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三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えて一駅、三島広小路駅が今日のスタートだよ。
今日はとっても良い天気で、みんな気合が入っているけど、ボクは歯が痛かったり、足も
少し痛くて、果たして歩けるか心配なんだ。でもみんなと一緒だから元気に頑張ります。
9時39分
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右側を進んで行くと5分くらいの場所に名物のお菓子屋、和泉屋さんがありました。
東海道はグルメの旅ってことで、早速お店に入って名物のくづ湯を食べようと
おばちゃんに頼んだところ、お湯に通して食べるお菓子だから、そのままかじれないよと
言われてがっかりしました。ボクはお腹が空いているのにとっても残念です。
和泉屋の少し先で、三島市とお別れ、清水町へ入ります。清水町は小さな町で、
東海道は1925mしかありません。でも昔パパが通ったときは街中お花がいっぱいで
とても綺麗な町だったことを覚えているんだって、楽しみだなぁ。
9時50分
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三島市の外れには秋葉神社という小さなお社があります。でも面白いのはお社ではなく
その神社の社務所だよ。まるで交番のような小さな社務所なんだ、いったい何人入れるんだろう。
その先には、有名な千貫樋があります。三島市と清水町の境にある境川橋の上から良く見えるよ。
右の写真の黄色の矢印のところにあるんだ。気をつけて歩かないと見落としちゃうからね。
9時51分
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千貫樋
伊豆・駿府の国境、境川にかけられてある樋で、長さ42.7m、巾1.9m、深さ45cm、高さ4.2mである。
創設については諸説あるが、天文二十四年(1555年)今川、武田、北条三家の和睦が成立した時
北条氏康から今川氏真に婿引出物として、小浜池から長堤を築き、その水を駿河に疎通させたと
いうのが一般に認められている。
この疎水により清水町の新宿、玉川、伏見、八幡、長沢、柿田の耕地約130ha(旧高200石)が
多大の恩恵を受けるに至った。
樋は、始め木樋であったが大正十二年関東大震災の際、崩落したので現在の鉄筋コンクリートに
改めた。千貫樋の樋名については
1、架設が巧みなため銭千貫に値する。
2、この用水が高千貫の田地を潤している。
3、建設費が銭千貫を費やした。
等が、命名の由来と伝えられている。
清水町教育委員会
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確かに境川を横断するように、コンクリートの樋が見えたよ。千貫樋と書かれた文字も
昔風に右から書かれているんだよ。でも今は千の文字しかなくて、10年前はここに
貫の字があったんだと、あとでパパが写真に描き込んだのが黄色い貫の字です。
熊本城へ行ってからすっかり歴女になったママは、説明板に今川、武田の字を見つけ
喜んで勉強していました。川の上を越える水路は日本中にあるし、古くはローマ時代
にもあったから、ボクはそんなに珍しいものとは思えませんでした。
9時52分
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千貫樋は空中を通る水路だけど、その先はどうなっているんだろうと、パパは住宅の
間にある路地を進んで、水路の写真を撮ってきたよ。かなり幅も広くて、今でもしっかり
水が流れていました。そばにいたおばちゃんは、休日になると良くこの路地まで
みんな見に来ると言っていました。小浜池まで遡ってみたいとボクは思ったよ。
9時54分
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千貫樋から170m進むと右側に立派な常夜灯があるよ。元々この先の交差点に
あったんだけど、東海道400年を記念してここに移したんだよ。両側には秋葉大権現と
富士浅間宮と書かれた弘化三年(1846年)に造られたものなんだ。
先の交差点を過ぎると、今度は左側に面白い家があったよ。家の壁にハートのエース。
トランプが描かれた家なんだ。ここのおじちゃんは、キャンディーズのファンだったんじゃない?
とパパは言いました。何のことかボクにはさっぱり分かりませんでした。
9時59分
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国道1号線の八幡交差点手前220mには両側に残った一里塚があったよ。
一里塚の名前は伏見一里塚といって江戸から29番目の一里塚だよ。
京都に向かって左側が宝池寺一里塚(写真上)、右側を玉井寺一里塚(写真右下)と
呼ぶのも面白いと思いました。それぞれお寺の境内にあったから、そう呼ばれたんだ。
一里塚で休んでいたら、ボクたちみたいな家族がやってきました。話を聞くと、やはり
親子連れで東海道を旅しているんだって。お兄ちゃんは翔太くん4年生、弟は湧太くん
2年生とボクたちと同じ年ジャン。早速仲良くなって一里塚に登って遊びました。
パパも子連れの街道ウォーカーに逢ったのは初めてと感激していたよ。
しかもボクたちのサイトを知っているというので2度びっくりしました。
頑張って三条大橋まで歩いてください。またお便りください。
10時13分
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翔太くんたちを見送って、またのんびりと進みます。程なく国道一号線との交差点八幡です。
東海道はここで真っ直ぐ進みますが、ボクたちは左折して440m、柿田川湧水を見に行きます。
途中、お弁当の天神屋があったので、おむすびを買って柿田川へ向かうことにしたよ。
10時31分
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ボクは今学校の勉強で、近くを流れる鶴見川のことを学習しているんだ。それで今日は
珍しい川、柿田川を見せようと、パパが連れてきたんだよ。柿田川は全長がたったの1.2km
しかないとっても短い川なんだ。鶴見川の42.5kmでも短いと思っていたのにビックリ。
しかも柿田川は長良川・四万十川と並ぶ日本三大清流のひとつなんだ。何で綺麗かというと
その水全てが富士山の伏流水で、この湧水地で全量が湧き出ているんだよ。
すぐ隣は国道一号線、その向こうには大きなショッピングセンターが並んでいて、
とても清流の出発点とは思えない場所にあるからとても驚きました。
10時36分
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湧水の周りは柿田川公園になっていて、湧水第一展望台と湧水第二展望台があって、
ボクたちでも安心して湧水を間じかに見ることができます。この写真は第二展望台の
張り出しデッキから見た湧水だよ。水がものすごく綺麗で、ガンガン湧いてくる様子がわかるよ。
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そんな湧水の中には大きなお魚がたくさん泳いでいて、とても気持ち良さそうでした。
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湧水見学を終えたボクたちは、上の公園のベンチでおにぎりタイム。
さぶは特大のげんこつむすび(明太・高菜)を頬張ってご機嫌です。
ボクたちは食後、公園の中にあったせせらぎで他の子供たちと遊びました。
みんなも、東海道からちょっと寄り道するとこんな素敵な場所があるので
是非来て下さい。
11時05分
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再び八幡交差点に戻って、東海道を進むと500mで右に八幡神社が現れるよ。
その目印は対面石(写真左)、参道は200mもあって長いけど、対面石は
見る価値があるとパパは言いました。でもボクはもう足が痛くて、入口の鳥居の
下でみんなを待っていることにしたんだ。どうも今日は調子が出ません。
11時18分
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まず、入って驚いたのは神社の注連縄です。各地で色々な注連縄を見てきましたが、
こんな形状の注連縄は初めてです。どのような謂れでこうなったのでしょうか。
カーソルを右の写真に合わせると、その奇妙な注連縄がよく分かります。
11時21分
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これが、本殿左裏にある頼朝・義経の対面石です。
対面石
所在 清水町八幡 八幡神社境内
治承四年(1180年)十月、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せてきた時、
鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣した。たまたま、奥州からかけつけた弟の
義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。
この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石という。
またこの時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじって
かたわらに捨てた。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この
二本は幹をからませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は
呼ぶようになった。
清水町教育委員会
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この説明ではたまたま奥州からかけつけたとありますが、吾妻鏡や源平盛衰記に
よると頼朝の挙兵を聞いて駆けつけたことになっています。対面の前日、有名な
富士川の戦いで鳥の羽音に驚き総崩れとなった平家と戦った頼朝でしたが
翌日、若武者が面会を申し入れた時、家来は怪しんで取り次ごうとしなかった
そうです。しかし若武者の年を聞いた頼朝が義経と思い、対面が叶うことに
なりました。このとき頼朝は涙を流して対面したそうです。この対面のことを
歴史上では黄瀬川の対面と呼び、前述の古書に記述が見られます。
11時22分
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やっとパパが戻って着ました。ボクが元気出ない理由のひとつは歯が痛いからだよ。
見て見て、このまえアマルガムをしていたところがはがれてしまい。歯医者さんへ
行って型を取り、それまでは仮の詰め物をしているんだ。そこが痛むので早く歯医者へ
行きたいんだよ。黄瀬川の手前には少しだけ松並木があって長沢の看板があるよ。
11時35分
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箱根の乙女峠から御殿場を通って流れてくる黄瀬川は、この黄瀬川橋を過ぎると
まもなく狩野川に合流します。ここで、清水町とはお別れ、沼津市に入るよ。
10年前、20年前はもっともっと花を1軒1軒の家で育てていて素晴らしい町だったのに
今回は少々花が少なくてパパは残念がって通り過ぎました。町に花を育てていた
お年寄りのみなさんが更に年取って、花を育てられなくなったのではと心配してました。
11時37分
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