新しくなった石畳茶屋でみんなと記念写真を撮ったよ!



第22日目 2012年4月30日

平均気温18.1℃ 最高気温21.5℃ 最低気温16.1℃ 平均湿度% 風速2.9m/s 降水量0.0mm 日照時間0時間
気象庁電子閲覧室より引用


島田の宿、三布袋から電車で1駅の金谷へ戻ってきたよ。昨日ガードが今日のスタートです。
線路の下をくぐると、いきなり登り坂すぐに駅のホームと同じ高さになりました。
今日は、2山も越えて15kmという長い行程、でもボクは通学で鍛えたから自信があるよ。
8時29分


この不動橋は、金谷宿の西の外れで、西入口土橋とか金谷大橋と呼ばれた橋だよ。
橋の北側には、
たばこ屋善五郎という休茶屋があって、大名行列はそこで隊列を
整えて宿場に入っていったんだ。東のたもとには、
どじょう屋という一膳飯屋があって
そこが駕籠仕立所にもなって駕籠かきの詰所だったんだ。ここからの登りは
金谷坂
といって、この先の小夜の中山と共に東海道の難所だったんだよ。上の大きな
写真が現代で、下の左が、1999年3月5日、右が1987年9月30日にパパが撮った
写真です。よ~く見ると25年間ほとんど町並みは変わっていません。
8時33分


金谷坂は160mも上ると県道473号に分断されます。ここには旧東海道石畳の大きな
看板
が立っているので、その案内通りにまた急な坂を登って行こう。ここからが本番で頂上ま
で500mあるよ。
8時38分


この石垣の上は石畳茶屋の駐車場だよ。入口には周辺の案内図があります。更に登ると、
いよいよ
東海道金谷坂石畳上り口があるよ。ここから本格的な石畳が続いているんだよ。
石畳といえば箱根だったけど、今でも江戸時代の石畳が残っているのは、ここと箱根と中山道の
十曲峠なんだって、パパに聞いたらそりゃ落合の石畳で、初めて佐武が街道を歩いた場所だっ
て。ここの石畳も上にコンクリートで舗装され、残っていたのは僅か30mだったのを、町の人
たちが600人も参加した
平成の道普請で430mまで復元したんだよ。
8時40分


石畳を歩き始めると、すぐ右側に石畳茶屋があります。お姉さんが入口で誘ってくれたから
入ってみることにしました。昔パパが来たときと違って、すっかりリニューアルされた綺麗な
茶屋になったと驚いていたよ。庭にはパラソルのテーブルがあってお洒落だね。
8時42分


話を聞いたら昨日(2012年4月29日リニューアルオープンしたんだって。経営陣も代わって
新しいスタッフで生まれ変わったんだよ。ユニフォームもとてもお洒落でモダンな感じが
いいねってママも気に入っていました。FACEBOOKならお名前のタグを付けたいところだけど、
聞いてくるの忘れちゃった。自慢の料理も食べたかったけど、さっき旅館でたっぷり朝食を
食べたばかりだし、今日は歩く距離が長いので、ちょっと休ませてもらっただけでした。
今度、ボクたちが大人になって料理食べに来ることを約束して、あとにしました。
お姉さんたち!このページ見たら、料理の写真とか添付して宣伝になるメールください。


茶屋の中には展示室もあって、いろいろな彫刻が展示されていたよ。ボクたちが気に入ったのは
この
なで地蔵。頭をなでると頭が良くなるっていうので、たっぷりなでてきました。茶屋の
前には、
鶏頭塚があるよ。この塚は、巴静という江戸時代の俳人の句碑だよ。金谷の門人
たちが師の徳を慕ってこの金谷坂に建てたんだ。裏には六々庵巴静寛保甲子四年(1744)
二月十九日没って刻んであり、表には巴静の句が刻まれているよ。塚の名はその句からきた
んだって。

曙も 夕ぐれもなし 鶏頭華

8時51分


それでは、街道に戻って石畳の坂道を登ってゆきましょう。箱根も中山道もここも、石畳がある
場所ってみんな坂道だね。平らな道には石畳は無かったのかなぁ。急坂は雨が降ると滑って
登れなくなるから石畳にしたのかなぁ。ちょっと歩きづらいけど、足の裏がマッサージされるの
で、アスファルトより好きだよ。
8時52分


そんなことを言っていたら、坂の途中にすべらず地蔵尊がありました。石畳が急になった
ところに、赤い旗が連立しているからとっても目立つよ。ここには鞘堂と呼ばれる六角堂があっ
てその中にお地蔵様がいます。そのいわれは、ここの石畳が滑らないからなんだって、だから
受験生や商売している人に人気で、願掛けに来るという話です。だったらお笑い芸人もお参りに
来たほうが良いとボクは思いました。その先、暗い林を抜けると、石畳の坂も緩くなり、頂上へ
出たみたいです。
9時04分


金谷坂を登りきったら、一面お茶の畑が広がっていてびっくりしました。しかも、新芽が出て
色がとっても綺麗だよ。こんなに
広い茶畑を見たのは初めてです。おばあちゃんの実家
へ行くと、垣根がお茶の木なんだけど、これが本当のお茶畑なんだね。
9時07分


牧之原台地は金谷坂を登って、菊川坂を下るんだけど、その途中にあるのが諏訪原城址だよ。
街道からの入口は狭く、金谷方面から来ると、案内板が良く見えないので注意してね。
民家の間の狭い道を入ってゆくと、空堀と鳥居があってその先に諏訪神社があります。
この諏訪神社がある場所は、お城の外れで本丸はママの背中の後ろのほうにあったんだ。
9時12分

 
 
 諏訪原城址 国指定史跡(昭和五十年十一月二十五日指定)

  諏訪原城は天正元年(1573)武田勝頼の臣 馬場美濃守氏勝を築城奉行として 築かれた
 規模雄大な山城であり、 当時の東海道武田領の最前線牧の原台地の 東北角を占めた天
 然の要害であった。遺構は、本丸・二の丸・三の 丸・大手郭・帯郭・西の丸・搦手・亀甲
 曲輪の八郭か ら成る特徴のある縄張りにより配置形態のうえから「扇城」とも 呼ばれた。
 自然掘と人工の大小掘が十三本あり、いずれも深くて急斜面を呈しているが、 石垣は用
 いられていない。 武田氏の守護神である諏訪明神を城内の一角に 祭ったことから、
 諏訪原城と呼ばれるが、史料には、城の変還を 示す牧野(原) 城・金谷城・扇城という
 呼称が見られる。

  
島田市教育委員会



この先で県道234を横断するんだけど、その手前の集落に諏訪原園茶舗があって
工場の前でお茶を無人販売していたよ。
「ここで販売している番茶は、一番茶時に
手摘みをした後遅れて出た芽と摘み残した茶葉を製造した煎茶です。味もあり
食後に気軽に飲めるお茶です。150g 300円」
安かったし美味しそうだったので
お土産に買ってゆきました。県道を渡ると
菊川坂の下りの入口です。ここから
また石畳が続く急坂を菊川集落に向かって下ってゆくよ。金谷駅が標高85m、
諏訪原城址が219m、菊川は100mだから134m登って、119m下ります。
9時21分


下り始めたら遠くの山が良く見えました。そしたらパパが今日一番の登りはこの先で、あの
アンテナ塔
のある場所まで登るんだ、今度は標高差155mだぞって脅かしました。ボク
は少しビビッたけど、今日は絶好調なのと太陽が出てなく涼しいので頑張れるような気がしま
した。結局下の集落からアンテナまで30分で登ることができました。途中で10分休憩したけ
どね。
9時35分


    菊川坂は、まだ始まったばかり。茶畑の中、石畳の道の道をドンドン
 降りてゆくよ。ここの石畳は、平成12年の発掘調査により
江戸時代
 後期
のものだって分かったんだ。当時は690mもあったけど、今は
 161mが残っています。旧東海道の中では箱根に次二例目として、
 徳川家康が定めた五街道の中でも数少ない現存する石畳として高い
 評価を受けているんだって。

  これから入ってゆく菊川の里は、吾妻鏡の中の建久元年、源頼朝
 上洛の記事に「一三日甲午於遠江国菊河宿・・・」と出てくるんだ。
 承久三年(1221)の承久の乱で、鎌倉幕府に捕まった
中納言宗行
 が鎌倉へ送られる途中、こので歌を残したよ。

 
      昔南陽県菊水 汲下流而延齢
       今東海道菊河 宿西岸而失命


  更に、その百年後元弘の乱で捕まった公卿
日野俊基も鎌倉へ向かう
 途中にここで歌を残したんだ。

       古も かかるためしを 菊河の
       おなじ流れに 身をやしづめん

9時36分


車道を横断したら、菊川坂も終わりです。出口にも京都から来た人の為に
こんな入口の柱が2本立っているよ。長さは590mありました。
9時42分


菊川の里は、誰もいない静かな街でした。右側に法音寺への案内板があり、その下に
中納言宗行卿の塚450mと書いてあります。ちょっと遠いのでボクたちは先へ進みます。
今度は左側の家に昔をしのぶ
間の宿菊川と書かれた大きな宿場内の地図を発見。
間の宿は、中山道でもたくさん出てきたけど、2つの宿場の間が3~4里ある場合に
設けるのだけれど、ここ金谷と日坂は1里24町しかないけど、急坂が続くので特別に
設けられたんだ。間の宿では宿泊はできないことになっていて、また豪華な料理も
出してはいけないんだ。だからここの名物は
菜飯田楽だったんだよ。
9時47分


470mの間の宿菊川を抜けると、車道を渡り階段を登り旧道へ入るよ。
ここからいよいよ今日の最大の難所、
標高差155m、距離1200m
上り坂が始まるよ。パパは初めて来た時はジョギングだったけど、ここの
坂は走れず、歩いてやっと登ったんだって。ボクたちに登れるかなぁ。
9時50分


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