アルミニウムの街には、イルカスマシという珍味がありました!


東名高速道路を渡ると、街道は下り坂になって、正面に
駿河湾が見えて来たよ。
その手前にある工場群は、
日本軽金属の蒲原製造所なんだ、ここで造っているのは
アルミニウム、昭和62年までは、日本各地で作っていたけど、コストの上昇で
国際競争力に勝てず、今日本でアルミを作っているのは、この工場だけなんだ。
後で通るけど、この工場の電気はほとんど自分の会社でやっている水力発電に
よるものなんだ。アルミを作るのには大量の電気が必要で、それがこの会社の
強みなんだって。さあ、坂を下って蒲原の町へと入ってゆきましょう。
13時45分


急な坂を下りて行くと、左側に大きな板碑が6枚並んでいます。ここは
光蓮寺と言うお寺で、浄瑠璃御前の伝説が残るお寺です。元々は
蒲原駅のそばにあったけど、昭和十年に国道を作る際、この地へ
移転したんだ。浄瑠璃御前は琴の名手で、東北に逃げる義経と恋に
落ちたんだ。義経はここで浄瑠璃御前に手紙を書き、そして追った
御前はここで力尽きたという伝説が残っているんだよ。
13時48分


坂を下りきるとT字路です。街道はここで右折します。小さな川を渡って120mほど
行くと、左側に
一里塚跡があるよ。鳥居の右下に一里塚渡邊って書いてあり、渡邊さんちに
あるので、屋号にしたのかなぁ。ここは日本橋から38番目の一里塚で、元禄12年の
大津波で、流されちゃったんだよ。昔は海の前だったけど、今では工場があるので安心だね。
13時53分


一里塚のすぐ先には北条新三郎の碑があって、その先で道は枡形になっているよ。
ここが
東木戸といって蒲原宿の東の入り口なんだ。そこには文政13年(1831)に
建てられた宿内安全と刻まれた常夜灯が建っています。今では案内板と石の
ベンチがボクたちを迎えてくれたので、ベンチに座って一休みしました。
13時56分


東木戸には宿場のスタンプがありました。これはパパが20年前に走ったときにも
あって、その当時のガイドブックにはそのスタンプがいっぱい。でもここのスタンプは
擦り切れてだめです。またスタンプ台も乾燥してインクがありません。
町の人、ボクたちみたいな旅人が来るとスタンプが楽しみなので直してね。
13時59分


木戸のすぐ先には橋があり、その手前でパパがクイズを出しました。
「さて、この橋の下には何があるでしょう?」、ボク「電車」、佐武「川」。
パパ「残念でした!それではご覧ください」、見てビックリしたよ。
いったいこれは何?。
「そうです、さっきの工場の水力発電をするための
導水管なんだ。山の上から水が落ちてきて橋の反対側にある建物の
中にある発電機を回して電気を作っているんだよ。すごいだろ~。」
14時00分


導水管から70m行った左には、塀に坂本竜馬と共に幕末を戦った田中光顕の
写真がずらりと並んでいました。坂本竜馬が大好きなママは、一生懸命見ていたよ。
ここは
木屋江戸資料館で、渡邊家土蔵(三階文庫)があります。渡邊家は江戸時代
末期に材木問屋で、木屋という屋号で呼ばれていました。天保9年(1838)に建てられた
この土蔵は、「四方具」(四方転び)という耐震性に優れた技法で建てられているんだよ。
14時07分


宿に入ると、いろいろな史跡や建物が現れて、パパとママは大忙しになります。
次に現れたのが、
なまこ壁と塗り家造りの佐藤家だよ。塗り家造りは土蔵造りと
比べて壁の厚みは少ないけど、防火効果が大きくて贅沢な造りなんだよ。
写真の案内板となまこ壁の家の間にあるのが
新蒲原駅だよ。チェックしてね。
14時13分


なまこ壁の先小さな橋を渡ると、左側にあるのがパン焼き処清美軒です。
パパが初めてこの店に寄ったのは1987年6月26日、そのとき写真右下の
分電盤は、碍子引きで今にも漏電しような粗末なもので、直すことを勧めて
行ったんだ。そして10年後の1998年10月15日に二度目の訪問、そのときの
分電盤が右下の整理された分電盤だよ。そのエピソードが面白いので
風の便りを見てください。写真右上は同じ場所を撮った今の状態。
でも、この10年間で店は建替えられたので、面影だけ見てください。

14時15分


エピソードにもあるように清美軒は自分の店でパンを作っているんだ。今では当時の
おばさんやおじさんは引退し、娘さんがパンを焼いていました。早速焼きたての
パンを買って食べて見ました。ママは
とっても美味しいとビックリ。こんな人が少ない
場所ではなく、ボクの家の方で店を開いたら絶対うけるのになぁと残念がってたよ。
でも、ボクたちがいる間も街の人が買いに来て、地元の人に愛されているのが
分かりました。みんなも、ここを歩くときは予定に入れて絶対に食べてみてください。
写真左は、1998年当時のお店の様子です。ずいぶんお洒落になりました。
14時24分


清美軒の向かいにあるのは
旅籠和泉屋で、今では旅人の休み処になっているよ。
和泉屋は天保年間の建物で、安政の大地震でも倒れなかったんだ。中にお邪魔すると、
お土産もたくさんありました。奥が長く、間口で税金を取っていた江戸時代が想像できました。
今では間口6.1間を4.1と2間に分割し2間のほうで休み処をやっていました。
14時25分


清美軒のとなりは、本陣跡だよ。ここは西本陣(平岡本陣)で、100mほど東、
NTT辺りに
東本陣(多芸本陣)があったんだって。今では一般の住居となって
いるので公開はしていませんでした。そのNTT西日本蒲原電話交換所手前の
交差点左側には案内板とスタンプ処とベンチがあったので、早速清美軒の
パンでおやつにしました。パパも
カレーパンが抜群と喜んでいたよ。
14時35分


NTTの向かいには、手づくりガラスと総欅の家がありました。と言うことは東本陣は
NTTの場所に在ったのかなぁ。この家は明治42年に建てられた磯部家で二階のガラスは、
波打っている手作りのガラスです。日本の板ガラス生産は明治40年からなので、流行の
最先端の家だったことがわかるよ。次は郵便局の先にある
高札場跡だよ。
高札とは徳川幕府の禁令・定めなどを書いた立て札で、ここには伝馬に関する定め、忠孝を
奨励する定め、毒薬や偽金銀売買禁止の定め、切支丹宗門禁制の定め、火付け重罪の定めが
書かれていたよ。
14時43分


高札場の向かいに、狭い一本の路地があって、そこには御殿道跡の碑があったよ。



となりの建物は、国登録文化財の
旧五十嵐歯科医院で町屋を洋風に改造した
擬洋風建築で、外観は洋風、中は和風になっているんだ。当時の建築には
珍しくペンキとガラスが使われているよ。大正3年に改造されたんだって。
14時44分


宿場の終わり枡形の手前にあったのは、美しい格子戸の家だよ。
かつては街道沿いの家にはどこでも見られた建物だけど、こうして
手入れの行き届いた美しい格子戸は蒲原宿でもここにしかないよ。
じっくり触ってみると。そのすべすべした木の感触が伝わりました。
14時46分


やがて街道は直角に左折し、すぐに旧国道1号線に出るよ。そこで今度は直角に右折するけど
その角にあるのが
西木戸跡です。これで蒲原宿は終わりと言うことだね。いろいろと
見どころがあって、楽しい宿場だったね。またパン買いに来ようね。
14時50分


旧国道1号線は、今は県道396号線と名前を変えて西へ進みます。ここから今日のゴール
蒲原駅までは1690m、長い国道歩きが今日の最後となります。ボクは足が痛くなって
とても辛い道のりでした。ゴールが見えないのでパパに聞くと、次の信号機のある交差点
だよと言うのですが、いつまでたっても信号が見えてきません。泣きたくなったよ。
写真右の遠くの青い看板は
清水銀行で、あそこまで行けば残り600mだって。
15時08分


清水銀行の直前にあったのは鮮魚の秋田屋。ここに面白い看板があったよ。
イルカスマシって書いてあるけど、いったいイルカの何なんだろう。蒲原宿内にも
そんな店が1軒あったけど、通過してしまい。気になっていたので今度は・・・。
15時11分


店の中を覗くと、冷蔵庫に確かにあったよ。1袋1000円で売っていたので
思わず買ってしまいました。お店のおじさんの話だと、イルカの背びれのことを
ここではスマシって言うんだって。ママはお澄まし(お吸い物)かと思っていました。
イルカスマシは蒲原だけの食習慣で、子供のおやつやビールのつまみとして
蒲原の人は昔から食べていたんだよ。ビールのつまみと聞いてパパはニッコリ
早速、宿で食べてみたら、クジラのベーコンの味がしてパパは懐かしがって
いました。これは病み付きになると喜んでいましたが、ボクたちも気に入り
パパよりたくさん食べてしまいました。又買いに来たいと思いました。
15時14分


やっと信号機が見えました。今日のゴールの蒲原駅です。信号の脇には
国道1号0.9kmと書いてあるけど、駅はすぐ道路沿いなので、分かり易いし
離れていないのは足の痛いボクにとって助かりました。今日は吉原のホテルに
泊まって、また明日歩く予定でしたが、翌日起きたら筋肉痛がひどく、
電車でこの駅まで来ましたが、結局歩けなくって帰る事にしました。
15時26分


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