快晴の箱根峠を越えて快適に三島まで下ります!

第13日目 2009年11月3日

平均気温10.1℃ 最高気温16.1℃ 最低気温5.8℃ 平均湿度64 % 風速1.8m/s 降水量0.0mm 日照時間9.6時間
気象庁電子閲覧室より引用



パパは、ボクたちがまだ寝ているときに一人で散歩に出かけます。今日は
ペンション芦ノ湖グリーンハウスに泊まったのだけど、朝6時には散歩に
行ってしまいました。そのときに発見したのが、この
大きな楓の木だよ。
この楓は、箱根ホテルの駐車場に立っているけど、昔ここは「
はふや」という
箱根宿の
本陣だったんだ。箱根といえば杉並木が有名だけど、宿場の人たちは
味気ない杉より楓が好きで、宿場に入ると楓並木になるように植えたんだよ。
でも明治中頃の道路拡張で、ほとんどの楓が伐られてしまったんだ。
その中で唯一残ったのが、この樹齢400年の楓なんだって。


その先の箱根登山バス営業所のある駐車場の奥には箱根駅伝記念碑があるよ。
駅伝を讃えてという碑と、ランナーの彫刻が建っているんだ。パパは箱根駅伝が
大好きで、毎年見ているから感激したみたいだね。その先の箱根関所南の交差点を
右折したところが、
箱根駅伝のゴールだよ。今朝は誰もいなくてとっても静かだけど
1月2日の午後には大変な騒ぎになるんだ。


芦ノ湖畔に出てみたら、もやで見えない水面にたくさんのボートが浮いていたよ。
魚釣りの人たちも朝早くから頑張っているね。その向こうには真っ白になった
富士山


しっかり朝ごはんを食べて出発です。昨日の交差点まではほんの少し、
そこから右の
芦川の旧道へと入ってゆきましょう。駒形神社の前を通って
240m進むと左に芦川の
石仏群が現れるよ。ここからまた石畳の道が始まるよ。
8時54分


ここから箱根峠までは1200m、5つの坂を登ってゆくよ。まず最初は向坂
石のブロックで出来た側溝を上って行くと楽だよ。石畳の道は草がたくさん
生えていて道とは思えない坂です。次は、国道1号線の下をトンネルでくぐります。
すぐに現れたのは
赤石坂。そして昔の杉並木が残る釜石坂
石畳の坂が急な
風越坂。最後の階段になっているのが挟石坂だよ。
全ての坂道に名前を付けるなんて昔の人は風流だったんだね。
9時06分


ポンと国道へ出ちゃったけど、この先どこへ進んでいいのか、まったく標識が無いよ。
出た道をすぐ左へ進むと人間は通行禁止の箱根新道になって小田原へ戻っちゃうから
全ての道路を横断して、反対側の山の下まで進んで下さい。そしたら左へと緩やかに
登って行きます。140mで
箱根新道のインターをくぐり、更に120m進むとそのインター
入口の道を横断します。写真右はその少し手前だよ。自動車専用道路みたいだけど
ゼブラゾーンがあるから意外と歩いていても安心だよ。
9時19分


次に横切るのは
芦ノ湖スカイラインの入口だけど、その手前のカーブは
とても景色が良いからゆっくり写真を撮るといいよ。今日は快晴だったので
富士山がとても大きく見えたよ。
9時26分


芦ノ湖も眼下に広がって良く見えるよ。その先に箱根大名行列の案内板がありました。
11月3日って今日じゃん。ボクたちが登ってきた三枚橋からの東海道を舞台に行列が
あるんだね。甲州街道でも小原宿で今日大名行列があるみたいだよ。行列の日なのかなぁ。
9時28分


標高846mの箱根峠に着きました。ここからは下り坂だ~。やった~~~~。
そしてここからは86km続いた
神奈川県とお別れして静岡県に入ります。
静岡県は100kmも多い186km歩かないと通過できないよ。クラクラしてきたよ。
10年前は、ボクたちが今たっている左側にコンビニがあったのにってパパは
嘆いています。今日は良い天気なのでオートバイでツーリングに来ている
グループがたくさんいて、この峠もにぎやかだよ。
9時32分


今までは右側の広い駐車場の前を通って行くのが東海道だったんだけど、
こんな歩道が出来ていてパパは驚いていました。歩道の入口ゲートには
箱根旧街道って書いてあります。早速このゲートをくぐって進みました。
すると見慣れない
石の彫刻群があったよ。なんだか分からないけど
面白そうだったので、ボクは1つ1つ写真を撮ってみました。
9時33分

橋本聖子 杉本苑子 宮城まり子 橋田寿賀子
黒柳徹子 桜井よしこ 穐吉敏子 向井千秋

この石の彫刻は、「新箱根八里記念碑(峠の地蔵)」って言うんだよ。
これはこれから行く三島のお兄さんたちが企画した未来への道しるべなんだよ。
現代を代表する8人の女性たちがそれぞれの言葉を刻んでいるんだ。
峠の駐車場の裏にあるので、ここで休んだときには是非見てね。


駐車場の一番三島寄りには、立派なトイレがあり、その裏の道が旧東海道だよ。
国道から行くと駐車場の外れを右に入るんだ。右に
ゴルフ場を見ながら340m
進むと、写真右の場所になって、ここから
静岡側旧道の下りが始まります。
9時41分


左の写真が現在の入口、右は1987年の同じ場所なんだ。
昔は道標もしっかりしていなくて、どこが旧道か分からず進んだんだって。
雰囲気は今もあまり変わらないね。じゃあ元気に下ってゆきましょう。
9時49分


入るとすぐに左「箱根八里記念碑」と右「接待茶屋・山中城址」という道標で
道が分かれるけど、右へと下って行きます。入口から5分も行かないうちに
出てくるのが、この笹のトンネルだよ、兜石跡の碑が建っているところまでの
5分間、こんなトンネルの中を下って行くんだよ。楽しそうでしょう。
この写真は佐武が撮ったんだけど、彼はだんだん撮るのが上手になるね。
9時51分


トンネルを抜けると左の路傍に兜石跡の碑がひっそりとたっています。
昔はここに兜石があったんだね。今は何処へ行っちゃったんだろう。
入口から560m降りてきたところで
国道に出てしまいました。パパの記憶
では、ここが一番の難所で、2回国道を横断するのは命がけといってました。
でも、今は、遠く迂回して接待茶屋へ向かうので、国道へ出たら、右へ
歩道を歩いていって下さい。そのまま下の写真のバス停を過ぎて旧道へ出るよ。
9時55分


国道が大きくS字を描いてカーブしている真ん中を一直線に旧道は走っています。
でも今は、横断できないようにガードレールと中央分離帯で旅人を阻止しています。
仕方ないので、国道に沿ってカーブを歩いてゆきましょう。途中にバス停が歩けど
無視して進むと、右へ入る旧道が出てくるよ。ここから振り返って、さっき出てきた
方向を見ると、国道の向こうに旧道と石仏群が見えました。昔パパはここを
横断して来たんだね。ボクたちを連れて横断するのは大変だったからよかったね。
10時05分

                 接待茶屋
  
初めてこの場所に接待茶屋を作ったのは、箱根山金剛院別当何だ。
  これが一時途絶えたけど、今度は江戸の豪商加勢屋与兵衛が再興
  したんだよ。しかし明治維新でなくなったので、八石性理教会がふた
  たび始めて、教会がなくなると鈴木さんちに引き継がれ三代により
  接待が続いたんだよ。この茶屋に終止符が打たれたのは1970年
  というから、40年くらい前までここにあったんだね。


あった、あった。これが兜石だ。接待茶屋のすぐそばに持って来ておいたんだね。
兜石は、兜に似ているから兜石という説と、小田原城を攻めたとき豊臣秀吉が
この石の上に兜を置いたから兜石という2つの説があるんだって。でもボクは、
兜に似ている石だから秀吉さんが兜を置いたんじゃないかと思うよ。
10時07分


兜石の先でも、道が分岐しているところがあったけど、道標がしっかりしているので
迷うことはありません。右へ行くと
三島市眺望地点って書いてあるけど、どんな眺め
か観たくなってしまうね。この先にも時々この三島市眺望地点と言うのが出てくるけど
だいたい、富士山の眺めが素晴らしい場所なんだ。時間のある人は寄り道もいいかも。
やっぱり秋だなと感じさせるものに落ち葉があるけど、ここの落ち葉もとてもきれいです。
10時10分


ここは明治天皇御小休跡なんだ。右の写真は1987年に同じ場所で撮ったものだよ。
よ~く見ると、石柱や周りのロケットのような柵は同じだね。昔はここから駿河湾が
良く見えたってパパは言ってたけど、今は笹薮の中に埋もれてしまって何も見えないよ。
きっと眺めが良かったから天皇もここで休んでいったのに、これじゃあ天皇も泣くね。
10時15分


国道1号線を眼下に見下ろす開けた場所に下りてきました。ここには簡易トイレ
あるし、国道へ降りる道もあるので、休むにはちょうど良い場所だよ。山の紅葉も
きれいなのでボクたちもちょっと休んでゆきました。
10時38分


大枯木坂の道標が出てきたら、桑原の集落は近いよ。いままでの展望の利かない
道と違ってこの辺りはとても眺めの良いコース。ボクたちもご機嫌で進みます。
集落、最初の家にはおじいちゃんとおばあちゃんが作業していて、ボクたちが
挨拶したら、よろこんで挨拶してくれました。
10時46分


その桑原の集落入口から眺めた駿河湾です。遠く大瀬崎の先端が良く見え、
釣りや海水浴に行ったんだってパパが懐かしがっていました。ここから大瀬崎までは
直線距離で24km、ほぼこの線上を旧東海道は進んで東海道線を渡る辺りで
右へとそれて行くんだよ。海の手前の峰の左端には鷲頭山という山があって
パパは若い頃ロッククライミングの練習によく来た場所なんだって。


桑原の集落へ入ったら直角に左へ曲がって国道を横断するよ。箱根旧街道迂回路って
標識に有るように、昔は集落の真ん中を街道が通っていたのかなぁ。国道を渡って
200m歩道を進むと、左へ降りる旧道が現れます。ここは
木の階段になっていて
ちょっと滑るから気をつけて降りてください。
10時50分


暗い杉林の中を進むこと10分。もみじ並木を作ろうとしている真新しい道が現れたよ。
旧道に沿って同じ幅で
コンクリートの道が並んで走ります。その可愛いもみじも
しっかり紅葉していて思わずパパは写真を撮っていました。
11時02分


コンクリートの道が終わる場所は国道との合流地点で、石畳の登り坂になっているけど
その手前の右側に注目してください。そこにあるのは
雲助徳利の墓です。左が今日の写真
右の写真はやはり1987年の同じ場所だよ。石碑は同じだけど周りの雰囲気は違うね。
11時06分


              雲助徳利の墓

  この墓は昔から「雲助徳利の墓」と言われています。墓石には盃と徳利が浮き出し
 ており、その下に「久四郎」という名前が彫られています。彼は松谷久四郎と名乗り、
 一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒のみのために事件を起こして、
 国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、
 雲助をいじめる武士をこらしめたり読み書きができるので、文字が読めない雲助たち
 の手紙を読んだり書いたり、相談に乗ったりしているうちに、やがて雲助仲間から
 親分以上に慕われるようになりました。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていた
 ので命を縮めることになってしまったのです。
  彼を慕い彼に助けられた雲助仲間は、ある日相談して金を出し合い、生前お世話
 になったお礼に立派なお墓をたてて恩返しをすることにしました。そして、その墓には
 彼が一生飲み続けたお酒を、盃と徳利で刻むことにしました。これが彼に対する最大
 の供養と考えたのです。
  「箱根の雲助」は、悪者の代表のように言われています。しかし、もし雲助がいなか
 ったら、箱根の坂をのぼれない弱い女性や病人はどうしたのでしょう。重い荷物は誰
 が運んだのでしょう。このほほえましい徳利の墓を見ていると、雲助たちの温かい
 人情が伝わってくるような気が します。
  なお、この墓の最初の位置は、山中の一里塚あたりでしたが、いつの日かこの地に
 移ってきました。酒飲みの墓ですので、ふらふらして一箇所に落ち着かないようです。
       平成十年十二月      三島市




雲助の墓から石畳を登ると横断歩道橋があるのでボクたちは渡ることにしました。
パパは先に渡ってしきりに看板を見ています。その前にはボクたちを抜いていった
おじさんとおばさんが、そんな写真を撮ったのも実は佐武なんです。天才だね!
11時07分


街道は、国道を行くんだけど、ボクたちは山中城址へ入ってみることにしました。
とても広くて景色がいいとパパが言っていたからです。最初に本丸の守護神として
祀られた
駒形神社の前へでました。そこには大きなカシの木がそびえています。
樹齢は500年~600年というので天正十八年にあった合戦の時にはもうあった
ということになるね。さらに進むと
本丸があり、ボクたちは二の丸、西の丸へと進みます。


佐武もカメラが好きになったみたいで、しきりと空堀なんかを撮っていました。
パパは、二の丸の櫓台のうえから富士山を写しています。


西の丸まで行くと、富士山から愛鷹山そして駿河湾までのパノラマが広がるよ。
ちょっと遠いけど、天気が良かったら是非行ってみてください。遠く由比まで見えます。


駐車場へ降りていって国道を横断すると、馬場があります。ここの芝生は
人もいなくて気持ちが良いので、コンビニで買ってきたおにぎりで昼食にします。
11時30分~12時15分


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