ゴールの掛川城には忍者とお侍さんが待ってました!



小夜の中山の扇屋のおばちゃんが通っていた小学校は、日坂の
扇屋本陣跡になってたよ。
10年前にパパが来たときには保育園があったんだって、でも今は広い芝生の庭になってます。
子育て飴も本陣も同じ扇屋というのだ面白いね。ここ日坂の宿も大井川の川止めの影響で
随分賑わったんだ。旅籠が33軒もあり、街の長さも700mあって、昔と変っていないよ。
12時18分


 
 扇屋は、代々片岡家が世襲で営んでいたんだ。本陣の
 広さは敷地350坪、建坪220坪、嘉永5年の
 大火で全焼し、明治三年に店じまいしたんだ。
 その後、明治12年日坂小学校になったんだよ。


日坂宿にも他の宿場のように
屋号の看板が掲げられているよ。左は池田屋、その隣が
脇本陣の黒田屋
だよ。日坂宿の屋号が書かれた地図をもらえるけど、ここで見たい
人はリンクをクリックしてね。この先、川坂屋の向こうで川を渡るけど、その先の宿場町
には屋号が空白の家が目立つでしょ。この地図を作るとき町の人に掲載の許可をお願いし
たところ、あまり良い屋号でないお家は、掲載を遠慮したんだって、だから空白なんだ。
確かに、ゴミ屋とか便所屋なんて屋号だったらボクたちも遠慮しちゃうかも。
12時29分


パパはお酒が大好きで、こんなものが並んでいるとつい引き付けられてしまいます。
隣は屋号
かえでやと藤文が合体した家だよ。ここには公衆トイレがあるから休んで行ってね。
この建物は、日坂宿で長い間問屋役を務めた
伊藤文七の屋敷で、明治からは日本最初の
郵便局のひとつだったんだ。藤文が江戸末期、かえでやが明治初期に作られた建物だよ。
12時30分

 

逆川に向かって下り坂になるところにあるのが、旅籠だった川坂屋だよ。この建物は掛川市の
有形文化財で、そのまま見学できるんだ。入館料は無料だけど、開いているのは土日と祝日の
午前10時から午後4時だよ。年末年始と9月中旬のお祭りのときはお休みだから注意してね。
早速、中に入ってみましょう。
12時35分



 大阪の陣(慶長十九年の冬の陣と翌年の夏の陣)で深手を負った武士太田与七郎源重吉は
 長松院で手当てを受け、その後日坂に居住しました。旅籠屋「川坂屋」はその子孫で寛政年
 間に問屋役を務めたこともある斉藤次右衛門が始めたと伝えらています。現存の建物は宿場
 の殆どが焼失した嘉永五年「日坂宿大火」後に再建されたものです。宿で一番西にあった旅
 籠屋で、日坂宿では江戸時代の面影を遺す数少ない建物の一つです。
精巧な木組みと細か
 な格子
が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのことです。また、「川坂
 屋」には脇本陣などという肩書きの着いた資料は見られませんが、床の間付きの
上段の間
 あり、当時禁制であった檜材が用いられていることは、身分の高い武士や公家なども宿泊した
 格の高い旅籠屋であったことを伺わせます。旅籠屋としては本陣と同じ明治初期に廃業した
 ようですが、当家に伝わる維新政府の高官、山岡鉄舟・巌谷一六・西郷従道などの書から
 推測しますと廃業以後も要人には宿を提供したと思われます。その後平成五年まで斉藤家の
 住居として使われ、平成十二年修理工事が竣工し、現在に至っております。敷地は三百余坪
 ありましたが、昭和二十五年の新国道開通で分断され、その後、平成七年のバイパス工事に
 より明治元年に掛川城主太田候より拝領した「元掛川偕楽園茶室」も移転を余儀なくされま
 した。茶室は平成十五年母屋の北側の地に復原されました。




ここが上段の間よ。精巧な木組みと細かな格子が素晴らしいでしょう。


ボクたちが気がついたのは、この雨戸の敷居(写真左)だよ。下から見上げたところだけど
雨戸が曲がれる工夫がないんだ。というのもボクたちは興津の坐漁荘でクルっと回る雨戸を
見せてもらったから、どうなっているのかおじさんに聞いたら、ここはその都度外して反対側に
はめるんだって。ちょっと面倒臭そうだけど、シンプルでいいかも。中を案内してくれたおじ
さんも確か片岡さんだったかな。きっとこの宿の偉い人の子孫なんだね。ノートにボクたちの
こと書いてきたから、平成24年4月で探してみてね。

 
帰り際に片岡おじちゃんと記念撮影です。分かりやすい説明ありがとうございました。
12時54分


坂を下ってくると右側に高札場跡、その隣の逆川の古宮橋手前には下木戸跡があります。
12時55分

 
川の先にも宿場は続き、糀屋からその並びの三河屋の前には、賜硯堂成瀬大域出生の地碑
建ってました。成瀬大域はここで生まれ、上京して書を習い、宮内省に入って諸葛孔明の出師
表を楷書と草書で書いて明治天皇に献上したら、褒められて楠正成愛用の古い硯をもらったん
だ。それから自分のことを賜硯堂って呼んでたんだよ。さっきの川坂屋上段の間の襖の書は大
域の書だって。この硯は、現在掛川市の二の丸美術館に展示されているんだって。
12時57分


少し行くと日坂の宿もおしまいで、旧国道へ出ます。そこで横断歩道橋を渡ると、
目の前には大きな森が、ここは
事任八幡宮という古くて大きな神社だよ。
早速、小さな太鼓橋の端を渡って境内へ。ところで事任ってなんて読むと思う。
ことのままって読むんだって。ボクにはじにんとしか読めないんだけど。
13時02分

 

大きな木でしょう。これは天然記念物のクスノキだよ。高さは31m、目通り6m、
根回り19.3m。凄い大きさだね。裏にはとても大きな杉の木もあったけど、ボクたちは
この木が気に入りました。


藤枝の須賀神社のクスは触れなかったけど、ここのクスノキは一箇所近づける歩道が
造られていて、木に触ることができるんだ。木からエネルギーをもらう
パワースポットだよ。
本殿入口には神社の由来が書いてあるから読んでみましょう。

 
   御 由 緒

 
 創立年代未詳 大同二年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武帝の勅を奉じ 
 旧社地本宮山より現社地へ遷座すという延喜式(927) 神明帳に佐野郡己等乃
 麻知(ことのまち)神社とあるのはこの社なり 古代より街道筋に鎮座 遠江に座す
 願いことのままに叶うありがたき言霊の社として 朝廷を始め全国より崇敬されしこ
 とは平安朝の「枕草子」に記載あるを見ても明らかなり
  世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し 康平五年(106
 2)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請し 以来八幡宮を併称す
  江戸期に入りては 徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築 朱印高百石余を献上
 す 明治以降 県社八幡神社と称せしが 第二次大戦以後の社格廃止に伴い 
 由緒ある名「事任(ことのまま)」を復活し現在は 事任八幡宮と称す

                                         事任八幡宮



 
境内には他に夫婦杉もあったので、パパとママ仲良く並んでもらって写真を撮りました。
蓬莱橋に続いて、ここでも
スケッチブックを取り出しクスノキの絵をみんなで描きました。
13時28分


神社を後にして1km弱行くと日坂バイパスと掛川バイパスの八坂インターをくぐるよ。
その170m先で、旧国道と別れ、左の菊川方面の旧道へ入って行きましょう。
13時48分


旧道入口には
塩井神社がありました。この神社は、足場板で逆川を渡ってお参りするん
だけど、3枚ある足場板のうち一枚が川に流されて無いので、お参りすることが出来ません
でした。塩井神社の先には右側に変な木が駐車場に生えていました。立派な幹なのにやけに

小さなイチョウ
です。
14時02分

     

旧東海道沿いの静かな住宅地に俳人伊藤嵐牛の出生地碑と美術館がありました。
嵐牛は農業と鍛冶を営む家に寛政10年に生まれ、28歳のとき、芭蕉の流れを汲む三河の
俳人鶴田卓池に入門するんだよ。でもここと三河じゃ遠いので、赤ペン先生の通信教育を
やったんだ。飛脚に自分の作った俳句を先生の元まで運ばせ、先生が添削して、また飛脚で
運ぶという勉強の仕方で俳句の達人になったんだよ。嵐牛の偉いところは、次の言葉で分かるよ

俳諧は太平の余波、句を作るより田を作れ

そして当時貴重品だった紙の代わりに柿の葉に俳句を書いていたんだって。
ここ
嵐牛美術館は嵐牛(伊藤家五代目)の子孫である伊藤鋼一郎(十代目)が
文献を整理して江戸時代の蔵を改良して開いているんだよ。
14時07分

 
 
旧道を190m進むと右側に出てきたのは、伊達方一里塚跡だよ。昔ここにつま恋へ
案内板があったってパパが言ってたけど、今はありません。ちょっと残念そうなパパでした。
パパにとってつま恋は、POP-CON(POPULAR SONG CONTEST)の聖地で、吉田拓郎や
かぐや姫のコンサートが行われていたんだって。その頃ここは立派に国道だったかも。
14時09分


やっぱりここは国道1号線でした。一里塚のすぐ先、小さな川を渡る手前の右側歩道に
昔の標識を見つけたよ。みんなも一里塚を見るため右側へ来るからきっと見つかるよ。
その先、今の国道へ合流する手前には
歌人石川依平翁出生地碑が建ってます。
依平(よりひら)は子供の頃から和歌を詠む天才で、のちに国学者として活躍した人だよ。
14時12分

 
 
国道へ戻ったら、正面の茶畑でおじさんとおばさんが機械でお茶の葉を摘んでいたよ。
バリカンみたいな機械で、小夜の中山の手摘みよりはるかに早いや。でも摘んだ葉は
全ておじさんの足元に落ちているけど、後で拾い集めるのかなぁ。袋でも付けとけばいいのに。
14時13分

 
 
茶畑の先は掛川市立さかがわ幼稚園だよ。丸い建物で凄~くかっこいい幼稚園だね。
どうして地方へ行くと、こんなセンスの良い学校や幼稚園が有るんだろうとパパは
感心していたよ。今まで街道でパパが気に入ったのは、中山道の楢川村立贄川小学校
同じく楢川小学校・塩の道の小谷小学校なんだって。みんな木造で明るく洒落ている
学校だよ。土地や材料が豊富にあるから出来るのかなぁ。でも教育委員会のセンスじゃない。
14時14分


掛川市伊達方224kmのポストを過ぎると、再び左の旧道へ。400mで国道に合流し、
千羽交差点にあるのは
サンクス掛川千羽店、そういえば今日は、まだ飴しか食べてなかった
みんなお腹がすいたので、やっと出てきたコンビニで昼食にしました。でも店内に食べる場所が
なかったので駐車場で食べるハメに。みんな不思議そうに見ていました。ボクたちには
良くあることだから平気だよ。パパが600m行けば食堂があるって言ったけどもう限界。
確かに
226kmポストの前にはたこ焼き屋さんと榛葉食堂が並んでありました。
15時10分


食堂から320mの本村橋で国道と分かれて左の旧道へと入ってゆきます。
西山口小学校の前を通って道が直線になると、正面に建設中の高いビルが見えました
ここから1600m先の駅前に近いビルだよ。ゴールまであと2kmだ~!

右の写真は掛川と静波町を結ぶ川崎街道の基点の標石だよ。
15時10分


逆川を馬喰橋で渡ると、葛川一里塚跡だよ。ここには掛川の観光案内図があって
この先で待ち受けている掛川七曲りが出ているよ。ボクたちの地図忘れた人は
この地図を携帯のカメラで撮って参考にしないと七曲りを通過できないよ。
15時37分


ここからは、掛川七曲りを詳しくガイドするから、よろしくね。上の地図がその道順で右から
左へと抜けます。入口はこの写真の場所、地図では
東伝寺上の最初の角だよ。
旧国道が右へカーブして進み、旧東海道は、その隣の真っ直ぐ進む道と思ったら大間違い。
この写真を左へ進むのが正解だよ。
15時44分

 
上の写真と左の写真は同じ場所、では左へと進みます。94mで真ん中の写真、学習塾
手前を右折するよ。115mで
秋葉常夜燈に突き当たるので、今度は左折しましょう。
15時47分

 
56mでかねもに突き当たるので、そのまま右折です。161m進むと真ん中の写真の場所で
クランクになるのでまた右折。その先右側にあったのが
塩の道の道標。何でここに塩の道?
とパパは首をかしげ、そうだ中山道塩尻宿手前に合流してきた三州街道がこの道だと思い
出して感激していました。糸魚川まで歩いたら今度は南下してここを通って、相良まで行って
みたいと話してくれました。パパはまたここを逆方向に歩くんだね。
15時51分

 
その隣には七曲りの案内板があったので、読んでみました。

 
   七曲り

  葛川と新町の境に掘割があり、ここにかかる橋を渡ると門がありました。この門から西が
 宿場のなかです。ここから東海道は南に折れ、道がかぎの手にいくつも折れ曲がる新町
 七曲に入ります。七曲りは、容易に敵を進入させないための構造だと考えられます。七曲り
 の終点に、城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所がありました。番所に
 は、捕縛のための三道具(刺股・突棒・袖がらみ)や防火用の水溜め桶などが備えられて
 いました。
  新町は、山内一豊が整備した城下町の東に発達した街並みで、元和六年(1620)町と
 して認められました。


案内板を過ぎたら
塩沢機械店の角を左折、100mでYショップを右手に見て右折します。
15時53分

 
 
80m進んで、ここ二つ目の交差点、丁葛製造本舗の桂花園の角を左折します。
15時54分


旧国道を真っ直ぐ進んでくると、桂花園まで390mだけど、710mだから320m遠回り
だね。というわけで旧国道へ戻って商店街を真っ直ぐ進みます。右には遠くから見えた
建設中のビルがあったよ。掛川では一番高いビルになりそうだね。
15時57分

 

パパは前回来た時から掛川の街並みが気に入っていました。それはこの統一された蔵造りっぽい
街並みが綺麗だからだそうです。確かに
掛川信用金庫も、その後ろの駐車場ビルも蔵造りだ~。
15時58分

 
 
信用金庫先が大手門通りで、いよいよ城下町にいる雰囲気がアップしてきたよ。そして
その先の
連雀西交差点が、今回のゴールです。ここを左に370m行くと掛川駅だよ。
でも、歴女のママは掛川城を見逃しません。ボクたちを歩道のベンチに30分も待たせて
街道を右へ185m行った掛川城へパパと二人で行ってしまいました。
16時01分

 

ボクたちを置いて、やって来ました掛川城。詳しいことはHPに任せて早速内部へ。
橋を渡って階段を上ると、いきなり忍者が。写真とっていいかいといったら、こんなに
仲間を集めてきてくれました。もうすぐ閉館時間なのにサービス満点です。

 

急な階段を登って天守閣へ。この天守は平成六年に復元されたものだからパパも初めてです。

 
 
天守閣からの眺めは最高。南を見ると歩いて来た東海道と、あの建設中の高層ビルが。

 

東を望めば、遠く山並みの向こうに、あの小夜の中山の電波塔がはっきり見え、
今日一日歩いて来た距離の長さに、あきれました。
北を見ると森町へと続く塩の道が、そして西は遠く磐田の町まで遠望できる素晴らしい眺望でした。
 


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