東海道 島田

蓬莱橋まで4kmの寄り道は大成功でした!

このページより最大写真を600×450ピクセルから720×540ピクセルにパワーアップしました。



第21日目 2012年4月29日

平均気温18.7℃ 最高気温24.8℃ 最低気温13.9℃ 平均湿度% 風速6.7m/s 降水量0.0mm 日照時間9.0時間
気象庁電子閲覧室より引用


2012年4月14日に開通した新東名を利用してやってきました。実は開通の日に来る予定だった
けど天気が悪くて断念、今日になったんだ。今回の宿は島田に取ったので、島田金谷インターま
で走ってみました。100km/hで走っていても80km/hに感じるくらい、広々して走りやす
い道だってパパは感心していたよ。朝早かったので、サービスエリアで朝食を食べようねと言っ
てたけど、駿河湾沼津SA・清水PA・静岡SAとみんな満車で、本線まで渋滞していたので、
どんどん進んでこの
藤枝PAにやっと入ることが出来たんだ。ママは讃岐丸亀製麺の釜揚げ
うどん、パパは麺屋大黒の豚骨ラーメン、ボクは神戸北野五番館のカレーをいただきました。


YouTubeにパパが運転する車の動画をアップしたよ。


ゴールデンウィークなのに6時に高速に乗ったら渋滞もなく、やってきました。車を今日
泊まる島田の三布袋に停め電車で
六合へ戻って出発だよ。天気も良く気分も爽快。
テンションが上がって最初の旧道へ入るのを忘れて国道を歩いてしまいました。おかげ
で、古~い赤レンガの塀を発見、旧道は550mあってその出口にkmポストがあるよ。

9時46分


左側に有った石柱は、昭和天皇のご巡幸記念碑でした。明治天皇のはたくさん見たけど
昭和天皇のは初めてだね。大津谷川を栃山橋で渡ると、旧道との分岐だよ。
9時59分

 
 
ここが御仮屋という分岐だよ。右へ進むのが国道1号線で、左が旧東海道です。ここで
国道と別れ、大井川へ向かうよ。途中、島田宿や川越のための古い家並みが待っています。
10時05分


旧道に入ると左側にしばらく水路が現れるよ。水路があると、いつも葉っぱを浮かべて佐武と
競争するんだけど、ここの水路はボクたちの進む方向に流れていないのでだめだ!
右側にあったのは、
枡形跡の看板だよ。ここは島田宿の江戸見付で、ちょっと変わっているのが
五間四方の番小屋があったのだけど、番人を置いたという記録が無いんだって。何のための
番小屋だったか分からないんだってさ。
10時10分


アーケード街が始まる本通り7の交差点で、おもちゃ屋見っけ!1000円以内で買って
いいよってパパが言うので、さっそく中を覗きます。このお店は
ピノキオといって、ちょっ
と大きなお店だよ。でも普通のおもちゃ屋さんと違って、ガンダムのプラモやデュエマカード
がたくさんあって、中ではお兄ちゃんたちが大勢カード対戦をしていたよ。ボクたちもカード
が大好きなので1000円分購入しました。
※デュエマ:タカラトミーで発売しているデュエルマスターズカード
10時21分


この辺に一里塚跡があったはずと、パパは一人で探しに行ってしまいました。そのパパが
見つけたのは、蓬莱橋への案内板。今日の行程は8kmだから往復4kmの寄道してゆかない?
とパパが言うので、ボクは少しがっかりしたけど付いて行く事にしました。珍しい橋というので
ママは行く気満々。橋までは800mだけど、きっとパパのことだから向こう岸まで渡ろうっ
て言うよ。途中の踏切を良く見ると、
第一相良街道踏切って書いてありました。相良
街道は田沼街道とも呼ばれ、御前崎の北にある相良城主だった田沼意次が整備した街道
なんだ。牧之原市の旧相良町には旧街道の面影が残っているんだって。じゃあ蓬莱橋へ行くか!
10時33分


 
ついにやって来た蓬莱橋だよ。全長は897.422m、幅2.7mの木の橋だよ。この橋が
出来たのは明治12年、牧之原台地の開拓農民たちがお金を出し合って作ったんだ。だから
今でも農民じゃない人は通行料を払うんだよ。でも往復大人100円、子供10円だから安心
してね。お金払ってボクたちも対岸を目指して渡り始めました。日陰がまったく無い897m
は辛いものがあるね。
10時52分


蓬莱橋はギネスにも登録されているんだ。それは世界一長い木造歩道橋だからなんだ。

GUINNESS BOOK OF RECORDS
The Horai Bridge,Shizuoka prefecture,Japan is the longest pedestrian wooden bridge
measuring 897 metres long


15分程かけてやっと対岸へ着きました。対岸は台地になっていて2箇所展望台があるよ。
こっちから見ると、島田の町が良く見えます。橋には途中、
「ど真ん中」と書かれた板があ
って中間地点が分かる仕組みになっていたよ。この写真の手前の方、橋の色が濃いところは
平成23年9月の台風12号と15号のWパンチで橋脚が流され修復した箇所だよ。
11時13分

 
今回はスケッチブックを持ってきました。最近美術館通いがマイブームの我が家、伊東屋で
一式買って
スケッチすることに。今日は渋滞を予想してたんだけど、まったく無かったの
で時間にゆとりができ、みんなでのんびり橋の絵を描きました。それぞれ個性的な絵が描け
たよ。右の写真は、橋の手摺をこすったボクが、指に
とげを刺してしまい、痛がっていたら
パパがアーミーナイフで皮膚を削って取っているところ。ナイフなんて物騒なもので取れない
と思っていたら、痛かったけど上手に取ってもらえました。なるほど、とげはこうやって取ると
いいんだね。
11時42分



橋の下がどうなっているのか気になったボクたちは、河原に下りてみたよ。橋脚が長くて
細くて、これじゃあ流木でもぶつかったら簡単に折れちゃいそうです。来た道を戻ってきまし
た。あ~疲れた!
12時08分


正午を過ぎてお腹がすいたボクたちは、橋と街道の中間にあるアピタ島田店で食べる
ことにしたよ。いろいろなお店が入っていたけど、ボクたちが選んだのはマクドナルド。
やっぱりボクたちはファーストフードが好きなんだ。パパも好きで今日は

わさびタルタルセット
を頼んでいました。お腹も一杯になったので、また元気が
出てきたぞ!さあ街道へ戻りましょう。
12時16分~48分



街道に戻ると、すぐにパパが探していた一里塚跡がありました。そこには江戸時代の
島田宿のことが書かれたいたので紹介します。島田宿ができたのは慶長六年(1601)しかし、
その3年後には大洪水で宿駅施設の全てが流され、元和元年(1615)に復興したんだ。
ここは江戸から五十二里二町四十五間約204kmで、1.1kmに渡って街並みがあったん
だよ。当時の人口は静岡県内では府中についで多い6727人、家の数は1461軒もあった
んだ。本陣も3つあって旅館は48軒、問屋場、高札場、郷倉と揃っていました。それよりボク
たちはその先にあった店が気になりました。どうやら骨董品店らしく、いろいろな昔のものが、
所狭しと並んでいました。でももうお金使っちゃたので、買い物はできませんでした。
12時55分


由比には「がんばろう日本」「がんばろう東北」というのぼりがあったけど、ここのは
「がんばっています島田!」でした。何かちょっと違うような気がします。
次は問屋場跡にあった案内板(右)と島田刀鍛冶の案内板です。

   
  島田刀鍛冶の由来

 
 島田の刀鍛冶は、室町時代より江戸時代末期にいたる約四百年間の歴史をもち、
 繁栄期には、この島田に多くの刀工が軒を連ね、鍛冶集団を形成していたという。
  その系譜は、義助・助宗・広助を主流とし、作風は、相州風・備前風などのみえる
 業物打ちであった。江戸時代になると、貞助系・忠広系が派生し、信州などに進出して
 いった刀工たちもある。彼ら島田鍛冶は地方的な存在であったが、戦国大名の今川・
 武田・徳川氏などに高く評価され、多くのの武将に珍重された。とくに、義助の「お手杵
 の槍」や、武田信玄所蔵という助宗の「おそらく造りの短刀」など、刀剣史上に今なお
 名をとどめる秀逸な作品も少なくない。
  紀行文や文芸作品・芸能にも島田鍛冶は取り上げられ、往時の繁栄ぶりと名声の
 ほどがうかがえる。また、室町末期に活躍をした連歌師宗長は、島田の刀工義助の子
 であったといわれている。島田鍛冶集団は、中世末期から近世にいたる島田の歴史の
 中でも、とりわけ燦然と輝いている。
    
      昭和六十一年三月吉日     島田市




今回の東海道は「グルメの旅」というのが、パパの口癖で、美味しそうなものを見つけると
必ず寄道だよ。島田宿で見つけたのは鯛焼き、
海道一の名物鯛焼という鯛の看板
を掲げているのは
よしむらです。早速入っていただきました。皮がパリッとして、甘さ控
えめなのに口の中に小豆の香りがフワって広がるとっても美味しい鯛焼きです。ボクが今
まで食べた柔らかい鯛焼きとはまったく違うものだよ。値段も120円と格安で、お店で食べ
ていると、次々お客さんが20個、30個単位で買ってゆきました。
13時02分


駅も近づき島田宿の真ん中へやってきました。丸い屋根のビルはホテル割烹の三布袋だよ。
島田宿には3つの本陣があって、そのひとつの
上本陣 村松九郎次家だよ。中本陣は、
大久保新右衛門家、下本陣は置塩藤四郎家なんだ。実は、この旅館がボクたちの今夜の
宿なんだ。20年前にもパパは泊まったんだって。詳しくは宿のページで紹介します。
13時12分

 
 
交差点本通り2を左に300m行くとJR東海道線の島田駅だよ。その先右側にあるのが
大井神社。ここには三柱の祭神がいます。それは水の神の彌都波能売神(みつはのめのかみ)
土の神の波邇夜須比売神
(はにやすひめのかみ)日の神の天照大神(あまてらすおおみかみ)
みんな女の神様だから、安産や女性の守護神として信仰されてきたんだよ。江戸時代には
参勤交代の大名や、飛脚さんたちが旅の安全を祈願したことから、旅行の神様としても信仰が
あったんだ。ボクたちも旅人だから安全を祈願したよ。庭園がとても素敵な神社だよ。
13時18分~30分

 
街道から大きな鳥居をくぐると両側に石垣があります。この石は大井川の川越稼業の人達が、
仕事が終わったとき川から毎日1つづつ運んで造ったものなんだ。触ってみると、凄~くつる
つるしているので、なるほどと感心しました。その先には
石の太鼓橋があるけど、これは
神様が乗る神輿が渡る橋だからボクたちは渡れません。両脇にある川越人夫たちが奉納した

平橋
を渡って境内へ入りましょう。


大井神社の大祭は「帯まつり」といって奇妙な衣装を着た人達が踊ります。
大井神社の案内板によると、昔、島田に嫁入りすると新婦は実家から持ってきた
帯を持って町中のすべての家に挨拶回りをしたんだ。しかし町が発展して、だんだん
大きくなってしまったので、その挨拶回りも大変になったんだよ。そこで大井神社の
お祭りのとき、御神輿の前をお祓いしながら踊る
大奴の大太刀に、その帯を下げて
みんなに披露したのが始まりなんだ。境内にはその銅像や顔ハメ看板があるよ。
佐武が入っているのが大奴、ママのは、房総から伝わった
鹿島踊りの衣装だよ。


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