
| 第15日目 | 2010年5月3日 |
![]() |
![]() |
|||
| 1987年5月30日 | 1998年10月15日 | |||
![]() |
||||
昨夜は、沼津の旅館に泊まって、今朝電車で原駅にやって来ました。 パパは23年前初めての東海道の時もこの駅を利用したんだよ。 そして2度目の東海道は12年前で、やはりここを通ったんだ。 こうして同じアングルで駅前の写真を撮ってみるとみると変化が分かって 面白いと思いました。今でも手作りパン屋のフランドル松屋さんは 当時のままで残っています。左側のビルは道路を広げたために なくなってしまいました。ではそんな原駅前から今日の旅は始まるよ。 8時59分 |
||||
![]() |
||||
![]() |
![]() |
|||
駅から100mも進まないうちに、面白そうなもの発見。ここは高嶋酒造の手前を 入ったところだよ。おじさんたちが水を汲んでいなかったら気が付かなかったよ。 高嶋酒造ではみんなにサービスするため、酒造りに使っている水を配っているんだ。 地下145.5mの井戸から自然に湧き出てきた水で富士山の霊水って言うんだ。 ボクたちも早速飲んでみたら冷たくてとてもまろやかな美味しい水でした。 ペットボトルに少し残っていたお茶を捨てて、ここの水を汲んでゆきました。 みんなも。駅を降りて出発する前にここの水を持って行くといいよ。 9時03分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
650m進むと右側にローソンがあって、その向かい側の渋田豆腐店の店先にも 富士山の天然水が出る蛇口が開放されていました。昔は24時間開放して いたらしいのだけど、商売に使う人が汲みに来るので今は豆腐店の 営業時間だけ開放しているんだ。まったく困った人たちがいるもんだ。 9時19分 |
||||
![]() ![]() |
||||
ちょっと進むと沼川第2放水路を渡ります。新田大橋の隣には水道管の橋があって その上に小便小僧が乗っていたよ。パパによると、あれは空気弁といって、パイプの 中にたまった空気を抜く弁があって、空気が全部抜けても最後に少しだけ水が 出るんだって、その時小便小僧は小便するみたい。なかなか見られないシーンだよ。 9時20分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
信号の手前に原宿一里塚跡があったよ。黄色の矢印のところに 案内板があるだけで、両側とも一里塚はありません。ボクたちの カウントでは日本橋から131km、ここは32番目の一里塚だから 125.7kmになるね。現代の東海道の方が5kmほど遠回り。 工場の向こう側に綺麗な富士山が顔を出したよ。この道は時々 凄い富士山がよく見えて天気が良かったら楽しい道です。 9時28分 |
||||
![]() |
||||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
|||
ここは132kmポイントにある大通禅寺だよ。1km毎に休憩しているボクたちは お寺の中のベンチで休憩したよ。パパは元気なのでお寺の中を探検しています。 ここには五百羅漢像があって、お庭のあちこちで羅漢さまがくつろいでいました。 また面白い百度石もあったよ。でもお経が刻まれているから百度石じゃなくて マニ車かもしれないね。マニ車って知ってる?チベットへ行くとあるらしいよ。 9時49分~10時01分 |
||||
![]() |
||||
![]() |
![]() |
|||
大通禅寺から200m進むと右側にあるのが焼きそばのゆきちゃんだよ。 まだ10時過ぎで、沼津駅で朝食にマック食べてきたばかりだけど、 富士宮焼きそばの看板に惹かれて入ってみました。 パパとママはB級グルメで有名な富士宮焼きそばが食べたかったのです。 ボクと佐武は、たこ焼きを注文しました。たこ焼きも美味しかったけど、 焼きそばは、面が太くこしがあってとても美味しいと二人は大喜び。 帰りにはお店のおばちゃんと一緒に記念撮影をしたよ。 東海道を歩いて行くと富士市は通るけど、富士宮市は通らないので 富士宮焼きそばが食べられるとは思っていなかったので感激です。 みんなもお腹がすいたときは、是非ゆきちゃんへ寄ってみてください。 10時06分~32分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
10分ほど歩くと右側の小さな公園みたいな広場の奥に、誰かの胸像があります。 近寄ってみると、日本経済新聞の紙面が彫られ、左側にこの像の人物が紹介 されていました。それによるとこの方は、鈴木和太郎と言う人で、白桃を作って 全国品評会で最優秀賞と取ったんだって。また日経新聞をよく読んで株式で儲けて 鈴和観光と言う会社を作ったって書いてありました。ドライブインから始めて 今では 10時42分 |
||||
|
||||
昔は、こんな大きなマンションなかったと、エンゼルハイム桃里をみてパパはビックリ。 マンションは遠くからもよく見えるので良いランドマークになります。マンションを 過ぎると、東海道本線の踏切、さすが直線が長いだけあって見事に線路は延びているよ。 踏切を越せば、沼津市ともお別れ、富士市へと入ってゆきます。 10時56分 |
||||
![]() |
||||
東柏原で県道380と合流するけど、その手前で素敵な富士山が見えたので ボクが写真を撮りました。どう上手に撮れたでしょ。 10時59分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
東柏原交差点は、この辺の旧東海道で一番海に近づくので、交差点を過ぎて 最初の路地を海に向かって入ってみました。防風林を抜けると巨大な防潮堤が そびえていて、90歳を過ぎたお爺ちゃんが必死に登っていました。 11時07分 |
||||
![]() |
||||
防潮堤は巨大で、海に降りられるところまで西へ進みました。 振り返れば箱根峠や沼津の香貫山、そして西伊豆の山々、前を 望めば由比から三保の松原まで見えます。とても気持ちよい ので、街道ではなくこの上を西へと進んでみました。 11時12分 |
||||
![]() |
||||
みんなで海に入って遊ぼうと意気込んで海岸に向かったけど、最後は 砂利の急斜面になって海に落ちているので、とても遊べる状態ではなかったよ。 でも佐武はどうしても遊びたくて、未練たっぷりに一人海を見つめ 引き上げようとしませんでした。周囲にも降りられそうな海岸はありません。 |
||||
![]() |
![]() |
|||
結局、海辺を340m歩いて街道へ戻りました。戻ったところはちょうど 東田子の浦駅前でした。そこから200m、ビジネス旅館柏屋前に 間宿・柏原・本陣跡の碑があったよ。この旅館が昔本陣だったのかなぁ。 間宿というは、原宿と吉原宿の間が長かったから設けられた宿場なんだ。 中山道にもよくあったよ。 11時45分 |
||||
![]() |
||||
![]() ![]() |
![]() |
|||
間宿跡の向かいには立圓寺があります。ここには大きな赤い錨があるので街道からも 目立ちます。隣には慰霊碑があって、インドネシアのプルワディさんとカルミジャンさんが 1979年10月19日に亡くなったと書かれています。いったい何で?隣の碑を読みました。
11時49分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
350m進むと昭和放水路を渡る広沼橋だよ。なかなか飽きないでしょうこの街道も。 11時53分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
広沼橋を渡り左へ入ると増田平四郎の像があるよ。平四郎は天保七年(1836年) 度重なる水害から村民を守るため、浮島沼の大干拓を計画し、昭和放水路と同じ 場所に大排水路を完成させました。韮山の代官所へは工事の許可願いのため 12回、勘定奉行へは6回出向き、計画から27年目に着工することができたんだ。 また身延山久遠寺からも多額の資金援助を受け沼から海岸まで505m巾7mの 大工事をしたんだよ。でもその年に高波がきて壊れ計画は頓挫しちゃったんだ。 でもその志は後世の人々に受け継がれているんだよ。この昭和放水路もそのひとつなんだ。 11時55分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
放水路から1km、やっと直線が終わる檜の交差点に到着です。ここで県道380は 線路を越して吉原駅の北側へと行ってしまいます。ボクたちの東海道は左の小径 車の通りが少ない静かな道へと入って行きます。入り方は写真の案内板の通りだよ。 12時23分 |
||||
![]() |
![]() |
|||
旧道に入って500m、パパは懐かしいと叫びました。それは大石石材工業の店先にある ドラえもんです。左の写真は12年前に撮ったもの、ピングーが居なくなったけど、ピカチュウー とドラえもんは同じだね。12年前も物にしては綺麗だけど、新しいのかなぁ。 でも配置や台になってる石まで当時と同じだなんて、まるで奇跡だと喜びました。 12時47分 |
||||
![]() |
||||
東柏原から見えていた日本製紙鈴川工場の煙突がもうこんなに近くなったよ。 ゴールはあの煙突の向こうと聞かされうんざりしていたボクですが、歩いてみると ぐんぐん迫ってきてもうすぐそばって感じです。この先はもう吉原、いよいよゴールかな。 12時51分 |
||||