日本橋から200km。横内のあげんだいにはビックリ!

第20日目 2012年1月7日

平均気温5.8℃ 最高気温11.1℃ 最低気温0.1℃ 平均湿度51% 風速1.7m/s 降水量0.0mm 日照時間9.5時間
気象庁電子閲覧室より引用

 
ボクたちが、まだ目覚める前にパパはいつものお散歩に出かけました。
宿から東海道を横切り岡部支所裏で、岡部川を渡りましょう。左手に少し行くと
里山の道の案内板があり、その脇から階段を登って萬松院方面へ向かいます。
茶畑の中の急な階段を息を切らせて登ってゆくと、背後に壮大な風景が広がり、
遠くを望めば駿河湾、その手前に直線距離で6kmほどの焼津の町並み。
右手には藤枝の町も見渡せるでしょう。やがて東名日本坂トンネルがある
高草山の稜線から朝日が顔を出しました。そういえば今年のご来光はまだ。
思わず、旅の安全と家族の健康を祈願して手を合わせてしまいました。


里山から岡部の町を見下ろすと、昨日歩いて来た東海道が眼下に見えます。
その向こうには、まだボクたちが眠っているきくや旅館の甍も望めました。
さあ、一晩眠って平次の足は元気になったかな。今日も良い天気です。

 
 
ママもびっくり、きくや旅館の朝食に
七草粥が出ました。一杯食べて今日は
13km元気に歩きたいと思います。昨日のT字路に戻ってさあ出発だ~。
9時09分


夕べ旅館についてからストレッチをやって、その後お風呂でパパに
マッサージしてもらったから今朝は足が軽くなって快調・快調。
ちょうど1km行くと、国道1号線の
藤枝バイパスの下に来ました。
そこにはちょっと新しい石灯篭があるよ。やっぱり東海道を意識してるんだね。
9時24分


バイパスの下は内谷新田という交差点で、バイパスをくぐったら真っ直ぐ進まないで
右斜めに進む道へ入ってね。入り口に
東海道横内村の大きな看板があるよ。
その先には
従是西巌村領と書かれた、傍示杭跡がありました。
9時26分

 

横内 あげんだい
朝比奈川までの400mにはいろいろな看板が。 
 
  小字名 油街途という標識が立っています
  こっちは西村小路 代官屋敷だって。
 なんといっても驚いたのがこのあげんだいだよ。いったいなんだと思いますか。
ここでは夏祭りに川原供養祭というお祭りをやっているんだよ。その中で毎年
8月16日、盆送り火 法要あげんだいを行うんだって。このあげんだいは、明治38年
から始まったもので、太平洋戦争後途絶えていたのを昭和53年から復活したんだよ。
土地のおじいさんの話を聞いて、試行錯誤の上やっとこの形ができたんだって。
この上に籠に落ち葉など燃えやすいものを入れて、下から松明を投げ、先に火がついた
方が勝ちという、ボクたちが運動会でやる玉入れの火祭りバージョンみたいなんだ。
ボクたちお祭りの様子を見たいと思いました。
9時33分


焼津へ注ぐ朝比奈川を横内橋で渡るよ。橋を渡ると460mで国道を
横切りるけど、その手前の路が面白いとパパはシャッターを切りました。
ボクたちには何が面白いのか全然分からないよ~。道を良く見ると
真っ直ぐのはずが曲がっていました。別に真っ直ぐ通せばよいのに
わざと曲げていると思いました。パパが正解!って。車がスピードを
出せないようにわざと蛇行させているんだって。こんな道路のことを
ボンエルフって呼ぶんだよ。オランダのデルフトって町で始まった
運動で、車と人の共存を目的としているんだ。そういえばボクたちも
オーストラリアのパースのアドベンチャーワールドへ行く途中の
プログレスDrにも同じ仕組みがあったっけ。日本にもあるんだね。
9時43分


おっ大きな教会が右手に見えてきたよ。この教会はザ・グランドティアナ藤枝という
結婚式場にある
エル・カミーノ・リアル・カシードラルという教会なんだよ。さすが
名古屋が近づいて来たとパパは喜んでいました。岐阜県の可児にもこんな式場
あったじゃんというけど、ボクたちは覚えていません。この辺の人は結婚式が
好きなんだね。その先で大きな歩道橋があって、国道1号線を横断しました。
ここは
仮宿という交差点で、歩道橋をうまく渡って松並木の道へ入ってね。
9時46分


旧道に入ってすぐに従是西田中領という大きな石碑が出てきたら正解だよ。
旧道は300mほどで国道と合流し、すぐまた旧道に入ってゆくよ。
そこにあったのが日本橋から
197kmのポストです。あと3kmで200kmだ!
9時56分


再び旧道に入ると鬼島一里塚跡があったけど、最近やっと柱だけを
立てた一里塚跡です。ちょっと寂しいね。さらに10分行くと
葉梨川
八幡橋で渡ります。実はここがボクたちが歩いて来た日本橋から
200kmの場所なんだ。国道とそんなに変わらないんだね。
とにかく、すごい距離を歩いて来たってわけだね。バンザ~イ!
10時13分

 
八幡橋を渡ったら、川に沿って右の道を進んでね。ボ~ッとしていると、
絶対に真っ直ぐ進んでしまう、とても
勘違いを起こしやすい場所です。
真っ直ぐ行くと焼津インターへいってしまうんだ。ボクたちの左に見える
青い屋根の祠の脇に、
東海道の道標があるから確認して進んでください。
10時17分


川の脇に無造作に干されていた白い物体を発見。何だと思いますか?
そばに寄ってじっくり見たら、
大根でした。きっとたくあんを作っているんだね。
右の写真は旧東海道・
鬼島の建場だよ。建場って何だか分からないので
前にあった石碑に書いてあることを紹介しましょう。


    旧東海道・鬼島の建場
  
  街道の松、枝を鳴らさず往来の旅人、互いに道をゆずり合い、泰平をうたふ。
 大井川の川留めが解けたので、岡部に滞留せし旅人・駕・馬と共に弥次郎兵衛  
 喜多八の二人も。そこそこに支度して、朝比奈川をうち越え、八幡・鬼島に至る
  ここは宿場間のお休み処茶屋女「お茶まいるサア お休みなさいマシ」と進め
 られるまま、昼間ッからイッパイ昨日の鮪の肴、この酒半分水だペッペッ ブツ
 ブツいいながら、鐙ヶ淵にさしかかる「処もとは鞍の鐙ヶ淵なれど、踏んまたが
 りて通られみせず」「街道の松の木の間に見えたるはこれむらさきの藤枝の宿」


まぁ弥次さんも喜多さんの呑気な旅を続けていたけど、ボクたちも
同じだね。あっちこっち寄り道ばっかりして、ちっとも前に進まないね。
10時21分


かなり手前から目立っていた、この大きな木は須賀神社のクスの木だよ。
高さや枝の幅も大きいけど、ボクたちがびっくりしたのは、根っこの太さなんだ。
案内板によると根の直径が5mほどあるんだよ。車の長さと一緒じゃん。
10時24分


この小さな社殿の神社が須賀神社だよ。この右にある道を。少し進むと葉梨川に
でるけど、この辺りが
鐙ヶ淵と呼ばれていたんだ。昔この淵の畔に大きな柳の木が
茂っていたんだ。その木を触ると往生心が出てきて身投げする人が続いたんだって。
その話を聞いた法然上人は、往生とは命を粗末にするものでないと怒って、柳の木
を切り倒したんだ。そしてその柳で観音像を作って隣の
金居寺観音堂に納めたんだ。
ゆとりのある人は観音堂もお参りすると良いよ。

 
こちらは1987年9月29日、とっても若かったパパの勇姿だよ。
この頃は、木に柵も無くて根っこに登ることができたんだね。

 
後ろから見たクスノキです。本当に太い根っこでしょう。ママがあんなに小さく見えます。
この須賀神社の前の道路はとても広くてきれいだけど、パパが前回来た、1998年
のときは、車がやっとすれ違えるほど狭い道だったんだって。道沿いの人はどこへ?
10時33分


須賀神社・金居寺と右に見て少し進むと、このT字路で突き当たりとなります。
正面には、
カーマホームセンター藤枝水守店があります。ここで右へ曲がって
進むとホームセンターの隣に、あの
しずてつストアがあるので、その角を
左へ進んでね。国道の水守交差点に出る手前だよ。街道は左へ進むけど
右を見ると松並木の道があります。どうやらそこから来るのが本当の東海道の
ような気がしますが、その先に道はなく住宅になってしまいます。区画整理のとき
旧道を壊して住宅を建てたって雰囲気だよ。ボクたちはしずてつストアが好きに
なったので、トイレ休憩といいながら
栄養ドリンクを買ってもらって飲んでます。
次の自販機でも買ってねと言ったら、パパが怒ってビンの後ろに書いてある
注意書きを読みました。15歳以上1日一本。じゃあぼく飲んじゃだめじゃん。
「お前の体重は15歳以上だから大丈夫さ」だってひどい!
10時41分


しずてつストアの横に沿って奥へ進むと、真新しい国道へ出ます。古い地図だと
そのまま斜めに国道を横断することになっているけど、その先には
丸源ラーメン
と言うお店があって進めないよ。とにかく、国道を横断してラーメン屋さんの前を
進むと、右の写真のような国道から右へ入る
新しい歩道があったよ。ここを
進んでみたら、分断された旧東海道に出ることができました。国道を作った人は
ボクたちのような旅人がいるのだから、案内板を作ってください。
10時52分


7分ほど進むと右側に成田山という大きな看板が見えてきました。
ここは
藤枝成田山で、静岡県唯一の成田山なんだって。境内はいろいろ
な神様がいてワンダーランドだよ。
千手観音様がいたと思ったら、
水かけ不動尊ボケ封じのかぼちゃ頭があったり、トトロに出てくる
古い井戸の手押しポンプまでありました。ボクは疲れてママとベンチで
休憩だけど、佐武は片っ端触って喜んでいました。あいつ疲れないのかなぁ
ここが何で成田山になったかは、案内板を読んでください。

 
    藤枝成田山の歴史と左車
 
当山は今から約七百五十年前の建長年間照光院と云う名前の寺院であったが
 後嵯峨上皇の子宗尊親王(十才)が六代将軍となる為、京都から鎌倉へ東海道
 を上る途中、ここ藤枝の宿で親王の乗っておられた御所車の左輪が折れてしまっ
 た。そこで御所車を修理する間照光院で休息された。光栄ある休息にあづかった
 寺では、これを記念して、それ以来寺名を左車山休息寺と改めた。又この修復に
 当り破損した左輪や車軸を寺の裏の聖地を選んで埋めた後その跡に宮一宇を建
 立した。現在保存し左車神社と名付けた。又、この地名をも「左車」と名付けて現在
 に至っている。その当時境内には本堂、不動堂、大師堂、庫裡等の伽藍があった
 がその後今川氏から武田氏の戦国時代となり文禄-慶長にわたって二度の戦火
 に遇ったため焼失したのち廃寺同様となっていたところ、千葉県大本山、成田山の
 御分身を勧請して皆様方の燃ゆるが如き且つ不断の御熱誠によりまして静岡県
 唯一つの成田山として明治初年落成し未曾有の盛況裡に入佛大法会を終え今日
 に至り駿河鎮護の道場として偉観を添え得ました。ことは法幸限りなく御同慶至極  
 の事と存じます。                              
合掌


11時00分


表紙のページへ 前のページへ 次のページへ このページの地図へ