退屈だと思っていた原宿の一直線も寄り道すれば楽しい街道です!


第15日目 2010年5月3日

平均気温16.3℃ 最高気温21.5℃ 最低気温10.3℃ 平均湿度65 % 風速2.5m/s 降水量0.0mm 日照時間7.6時間
気象庁電子閲覧室より引用

本当に足が痛くて、やっと歩いている平次。特にどこが痛いというわけではなく
筋肉痛らしいので日ごろの運動不足が気になります。体重もやや太めになって
足の負担が増えているのでは。運動会に向けても、もう少し体重落として
鍛えないとこの先が続きません。


 1987年5月30日 1998年10月15日



昨夜は、沼津の旅館に泊まって、今朝電車で原駅にやって来ました。
パパは23年前初めての東海道の時もこの駅を利用したんだよ。
そして2度目の東海道は12年前で、やはりここを通ったんだ。
こうして同じアングルで駅前の写真を撮ってみるとみると変化が分かって
面白いと思いました。今でも手作りパン屋のフランドル松屋さんは
当時のままで残っています。左側のビルは道路を広げたために
なくなってしまいました。ではそんな原駅前から今日の旅は始まるよ。
8時59分


駅から100mも進まないうちに、面白そうなもの発見。ここは高嶋酒造の手前を
入ったところだよ。おじさんたちが水を汲んでいなかったら気が付かなかったよ。
高嶋酒造ではみんなにサービスするため、酒造りに使っている水を配っているんだ。
地下145.5mの井戸から自然に湧き出てきた水で
富士山の霊水って言うんだ。
ボクたちも早速飲んでみたら冷たくてとてもまろやかな美味しい水でした。
ペットボトルに少し残っていたお茶を捨てて、ここの水を汲んでゆきました。
みんなも。駅を降りて出発する前にここの水を持って行くといいよ。
9時03分



650m進むと右側にローソンがあって、その向かい側の渋田豆腐店の店先にも
富士山の
天然水が出る蛇口が開放されていました。昔は24時間開放して
いたらしいのだけど、商売に使う人が汲みに来るので今は豆腐店の
営業時間だけ開放しているんだ。まったく困った人たちがいるもんだ。
9時19分


ちょっと進むと沼川第2放水路を渡ります。新田大橋の隣には水道管の橋があって
その上に
小便小僧が乗っていたよ。パパによると、あれは空気弁といって、パイプの
中にたまった空気を抜く弁があって、空気が全部抜けても最後に少しだけ水が
出るんだって、その時小便小僧は小便するみたい。なかなか見られないシーンだよ。
9時20分


信号の手前に原宿一里塚跡があったよ。黄色の矢印のところに
案内板があるだけで、両側とも一里塚はありません。ボクたちの
カウントでは日本橋から131km、ここは32番目の一里塚だから
125.7kmになるね。現代の東海道の方が5kmほど遠回り。
工場の向こう側に綺麗な富士山が顔を出したよ。この道は時々
凄い富士山がよく見えて天気が良かったら楽しい道です。
9時28分


ここは132kmポイントにある大通禅寺だよ。1km毎に休憩しているボクたちは
お寺の中のベンチで休憩したよ。パパは元気なのでお寺の中を探検しています。
ここには
五百羅漢像があって、お庭のあちこちで羅漢さまがくつろいでいました。
また面白い百度石もあったよ。でもお経が刻まれているから百度石じゃなくて
マニ車かもしれないね。マニ車って知ってる?チベットへ行くとあるらしいよ。
9時49分~10時01分


大通禅寺から200m進むと右側にあるのが焼きそばのゆきちゃんだよ。
まだ10時過ぎで、沼津駅で朝食にマック食べてきたばかりだけど、
富士宮焼きそばの看板に惹かれて入ってみました。
パパとママはB級グルメで有名な富士宮焼きそばが食べたかったのです。
ボクと佐武は、たこ焼きを注文しました。たこ焼きも美味しかったけど、
焼きそばは、面が太くこしがあってとても美味しいと二人は大喜び。
帰りにはお店のおばちゃんと一緒に記念撮影をしたよ。
東海道を歩いて行くと富士市は通るけど、富士宮市は通らないので
富士宮焼きそばが食べられるとは思っていなかったので感激です。
みんなもお腹がすいたときは、是非ゆきちゃんへ寄ってみてください。
10時06分~32分


10分ほど歩くと右側の小さな公園みたいな広場の奥に、誰かの胸像があります。
近寄ってみると、日本経済新聞の紙面が彫られ、左側にこの像の人物が紹介
されていました。それによるとこの方は、
鈴木和太郎と言う人で、白桃を作って
全国品評会で最優秀賞と取ったんだって。また日経新聞をよく読んで株式で儲けて
鈴和観光と言う会社を作ったって書いてありました。ドライブインから始めて
今では富士ポートホテルを経営する一家の先代なんだよ。立派な人だね。
10時42分


昔は、こんな大きなマンションなかったと、
エンゼルハイム桃里をみてパパはビックリ。
マンションは遠くからもよく見えるので良いランドマークになります。マンションを
過ぎると、
東海道本線の踏切、さすが直線が長いだけあって見事に線路は延びているよ。
踏切を越せば、沼津市ともお別れ、
富士市へと入ってゆきます。
10時56分


東柏原で県道380と合流するけど、その手前で素敵な富士山が見えたので
ボクが写真を撮りました。どう上手に撮れたでしょ。
10時59分


東柏原交差点は、この辺の旧東海道で一番海に近づくので、交差点を過ぎて
最初の路地を海に向かって入ってみました。防風林を抜けると
巨大な防潮堤
そびえていて、90歳を過ぎたお爺ちゃんが必死に登っていました。
11時07分


防潮堤は巨大で、海に降りられるところまで西へ進みました。
振り返れば箱根峠や沼津の香貫山、そして西伊豆の山々、前を
望めば
由比から三保の松原まで見えます。とても気持ちよい
ので、街道ではなくこの上を西へと進んでみました。
11時12分


みんなで海に入って遊ぼうと意気込んで海岸に向かったけど、最後は
砂利の急斜面になって海に落ちているので、とても遊べる状態ではなかったよ。
でも佐武はどうしても遊びたくて、未練たっぷりに一人海を見つめ
引き上げようとしませんでした。周囲にも降りられそうな海岸はありません。


結局、海辺を340m歩いて街道へ戻りました。戻ったところはちょうど
東田子の浦駅前でした。そこから200m、ビジネス旅館柏屋前に
間宿・柏原・本陣跡の碑があったよ。この旅館が昔本陣だったのかなぁ。
間宿というは、原宿と吉原宿の間が長かったから設けられた宿場なんだ。
中山道にもよくあったよ。
11時45分


間宿跡の向かいには立圓寺があります。ここには大きな赤い錨があるので街道からも
目立ちます。隣には慰霊碑があって、インドネシアのプルワディさんとカルミジャンさんが
1979年10月19日に亡くなったと書かれています。いったい何で?隣の碑を読みました。


 ゲラテック号遭難誌

 清水港より救援米を運ぶ途中昭和五十四年(1979年)十月十九日台風二十号に遭遇し
 強風と高浪により船体は立円寺南方の柏原海岸に打ちあげられ救助を求める二人の
 船員の遵い生命も奪われました。船体は直立のまま海岸線と防潮堤の中間の陸地に
 打ちあげられ新聞テレビのマスコミにも登場し日旺、祝日には、五万人の人手を数え
 売店十数軒出店するなど近郊は勿論のこと東京愛知山梨より見物客が押しかけた。
 船体は六ヶ月間を要して解体処理されここに遭難者の慰霊を祀り碑を建てる。

  船名 ゲラテック号(西独建造)
  船籍 インドネシア ジャカルタ
  屯数 六二三〇屯
  全長 155米 高さ巾各20米
  錨  重量4屯


11時49分


350m進むと昭和放水路を渡る広沼橋だよ。なかなか飽きないでしょうこの街道も。
11時53分


広沼橋を渡り左へ入ると増田平四郎の像があるよ。平四郎は天保七年(1836年)
度重なる水害から村民を守るため、浮島沼の大干拓を計画し、昭和放水路と同じ
場所に大排水路を完成させました。韮山の代官所へは工事の許可願いのため
12回、勘定奉行へは6回出向き、計画から27年目に着工することができたんだ。
また身延山久遠寺からも多額の資金援助を受け沼から海岸まで505m巾7mの
大工事をしたんだよ。でもその年に高波がきて壊れ計画は頓挫しちゃったんだ。
でもその志は後世の人々に受け継がれているんだよ。この昭和放水路もそのひとつなんだ。
11時55分


放水路から1km、やっと直線が終わる檜の交差点に到着です。ここで県道380は
線路を越して吉原駅の北側へと行ってしまいます。ボクたちの東海道は左の小径
車の通りが少ない静かな道へと入って行きます。入り方は写真の案内板の通りだよ。
12時23分


旧道に入って500m、パパは懐かしいと叫びました。それは大石石材工業の店先にある
ドラえもんです。左の写真は12年前に撮ったもの、ピングーが居なくなったけど、ピカチュウー
とドラえもんは同じだね。12年前も物にしては綺麗だけど、新しいのかなぁ。
でも配置や台になってる石まで当時と同じだなんて、まるで奇跡だと喜びました。
12時47分


東柏原から見えていた
日本製紙鈴川工場の煙突がもうこんなに近くなったよ。
ゴールはあの煙突の向こうと聞かされうんざりしていたボクですが、歩いてみると
ぐんぐん迫ってきてもうすぐそばって感じです。この先はもう吉原、いよいよゴールかな。
12時51分


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