楽しみにしていた弥次喜多茶屋はお休みでした


この信号機の無い小さな交差点が、
東海道と姫街道の合流点だよ。
ここには秋葉山三尺坊大権現道碑や常夜灯があって目印になるよ。
13時08分


この写真は、東海道側に入って右から東海道、左から姫街道が合流する様子を
振り返ったものだよ。左の写真は2000年1月30日、13年まえのものだよ。
赤いジャケットを着ているのがパパだって、随分細くて髪の毛たくさんあるね。
二股にあった美容室岡田も無くなって、変わらないのは上空の停まれの標識ぐらいだね。


東海道を進むと音羽川を御油橋で渡るよ。13年前と比べ土手の桜の木が
随分大きくなったなぁってパパが言ってます。ボクたちは相変わらず
川の中を覗いて魚を探します。
13時16分


橋から220m、右手にベルツ花夫人ゆかりの地という案内板がある角を
右折します。ベルツ花夫人という人は、東京神田で1864年に生まれ
江戸・明治・昭和を生きた人で、明治政府がドイツから招いた日本近代
医学の祖といわれるベルツ博士と結婚したんだ。1905年任期を終えた
ベルツ博士と共にドイツへ行ったのだけど、博士が亡くなって1922年
帰国して1936年74歳で亡くなったんだよ。夫人の父親の生まれた家が
この場所にあった戸田屋という旅籠だったから夫人とゆかりがあるんだ。
13時21分

 
 
山下清 東海道五十三次より
御油という鉄道の駅はいまは名前が三河御津になって むかしの御油は
御津町でなくて豊川市で そのすぐそばの赤坂は音羽町で 御油も赤坂
も町の様子がとってもよく似ていてなんだか頭のなかがごちゃごちゃに
なるな 名前の方はこんがらがってるけど、町は両方ともさっぱりして
いい町だな ぼくは放浪しているとき めったに宿屋にとまったことがない
けど この町なら値段が安ければ とまってもいいな


パパが買い取りセンターで買った本には御油のことがこんな風に書いてあったよ。
この絵には本陣が4軒もあるって書いてあるけど、何処にあったか分からないね。


ベルツ花夫人の角から100m行くと少し大きな道に突き当たります。
突き当りには郵便局があって、その裏に
御油の松並木資料館
あるよ。ボクたちは早く弥次喜多茶屋で休みたいから寄りません
でした。角を左折すると、街道の両側に工場があって上空に
ゆっくり走ろう御油の松並街道という交通標語がありました。
工場はイチビキという会社で、パパが前に来たときは道路際に
大きな樽があったっていってたけど、今は何もなかったね。
13時21分


御油宿核心部は格子の家が増え旧街道らしい町並みです。
歩いてゆくと遠くに大きな松の木が見えて来たよ。
13時30分


ここから御油の松並木が始まるよ。赤坂までの400mに大きな松が
並んでいるんだ。ここは山と山に挟まれた狭い場所で平地の幅は
600m程なんだ。その間に名鉄名古屋本線、国道1号線、音羽川
そして旧東海道が入っているんだよ。この谷は本宿まで続き、
段々狭くなって最後は300mの幅になっちゃうよ。ボクも本宿まで
の緩い上り坂に泣いたんだけど、東海道本線も大変で、JRは勾配の
緩い蒲郡経由になったんだ。おかげで御油は静かな街が残ったんだよ。
今では名鉄が通っているから便利になったんだ。
また、この場所は
御関札立掛場だったんだよ。御関札というのは
参勤交代で通る大名が、本陣に泊まるとき事前に本陣に予約する
けど、それを受けて本陣はこの場所に幅45cm、高さ1mの札を
6mの竹ざおの上に掲げたんだ。札には宿泊年月日・大名の名前
これから行く先が書かれていて、普通の旅人も本陣に誰が来るか
分かったから、注意しながら通行することが出来たんだよ。
13時31分


待ちに待った弥次喜多茶屋に到着しました。でも入口にお休みの張り紙が・・・。
そうだよね、こんな大晦日にお客をかまっている暇はないもんね。うどんや
ソバの写真が並んでいて、ボクたちはすごくガッカリしました。
13時36分


仕方が無いので、隣の公園で休憩することにしました。陽だまりのベンチに座って
休んでいたら、ブランコがあったので思わず昔に戻って乗ってしまいました。
13時45分


御油の松並木は、昭和十九年に国の天然記念物に指定されたんだ。
また、日本の名松百選にも選ばれているんだよ。ボクたちが通ってきた
ところにあるのは、中山道の立科町にあった笠取峠の松並木だよ。
あとそばを通ったのが沼津の千本松原と、街道の帰りに寄った
三保の松原、パパは甲州道中で行った武川村の万休院の舞鶴松
そうなんだ。この先にもあるのかなぁ。
13時54分


そろそろ赤坂が近づいた頃、自転車のおばちゃんが自転車から
降りてボクたちに話しかけてきました。子供がリュック背負って
歩いていれば地元の子ではなく旅人だって分かるみたい。
何処から来たのか、これから何処まで行くのか、おばちゃんは
興味津々だったよ。そうこうしている内に松並木が終わったよ。
そこにあったのは、
見附跡の案内板だよ。ここの見附は赤坂宿の
東見附で、昔はここに石垣と門があって番小屋の人が宿場に
入る人を監視していたんだ。寛政八年に代官辻甚太郎が、
東見附をここから関川神社前に移築したんだ、しかし明治七年
には取り壊されたんだよ。
13時57分


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