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山の下に緑色の鉄橋が見えてきました。長かった沼津からの平地コースも
いよいよ終わるよ。橋を渡る前に手前の右側にある神社へ寄ってゆきましょう。
11時36分
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橋の直前、右側にあるのが水神社だよ。この神社のある森が、水神の森で溶岩の露頭の上
なので水害に強い場所だったんだ。ここには3箇所あった渡船場の一つがあって、昔は
大勢の人がこの富士川を船で渡っていったんだね。神社の前に案内板があったよ。
11時40分
東海道「歴史の道」
水神ノ森と富士川渡船場
江戸時代、東海道を東西に富士川を渡るには渡船を利用しました。これは富士川が
天下に聞こえた急流であり、水量も多いことと、幕府を開いた徳川家康の交通政策に
よるものでした。街道の宿駅整備にあわせ渡船の制度を定め、渡船は岩渕村と岩本
村との間で行われました。
東岸の渡船場は松岡地内の一番出しから川下二十町の間で、上船居、中船居、下
船居の三箇所があり、川瀬の状況で使い分け、そこから上、中、下の往還が通じてい
ました。今でも当時のなごりとして、下船居のあった水神ノ森辺りを「船場」と呼んでい
ます。用いた船には定渡船、高瀬船、助役船があり通常の定渡船には人を三十人、
牛馬四疋を乗せ、船頭が五人つきました。
渡船の業務は岩渕村で担当していましたが、寛永十年(1633)以後、船役の三分の
一を岩本村が分担しました。これは交通量の増加に伴って業務が拡大したためで、
岩本村が渡船に重要な役割を担いました。
水神ノ森には安全を祈願し水神社を祀り、著名な「東海道名所図会」にも記され、
溶岩の露頭は地盤堅固であり、古郡氏父子の巨大な雁堤は、ここから岩本山々裾
にかけて構築されています。このほか、境内には富士登山道標や帰郷堤の石碑が
建っています。
昭和六十年一月十日 富士市教育委員会 |
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水神社は真っ赤なコンクリート製で、もしここまで水がきても流されない神様だよ。
小さな窓があったので中を覗いてみたら、弥都波能売命という神様の名が書いてありました。
11時52分
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いよいよ富士川橋を渡ります。今は渡船じゃなくて歩いて渡れるから便利だね。
この橋は大正13年(1924)に完成した6連トラス橋です。長さは399m、昔は
ここが国道1号線だったからこんな立派な橋を作ったんだね。今の国道1号線は
新富士川橋といって海の近くでわたっているんだ。このほかにも富士川橋は
沢山あって、東名高速・第2東名・東海道線・東海道新幹線、みんな富士川を
渡る橋は富士川橋なんだ。この橋は人が渡ることが多いのか、立派な歩道も
付いているよ。しかも富士山がよく見えるように川の上流側に架けられているんだ。
11時53分
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さすがに大きな川は渡るのにも時間がかかるよ。ボクたちの足で10分もかかったよ。
でも、橋からの景色は抜群で、富士山と愛鷹山がセットでよく見えました。川の両岸には
魚道があって、春には鮎が上ってゆく姿が見えるんだろうな。今日はとにかく寒く、
ママは、この橋のことをまるで罰ゲームのようだと笑っていました。
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渡りきって山の麓に着いたら、急に風がやんで暖かくなりました。風が吹き抜けないと
こんなに体感温度が違うって驚いたよ。これからは山陰の道なので暖かそうです。
川を渡ったら街道は右折します。そして60m先のクリーニング店の角を左折し坂を
登って行きましょう。急坂なので今度は暑くなってきました。
12時06分
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登り坂は140m続くよ。途中には東海道の案内板があるから迷わないよ。
左の写真の場所で直角に右へ折れ、右の写真の場所で左折します。
12時09分
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平らな道になったら、そこからが岩渕宿です。宿場内に入ると、道路両脇の側溝の蓋に
東海道ルネッサンスのプレートが見られるよ。左が1998年に撮影したもので
当時、東海道400周年で新しく東海道ルネッサンスとして付けられたんだよ。
そして、右が同じプレートの13年後の姿です。すっかり仏像のような風格があるよ。
12時10分
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岩渕宿は、吉原と蒲原の間宿で、旅人の宿泊は許可されていなかったので、
船を待つ人が休む小休本陣と脇本陣がありました。ここは小休本陣だった
常盤家住宅主屋で、今でも黒塀で立派な門構えの家です。
12時16分
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岩渕の一里塚は、当時のまま左右二箇所ありました。この一里塚は江戸から
37番目で、岩渕村と中之郷村の村境に立っていました。当時この付近には
名産の栗ノ粉餅を売る茶店が立ち並んで賑やかだったんだ。大きな西側の
一里塚に生える榎は江戸時代のものだけど、ボクたちがおにぎり食べて
休んでいる東側の榎は昭和42年に枯れたので、二代目なんだよ。
12時24分~34分
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街道は一里塚で直角に右へ曲がり、富士川第1小学校を過ぎると今度は左に
曲がって進みます。パパが初めてここを通ったとき、ジョギングだったので
珍しがった下校中の小学生が追いかけてきたんだって、どこまでも付いて
来るから心配になってお家を聞くと、学校から2kmも離れた街道沿いで、
そこまで一緒に走ったんだ。当時の3年生は33歳になっているって
パパは時の流れを感じていました。当時の小学生はここをクリックしてね
小学校を過ぎて7分ほどで、写真右の交差点。東海道はここを右折するけど、
特に目印がなく、防災って書いた小さな倉庫と、その向こうに郵便局が
見えたら正解です。曲がったら、中部電力の事務所がありました。
12時48分
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曲がると、道はだんだん登り坂になって最後は急な車坂だよ。その頂上に
東名高速のガードがあるから、そこをくぐってすぐに左折してください。
12時57分
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車坂の天辺、東名をくぐる前に後を振り返ると、富士山がきれいに見えました。
電線も無く、ここからの富士山は最高、このそばの家はいいなってママ。
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東名高速をくぐって左折すると道は、東名に沿って100m進みます。振り返ると、
東名にある案内板が良く見えたよ。読むと富士川SA、ETC出口って書いてあります。
道は小さな川を渡って住宅地の中を進みます。ここでも振り返ると大きな富士山。
しばらく行くと右行き止まり、左蒲原の看板が、新幹線の線路がこの先にあって
車は通れないって意味だったんだけど、思わず蒲原だけを見て左の車道を行ってしまいました。
行き止まりのほうも、人は通れたはずです。
13時11分
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新幹線をくぐるり、旧道と合流すると右側の家の庭に、明治天皇御駐輦之跡の碑が
あります。富士山が綺麗だったのでここで休憩したのかなぁ。やがて東名を越える
ため、街道は急坂の道になりました。佐武はガンガン登って行くけど、ボクは
そろそろ疲れてきて遅れ始めました。
13時20分
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坂の頂上には東名高速を跨ぐ橋がありました。静岡←という案内板に従って左折し
橋を渡ります、下の東名高速にはトラックがいっぱい走っていました。
13時38分
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