
写真にカーソル合わせると、今の長屋門がどんな環境にあるか分かるよ。
後ろに見えているマンションは、
レジデンス本宿苑だよ。昔の人が驚くね。
向かいには、
サークルK岡崎本宿店があって、パパは今年まだ旨い珈琲
飲んでなかったといって、入っていってしまいました。朝の
珈琲はパパの定番。
9時22分

 

サークルKには、元旦らしく鏡餅と松飾りがあったよ。すっかり忘れていたけど
今日は元旦だったんだ。平成26年、2014年の元旦です。
9時33分


少し行くと、旧道が国道に合流します。そこの三角地にあるのが
是より東、本宿村の案内板です。カーソル載せると、2000年
5月24日の同じ場所が見られるよ。案内板や後ろの広告は変わった
けど、石柱は14年経っても変わらないね。ここで国道1号線を
対岸の右側へ渡ってください。
絶対に渡って下さい。何故かと言うと
次の旧道は右側にあって、旧道が出てきた場所は中央分離帯に
フェンスがあって渡れないよ。トンネルをくぐればいいけど階段だよ。
国道の道標には名古屋51km、知立25km、安城22km。
9時43分


国道の右側を進んで行くと、突然広いパーキングみたいな場所があったよ。
そこでパパは、みんなにクイズ。「さて、ここは何でしょう?」でも誰も分かりません
答えは、
過積載のトラックを取締る場所なんだって。トレーラーも乗っかる
大きなはかり(台貫/トラックスケール)があって、荷物を積みすぎたトラック
に違反切符切る場所なんだ。でも一度見たら憶えて過積載の場合は通らない
ね、知らないトラックだけが捕まっちゃたんだね。でも今は閉鎖されていたよ。
9時52分


向こうから名鉄のパノラマスーパーがやってきました。ボクたちの町の
小田急線のロマンスカーみたいに最前列のお客さんは前が直接見えるよ。
でも小田急は運転手さんが上にいるけど、名鉄は下にいたよ。遠くに
〒マークとSECOMの看板が見えたらそこが旧道分岐だよ、このフェンスの
切れ目を降りて旧道へ向かうよ。
9時59分


旧東海道に入ると直ぐ右に名鉄の名電中山駅があります。駅まで23m
とっても近いから便利だね。交番・NTT・二つの鳥居を過ぎると左に、
是より西 藤川宿の案内板があります。そこには付近の名所の
説明が書かれています。行かれない人のために全部を写しました。
10時15分


 舞木町の由来
 舞木の地名は、山中八幡神宮記の一節に、「文武天皇(697~
 707)の頃、雲の中より神樹の一片が、神霊をのせて舞い降りる」
 と書いてあることから、「木が舞い降りる」を取って「舞木」とつけた
 といわれます。また舞木村は、昔は山中郷に属していましたが、
 慶安元年(1648)に幕府の三河代官が同じ山中郷で隣村である
 市場村の一部六十八戸を藤川宿へ移転させたため、昔の市場
 村の一部と舞木村が合併して、現在の舞木町になったと言われ
 ています。

 
 
 山中城址
 起伏を利用した室町時代の典型的な山城で、眼下に東海道と
 額田群南部に至る吉良道、現在の蒲郡市方面に至る西郡道な
 どの街道をおさえる交通の要衝に位置していました。山頂(標高
 二百四メートル)と山腹一帯を東西四百メートルの規模で主郭・
 二の郭を中心として帯状の曲輪が囲む三河地方最大規模の連
 郭式山城でした。岡崎松平氏の三代信貞の城でしたが、大永四
 年(1524)に安祥松平氏の清康の命により大久保忠茂らによって
 攻略され、以後家康の祖父の清康のものとなりました。

 
 山中八幡宮
 
デンデンガッサリ
 市指定無形民族文化財。室町時代に始まる五穀豊穣を祈る古式
 床しい素朴な御田植神事で正月三日に行われ、歌詞のはじめに
 「デェンデンガッサリヤー」という詞があるので、こう呼ばれるように
 なりました。祭りの内容は、田をあらわす太鼓を中心に「前歌」「後
 歌」「せりふ」「所作」の四部に分かれています。

 
 鳩が窟
 
永禄六年(1563)の三河一向一揆の戦いで、家康が敗れて逃げ
 隠れた洞窟といわれています。洞窟の中から白鳩が二羽飛び立
 ったので、追手の兵は「人のいるところに鳩などいるわけはない」
 といって通り過ぎ、家康は難を逃れたといいます。

 
 大クスノキ
 
樹齢六百五十年と推定され、根回り十四メートル、主幹が二股の
 御神木で均整のとれた広い樹冠は屈指の樹姿です。市指定天然
 記念物。






本宿の外れには山網川を渡る舞木橋があります。正面には目立つ
マンションがあるよ。右手には永證寺があります。
10時17分


国道に合流する手前には少し松並木があるよ。そこにあった石碑には
御身隠山と書いてあります。向こうに見える赤い鳥居が山中八幡宮の
鳥居で、その後ろの山の中に八幡宮があって、そこに家康が隠れた
鳩が窟があるんだ。家康が隠れたから山中八幡宮のことを御身隠山と
呼ぶようになったんだよ。街道から370mだから寄ればよかったかな。
10時21分

 
 
国道1号線を680m歩きます。途中にキロメートルポスト318があるよ。
ボクたちは323kmだから誤差5kmになったね。周り中田んぼだけど
後ろの二つの建物は目立ちます。
10時22分


ホテルの正門に来ると、山中八幡宮へ登る裏参道がありました。とっても急な階段です。
入口の石柱には
御開運御身隠山って彫ってあります。ここをお参りすると運がよくなる
のかなぁ。旧道入口まで少しだったけど景色が良かったので休憩したよ。入り口が
近づくと左は大きな工場です。看板には
ジェイテクト岡崎工場って書いてあります。
自動車の部品を作っている会社だよ。12も工場があってその一つなんだ。
10時40分

 
 

工場前は、市場町という信号で、その先左へ入るのが旧東海道だよ。
そこは
東棒鼻といって藤川宿の東の出入り口。普通は見附といって
番小屋なんかあったけど、棒鼻はどうだったんだろう。広重が東海道
五十三次藤川の「棒鼻の図」を描いたから再現したんだって。確かに
広重の絵には朝廷への献上馬を宿場役人が出迎えているところ
なんだけど、両側には石垣が書かれていて宿場の入口って感じ
だね。藤川宿は西棒鼻までの1100mだけど見所がある宿場だよ。
10時41分


右に秋葉山灯籠を見て少し行くと、右の民家に二宮尊徳の石像があったよ。
普通小学校の校庭にあるのは見たことあるけど、個人の家にあるのは
始めてみました。学校からもらったのかなぁ。宿場道は
登りになります。
10時45分


山の麓にある津嶋神社は、名鉄と山綱川と国道の向こう側。昔は川を
渡れば行けたのに今は大変です。
山下清が清見寺で語った言葉を
思い出しました。お寺より汽車が大事なんだなぁ。ここも現代人の
交通が最優先みたいだね。裏山をトンネルで通れば、みんな同じ条件の
阿弥陀寺や徳性寺も人たちも喜んだろうね。鳥居の先には藤川宿の
広い
駐車場がありました。車で見学に来る人も便利だね。トイレも
有るから歩いて来たボクたちも、助かりました。ありがとう。
10時48分


宿場内で一番目立つ建物はこれ。人形店の粟生だよ。
歴史は浅く、昭和38年に始めたんだけど、職人の腕は確かみたい。
10時54分


向かいの駐車場は、高札場跡だよ。ここには横237cm、縦53cmの高札が
8枚あったんだ。現在岡崎市の文化財に指定され6枚保存されています。
3枚は資料館に有るっていうから楽しみだね。直ぐ先右は
問屋場跡だよ。
この問屋場跡の記録によると、問屋2人・年寄五人・帳付4人・飛脚番6人
人馬差6人・小使6人で役割を担っていたんだよ。
10時56分


本陣跡(写真左)にやってきたよ。でも工事中。いったいどうしたんだろうとパパ。
きっと観光客を呼ぶために綺麗に整備しているんだね。なにもこんなにしなくても
昔のままを再現して欲しかったね。でも昔はどうなっていたかパパも憶えていない
というので、ただの民家だったかもしれないね。ここが本陣と分かるからいいんじゃない。
隣は
脇本陣跡だよ。
10時59分

 
 
ここが脇本陣跡の藤川資料館です。高札見たかったけど、さすがに元旦の今日は
お休みでした。江戸時代後期にここを営んでいたのは大西喜太夫で橘屋って
呼ばれていました。この門構えは本陣と脇本陣だけに許された形なんだよ。
ここ藤川は何度も大火に見舞われたんだけど、残っているこの建物は貴重なんだ。
11時00分


脇本陣の左手から裏に回りこむと、むらさき麦の栽培地と本陣の石垣
見られるよ。むらさき麦は300年ほど前芭蕉が一面に紫色に広がる畑を
見て句を残したんだ。でも戦後作らなくなってしまい、幻の麦となったので
地元の人が努力して平成6年から作り始めたんだよ。見たい人は写真に
カーソルを合わせてね。パパが14年前に撮ったむらさき麦です。
11時06分

 
 
裏を観て戻ろうとしたら絵になる風景が、ママをモデルに古いけど
ディスカバージャパンのポスターになりそうでしょう。(パパ)


岡崎市立藤川小学校には、西棒鼻跡がありました。隣にある歌碑には
広重の師匠歌川豊広が描いた浮世絵の中にある
狂歌が刻まれてるよ。

藤川のしゅくの棒はなみわたせば 杉のしるしとうで蛸のあし

「杉のしるし」は牓示杭、「うで蛸のあし」は藤の花がぶらさがって咲いている様子
なんだよ。面白いでしょう。ここで藤川宿は終わりです。
11時15分

 
 
 

小学校が終わる角には、十王堂(写真左)があります。
十王については、パパが塩の道で紹介したけど、探すのが
めんどくさいので、ここでまた紹介してもらいましょう。

十王とは地獄で待ち構え亡者の審判を行う裁判官たちです。
人々は亡くなると中陰となり、初七日・四十九日と、この十王
一人一人に七日ごと七回裁かれ、更に決まらない場合三回裁か
れると言われています。それで地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・
人道・天道の六道いずれかに行くわけですが、ここで信仰を厚くして、
三悪道だけは行きたくないというのが人々の心情だったのでしょう。
私も思わず、三悪道だけは勘弁してくださいとお願いしました。
それでは十王を紹介しましょう。

 十王   読み方  本地 審理 
 秦広王  しんこうおう 不動明王  初七日
 初江王  しょこうおう 釈迦如来  二七日
 宋帝王  そうていおう 文殊菩薩  三七日
 五官王  ごかんおう 普賢菩薩  四七日
 閻魔王  えんまおう 地蔵菩薩  五七日
 変成王  へんじょうおう 弥勒菩薩  六七日
 泰山王  たいざんおう 薬師如来  七七日
 平等王  びょうどうおう 観音菩薩  百か日
 都市王  としおう 勢至菩薩  一周忌
 五道転輪王  ごどうてんりんおう 阿弥陀如来  三回忌

この十王堂の創建は不明だけど、十王が座る台座には宝永七庚寅年
七月って書いてあるので十王堂もその頃らしいです。敷地内には
芭蕉の句碑があるよ。さっきのむらさき麦を歌った句を紹介します。

爰も三河 むらさき麦の かきつばた はせを

写真右は、一里塚跡だよ。
11時16分

 
 
小さな松並木を抜けると展望が開け、左の名鉄の向こうの山に大きな建物が
これは
愛知産業大学通信教育学部と三河歯科衛生専門学校だよ。
その先はY字路になっているよ。ここは
吉良道追分で、左が吉良道、右が
東海道です。江戸時代の吉良道は参勤交代の行列、助郷勤めの出役、
海産物の搬入路などの重要な脇街道でした。また伝説に茶壷道中が
ここを通ると雨が降るという「茶壷のなみだ雨」の話が残っているよ。
右へ進むと名鉄名古屋本線の
踏切を渡って進みます。
11時26分

 
 
踏切を渡ると天然記念物に指定された藤川の松並木が続くよ。1kmの間に
90本あまりのクロマツが植えられています。佐武は松の根元に上がって
駈けずり回っているけど、ボクはママに掴まってやっと歩いている状態です。
11時33分

 
国道1号線とまた合流です。そこには真新しい藤川宿の大きな案内板がありました。
国道に出たボクたちは、元気が出るようにパパに
アスパラドリンクDXを買ってもらったよ。
いつも元気がなくなったときにボクが飲んでいる魔法のドリンクだけど、今日はパパと
佐武も一緒に飲みました。飲んだパパは、何だか身体が熱くなって元気が出てきたと
驚いていました。やっぱり効くでしょう。国道は
竜泉寺川に向かって下ってゆくよ。
11時39分


坂を下りきる直前で左の旧道に入りましょう。目印は愛知産業大学の留学生会館
美合寮だよ。これを左に見て竜泉寺川を渡り太い道も渡ると、
中華料理店三国志
14年前もパパはlここでチャーハンを食べたんだ。ボクたちは一押しのチャーハン
を食べたけど、パパはお店に人お勧めの
「まぜめん」をいただきました。
お店に人に昔ここで撮った写真を見せたら驚いて喜んでくれました。パパは、
また14年後に来るから繁盛させて頑張ってねっていいました。
11時55分~12時48分

 
美合新町交差点の先に、素敵な民家がありました。新しい家なんだけど
街道沿いの町屋を意識したデザインで、長いこと街道を歩いてきたけど
こんな素敵で立派な意識を持って新しい家を建てた人は見たこと無いって
絶賛していました。停まれの道路標識がある県道を横切ると、竜泉寺川と
山綱川が合流し乙川に注ぐところの橋を渡ります。何とこの橋の名前は

高橋といいます。なんか人の名字みたいだね。河原には青サギがいます。
13時03分


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