広重も描いたとろろ汁の丁子屋を過ぎれば紅茶発祥の地!


江戸から数えて20番目の宿場が、ここ丸子宿だよ。ここは江戸方見付と言って
宿場の東側の入り口なんだ。ここから西の京見付まで三百五十間の小さな宿場だよ。
でも本陣はもちろん脇本陣も二軒、旅籠は大小あわせて二十四軒もあったんだ。
次の宿場は岡部で、途中宇津ノ谷峠を越えなくてはならないから多いのかなぁ?
その他にめし・茶・酒・団子屋などがあって、付近の山から掘り出した山芋から作った
とろろ汁が名物になったんだ。ボクたちお昼ご飯もとろろ汁だよ。
11時59分


左は明治天皇御小休所跡の脇本陣だよ。明治天皇さんは中山道も歩いたしボクたちと
同じだね。どんな人だったのかなぁ。次に出てきたのは
問屋場跡だよ。この問屋場には
人が100人と馬が100匹いたんだって。問屋場と言うのは宿場から宿場へ馬を使って
荷物を引き継いだお店なんだ。クロネコヤマトみたいだね。

12時09分


ここが丸子宿の本陣跡です。本陣の解説がなかったので、どのくらいの大きさだか
分かりませんでした。その先は
紀州お七里役所跡です。


 お七里役所  

 
江戸時代の初期、寛政年間 紀州 徳川頼宣は、江戸屋敷と領国の居城の間、
 百四十六里に沿って七里間隔の宿場に、独自の連絡機関として二十三ヶ所に
 中継ぎ役所を設けた。県内では、《沼津》《由比》《丸子》《金谷》《見付》《新居》に
 設けられ、この役所を『紀州お七里役所』と呼び五人一組の飛脚を配置した。
 これには健脚にして剣道、弁舌、に優れた仲間が選ばれ、昇り竜、下り竜の模
 様の伊達半天を着て《七里飛脚》の看板を持ち腰に刀、十手を差し御三家の威
 光を示しながら往来した。普通便は毎月三日、江戸は五の日、和歌山は十の日
 と出発し道中八日を要し、特急便は四日足らずで到着した。幕末の古文書に、
 入山勘太夫役所、丸子勘太夫などと記されている。丸子駅におけるお七里役所
 は、当家のことである。徳川頼宣は、徳川家康の第十子で家康が亡くなって三
 年後に駿府を追われ紀州和歌山にお国替えさせられた。こうした事もあって紀
 州家では、幕府の行動を警戒する諜報機関としてお七里役所を置いたのである。

 

146里は約584kmだから、それを普通便8日というと1日73km特急便は1日146kmも
走ったなんて信じられないね。ボクたちが1日かけて歩く距離を1時間で進んだ
ことになるよ。でも現代のマラソン選手がリレーしたら3日間で行けるから超特急便だね。

12時12分

 
 
 
やっと着きました。待ちに待ったとろろ汁だよ。ここは街道でも1.2を争う名物の丁子屋だよ。
この建物は、江戸時代からここにあったのではなく、昭和46年に移築したんだって。
ボクたちは広重の絵と同じだから昔からあったのかと思いました。でも建物は新しくても
ここに丁子屋ができたのは古いんだ。慶長元年創業だから今年で416年も経ってるんだ。
詳しく知りたい人は、上のリンクでお店のホームページ観てね。フラッシュが凄いよ。

梅わかな 丸子の宿の とろろ汁

これは右側にある芭蕉の句だよ。この句を贈られ丁子屋は大繁盛したんだ。
今だったら有名なコピーライターにキャッチフレーズ作ってもらったみたいだね。
もう12時過ぎたのでお腹がペコペコ、早速入ってとろろ汁をいただきます。
12時14分


中に入ると土間になっていて、囲炉裏もあってよい雰囲気だけど、ボクたちは
靴を脱いで奥の座敷の部屋に案内されました。途中には「東海道中膝栗毛」を
書いた十返舎一九の像が怖そうな顔をして睨んでいます。あとは徳川慶喜が
大政奉還したことを伝えた高札や秀吉が送った陣羽織の写真なんかが飾って
ありました。座敷で少し待っていると早速お目当てのとろろ汁が運ばれてきたよ。
実はボクは山芋食べられないんだ。食べるとお口の周りが真っ赤に腫れちゃうよ。
だから仕方なく大好きなお刺身と麦ご飯を頼みました。佐武はとろろ汁を食べても
大丈夫なので一人前ペロリと食べてしまいました。ママもパパも美味しそうに
食べていたよ。パパの手帳には昔の値段が書いてあったので紹介します。
初めて来た1987年は950円、次に来た1998年が1380円そして今日も
1380円、14年間も値段が変わらないなんて素敵です。
さあ、お腹もいっぱいになったので出発。今日は1月6日、門松がかっこいいね。
12時58分


 
 
丁子屋を出たら目の前の橋を渡りましょう。右側に京見付跡があるよ。
ここは
高札場跡で、いっぱい昔の高札が飾ってありました。中には面白い
御触れがあるので読んで見ましょう。「死刑を行うときは呼ばれたもの意外は
見に来るな。」とか「召使は10年間過ぎたら自由にしろ。」なんて面白いと
思いました。パパは独占禁止法や闇カルテル禁止など江戸時代から
あったんだと感心していました。今とあまり変わらなかったのかもね。
13時03分



川に沿ってカーブを曲がってゆくと正面のホテルの屋上に面白いものがあったので
みんなで写真を撮りました。これは一体なんだろう。夜になると光るんじゃないって
パパは言いました。その先
二軒家の信号で国道へ合流します。そこから国道の歩道を
行き次の信号
赤目ヶ谷には188kmポストがあったよ。
13時21分

 
 
この辺りから周りに
お茶畑が目立ってくるよ。ボクたちはお茶を作りたくて葉っぱを
3枚づついただきました。あとでお茶の作り方を聞くんだけど、この葉っぱでできると
思って大事に持っていったんだ。


見ると日本紅茶発祥の地という看板が出てきたよ。お茶はお茶でも紅茶なんだ。
えっ紅茶の木とお茶の木は同じなのってママ。そりゃお茶なんだから同じさってパパ。
じゃ、どうして赤と緑になるのってママ。この先の牧の原台地にお茶工場があるから
そこで聞いてみなってパパ。パパとママの会話は面白いでしょう。そんな話をしている
うちに旧道への入り口に着きました。
起樹天満宮の看板があるこの歩道を下ってね。
13時23分


旧道は500m程と短いけど、途中にあったのが「日本紅茶発祥の地丸子紅茶」の看板のお店
下に取引先が書いてあったよ。神戸のコトブキヤ、横浜の創健社、田園TEAだって。
発祥の地の紅茶だから居留地の横浜・神戸へ出荷していたんだね。この辺の話も
調べたら面白いね。旧道はこの
レストラン東海道というドライブインで終わり。この裏手を
進むと横断歩道橋があるので渡って国道の右側へ行ってね。
13時41分



歩道橋の上から静岡方面を振り返ったよ。右の松の木の下がレストラン東海道
藤枝方面に向かう車で渋滞していました。カーソルを当てて右下の写真は
藤枝方面を見たところ、左下は歩道橋から振り返って見える採石場の機械だよ。
右上の歩道橋の名前が難しいよ。「
あかめがやおはやしほどうきょう」って書いて
あるけど、ひらがなじゃ意味わかんないってパパ。漢字だと「赤目ヶ谷御囃子歩道橋」
になるのかなぁってパパが解説してくれました。
13時44分


歩道橋を進んでゆくと正面に大きな金ぴかの観音様が立っていました。
これはこの先の丸玄工芸という仏壇製作会社の看板でした。歩道橋を
降りたら国道を行かず、旧道へ入ってね。
近藤鋼材の前を進むとまた国道。
そしたら100mでまた旧道に入ります。ここも250mと短いよ。
13時44分


再び国道に合流する場所で、川の中に大きな鳥を見つけました。何の鳥でしょう。
カーソルを当てて見てね。ここからは国道の歩道を800m歩いて道の駅へ。
ボクは足が痛くて歩けないとパパとママに抱えられながらやっと進んでいます。
この先、峠を越えなくてはならないなんて、大丈夫かなぁ。
14時00分


やっと休憩できるベンチがあったよ。ここは道の駅宇津ノ谷峠です。
ここは”静岡市側下り”で国道1号線の下り側にお店があって、ボクたちがいる
上り側には駐車場とトイレそして自動販売機しかありません。でも疲れたボクが
休むには十分です。パパに足をマッサージしてもらい峠を越える元気が出たよ。
14時10分

 
ここで国道とはお別れです。道の駅のちょっと先にあるのが国道1号線の宇津ノ谷トンネル
だよ。下の2枚の写真はパパが初めて来た時1987年の宇津ノ谷トンネルで、1本しかなかっ
たんだ。上の写真が今日のトンネルで上り用と下り用の2本のトンネルがあります。右が

昭和
のトンネル左が平成のトンネルなんだ。旧道を登ってゆくと、明治大正のトンネルも
あるんだ。また、ここから左の山を越えるのがつたの細道といって
平安時代の峠道、
ボクたちは
江戸時代の峠道を越えて岡部に向かいます。本当に登れるか少し心配に
なってきました。がんばろう平次!
14時19分


右側の歩道橋の下には東海自然歩道バイパスルートの道標が立っていて
右へと進む静かな道が旧東海道だと分かります。道標に従って進むと車がいなくなり
とっても静かな良い雰囲気の街道になったよ。街道ウォークはこれでなくっちゃ。
14時20分


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