姫石に座ったボクたちには幸運ではなく不運が!

ここが、最高地点の引佐峠だよ。到着は11時45分、ちょうどお昼ご飯の時間です。
今日のコースにレストランは無いので、コンビニでお弁当を買ってきました。
標高は200mと低いのですが、気賀が1.9mなので、ほぼ標高の高さを登った
ことになるね。下の東屋も良かったけど、ここにもベンチがあって、おにぎり食べる
にはちょうど良いよ。あとは下るだけだからほっとしました。
11時45分~12時14分


東屋からここまでは2分だから、人数が多い場合は東屋で昼食がいいよ
そこにはトイレもあるから女子でも安心だね。今日はオレンジロードに
バイクが一杯で、東屋の場所はとてもうるさいから静かな方がいい人は
ここまで登った方が良いかもしれません。

 

峠から5分ほど下ったところに象鳴き坂がありました。とても急で滑りやすいから
注意してね。しかし、ボクは、この手前で転んでしまって手首や膝を痛めてしまった
んだ。姫石の祟りだと思ったよ。姫石に座ったら良い事があるって書いてあったけど
悪いことが起こったじゃん。でもママは姫石のおかげで、大怪我にならなかった
のよ、と言いました。もしかしたら本当かもしれないと思いました。
象鳴き坂は、享保十四年(1729)ベトナムから来た象がここを通ったとき、急な
坂で悲鳴をあげたので、村人がこの坂を象鳴き坂って付けたんだ。
ベトナムの象というのは、中山道の武佐のページに出てくる象で、長崎に上陸し
陸路を京都まで来て、その後中山道に入り途中から東海道を来たのだけど、
浜名湖の今切の渡しを避けて姫街道に入ってきたんだ。
12時24分


更に5分ほど下ると、右側に石垣が現れました。かなり古そうな石垣で、街道沿い
から上に5段ほどあり、1段1段の面積が広いので、昔何かが建っていたように
思いました。それとも段々畑でもあったのかなぁ。その先には
石投げ岩という
岩があって、上に小石がたくさん乗ってたよ。石を投げて旅の無事を占う岩なんだ。
早速ボクたちも小石を投げて旨く載せようと頑張ってみたよ。パパは初球を
落としたので、何か悪いことが起こりそうだね。
12時33分


また5分ほど行くと、左の景色が開けてきました。これから向かう駒場
集落方面です。坂も緩くなって快適な道になりました。
12時40分

 
 
まだ少し膝が痛いので、木陰で小休止。風がとても心地よく、車もまったく
いないので道の真ん中に座って休憩しました。ここで左から来る道と合流。
12時49分~56分


この辺りから左側は和田牧場が続きます。牛の声や匂いも風に乗ってきます。
ヤギさんものんびり草を食べていました。ヤギさんといえば、和光鶴川小学校の
アイドルヤギが死んじゃったんだ。ボクは1年生から6年生まで世話してきたので
残念です。左に現れたのは、70番目の大谷一里塚跡だよ。
12時58分


振り返ると、和田牧場の牛舎の向こうに、お昼ご飯を食べた引佐峠
見えました。後ろの山の一番低いところだよ。もうこんなに来ちゃった。
13時04分


牧場が終わってみかん畑の丘を見ていたら、畑の中にこんな大きな岩
発見。お家くらい大きな岩で、まわりに岩山が無いのでどこから来たん
だろう。三ケ日建設の作業所に突き当たったら、左へ進むとこの六部さま
の森があるよ。その下に手すりで囲まれた水準点を発見。国土地理院の
2万5千分の1地図に無い水準点だ。
13時10分


左が、小山の上に祀られた六部様、六部様というのは明和四年(1767)この辺りで
行き倒れになった修行僧円心のお墓だよ。背負っていた厨子と中の仏像は、
大谷の高栖寺に子授観音として祀られているんだって。一方
水準点には、こんな
注意書きが有ったよ。


注意
此の標石は當地方一帯の土地の高さを
測量する為の基準になるものであります
此の標石を毀損し又は悪戯を為したる
者は法律により処分せられます
陸地測量部


陸地測量部というのは、明治四年から戦前まで続いた国土地理院の前身
なんだって、そこが作った水準点だから今は利用されていないのかもね。
でも土地の人はこの注意書きがあったので、大切にしてきたんだね。
パパは、六部様の写真を撮りに行って街道に戻ろうとしたとき転んで
右手から血が出てしまいました。今度は六部様の祟りかなぁ。
13時10分


六部様の先でT字路になるから右へ進みます。そのまま川に沿って真っ直ぐ
進むと止まれのT字路(写真右)に突き当たるから左折してください。
そこは追い越し禁止の黄色いセンターラインのある
県道308号線です。
13時18分


県道を緩やかに登ってゆくと都築大谷川を渡るよ。下を覗いたら小さな魚が
いっぱい泳いでいたよ。この辺の川は何処へ行っても綺麗で魚がいるんだ。
13時21分


坂の途中に姫街道案内図がありました。引佐峠から三ケ日までの絵図で、
この付近の大谷代官屋敷跡・近藤家陣屋跡・伝安形伊賀屋敷跡が出てるよ。
お屋敷がたくさんあって昔は裕福な土地だったんだろうね。
13時22分

 

坂を登りきると道はY字路になるよ。県道は左だけど、姫街道は右へ進んでね。
ここが三ケ日駒場の集落です。短い集落だけど、
半鐘を見つけたり、マキの
生垣に
帆掛け舟が作られたりして楽しめます。
13時29分

 

駒場の集落は突然東名高速の塀に突き当たりました。案内板にあるように
昭和44年に分断されちゃったんだ。仕方ないので右折し坂を下って。
13時36分


坂を下りきったら左折して東名下のトンネルをくぐります。上は三ケ日インターだよ。
トンネルを抜けると田園風景が広がります。水を張った田圃のあぜ道に
ケリ
カエルを狙っていました。カエルの声を今年初めて聞きました。
13時45分

 
田園風景の中をくねくね進むと、止まれのある交差点に突き当たります。でもT字路
じゃあなくて、真っ直ぐ進む道があるよ。そのまま真っ直ぐ進んでください。登って
行くとY字路になるので、東名の下をくぐる
トンネルに入ってね。出るとUターン
するように、登って東名高速と同じ高さの側道になります。トンネルの手前に良い
木陰があったので、ここでも地面に腰を下ろして小休止しました。
13時48分~14時06分

 
 
東名高速と並んで歩いてゆくと、姫街道の方がだんだん高くなるよ。
その一番高いところにあったのは、
大里峠の標識です。本当の大里峠は
看板の後ろに入ったところで、雨が降ると街道が川のようになった道です。
だから昔はわる坂と呼ばれた難所でした。今はここが峠だよ。
14時12分


400mほど東名高速と一緒に進んだら、東名を渡る橋が出てくるから左折して
渡ってください。橋のたもとに分断された案内板がここにもありました。
14時14分


坂を下ってゆくと、正面に今回のゴールである三ケ日の町が見えて来たよ。
ここから三ヶ日駅まで直線で1500m。うれしいようなさびしいような気持ちです。
14時18分


みかん畑の中にあったのは何故か漁船。何のためにこんなところに置いて
あるんだろう。津波が来たらこれで逃げるのかなぁ。
14時20分


下りきって田圃の中の直線道路を進むとこの交差点に突き当たります。
ここで細い道を真っ直ぐ進んで登ってゆきます。今日最後の登りだよ。
14時28分


坂の上には宇志の茶屋跡(写真左)があったよ。姫街道にはいたるところに茶屋が
あって旅人が休めたんだけど、ここの茶屋は大名や姫など身分の高い人が
休んだって記録が「宿村大概帳」に書いてあるんだって。次に出てきたのは
高札場跡だよ。ここは宇志村というんだけど、ここが村人が一番集まる場所だったんだ。
14時30分



周りはみかん畑が続いています。三ケ日みかんは有名なんだ。江戸時代の中頃、
三ケ日の山田さんが紀州みかんの苗を持ち帰って植えたのが始まりなんだ。
その後、加藤さんが実の大きな温州みかんを持ってきて成功したんだ。今では
静岡県最大のみかん産地で4万トンも出荷しているんだ。
14時35分


次々と太い道路と合流を繰り返すけど、とにかく真っ直ぐ進むと緩やかな
登りになり、下り口に71番目の
三ケ日一里塚跡が有ったよ。ここから左へ
坂を下れば三ケ日宿だよ。ヤッターやっとゴールだ!
14時38分


坂を下りきって平になった場所に三ケ日郵便局が、前に三ケ日宿の
標識が立っていたよ。その先信号のある交差点は、
別所街道
姫街道の交差点だけど、ここが今回の
ゴールです。この交差点を
左折すると
三ヶ日駅だよ。次の信号を左折し、その次の信号を右折
すると490mで駅まで行けます。
14時46分

 
またもや、電車の時刻まで1時間ほどあったので、併設された
GRANNY'S CAFEでハンバーガーをいただくことにしました。
店内は赤と白のインテリアで、作っていたおばちゃんも紅白でした。
ハンバーガーはシンプルだけどとても美味しかったよ。
ここから天竜浜名湖鉄道で天竜二俣駅へ行って、留めておいた
マイカーで帰宅します。では、また逢おうね。バイバイ!


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