三枚橋まで標高差74m、ここから箱根路の登りは始まるんだよ。


東海道本線のガードをくぐり、新幹線のガードまでが足軽組長屋があったおくみながやです。
新幹線のガード手前で長屋は終わり、そこには矢来門のある板橋見附があったんだよ。
13時40分


2枚の地図を見比べると、昔と今がよく分かるでしょ。光円寺や居神神社は江戸時代のままで
この辺りには領主の番所があったんだね。東海道はここで枡形になっていて矢来門を
抜けると、もう家は無く天下の剣への寂しい道が始まったんだ。


旧道に入ると新幹線のガードの向こうに静かな街道が延びています。
渋い
廣瀬畳店を過ぎると地蔵そば店がありました。その先の左奥には
牛頭天王の祠が寂しくあります。明治十三年にこの辺りは流行り病に
襲われ、疫病や邪気を洗い流してしまう牛頭天王を祀ったんだよ。
13時42分


地蔵堂で道が左に折れるまでの直線には二軒の洒落た家がありました。
大正時代の銀行のような建物には、偉い人が演説しそうなベランダに洗濯物が。
次の蔵造りの家は、アーチ型をした青い扉が気になりました。
その先の角には
松永記念館への案内板があったよ。電力王と呼ばれた松永安左ヱ門
収集した古美術品を展示してある記念館なんだ。時間と興味のある人は寄ってみてね。
13時49分


街道は大きく左へと曲がり、その右には宗福院地蔵堂があります。ここでビックリしたのは
普通、仁王像が建っている場所に大黒様がいたんです。
鎮守福興大黒尊天といって
ものすごく大きい大黒様が右側だけに立っていました。ビックリしたい人は是非近くまで。
13時55分



 板橋の地蔵尊

 この地蔵尊は「板橋のお地蔵さま」と呼ばれ、古くからこの地方に名高く知られ
 わたっている。永禄12年(1569)、香林寺九世の文察和尚は、身丈一丈(約33
 0センチ)の大坐像を造り、箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫像の
 御真体を胎内に安置したといわれている。毎年1月と8月に23日・24日の両日
 が縁日で、当日は境内及び参道に市が立ち参拝者でにぎわう。この地方では、
 新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間つづけてこの地蔵尊へ参拝する
 習俗があり、この日に参拝すると故人に似た人に必ず合えるといわれている。
 この境内には、寛政7年(1795)に建てた一刀流6代目の横田常右衛門豊房と
 7代名坂四郎治政宣の供養碑が立っている。また明治戊辰の役の後に、合戦の
 犠牲者となった官軍の軍監中井範五郎らあわせて13名の姓名を刻んだ慰霊碑
 もある。


境内にはブランコがあって、ボクたちはそっちの方が興味があって、パパが案内板を
読んだり、大黒様の写真を撮っている間遊んでいました。また立派なトイレもあるよ。
14時02分


板橋の旧道は740mほどでお終い。箱根登山鉄道のガードをくぐると再び国道1号だよ。
そこからは680m国道を歩いて次の旧道へ向かいます。途中で電車が来たけど、
箱根登山鉄道なのに小田急線が走っています。パパに聞いたら、新宿から箱根湯本まで
小田急線が走っていて、小田原から箱根湯本までは箱根登山鉄道の線路に乗り入れて
いるんだって。今日の帰りも箱根湯本から小田急線で新百合ヶ丘まで行くんだね。
14時05分


国道の右側を進んでゆくと、上空に高速道路が出てきたよ。この高速道路は
東名高速の厚木ICからここまで来ている
小田原厚木道路なんだ。夏休みは
いつもこの上を走って来て箱根ターンパイクから伊豆スカイラインを通って
下田の白浜海岸へ海水浴に行っているんだ。今日はその道の下をくぐります。
くぐったら線路を渡って右の旧道へと入ってね。
14時16分


線路を渡るとすぐに日蓮聖人霊跡という看板がありました。
読んでみると、この線路の際の山道を登ってゆくと象の鼻に似た岩があって、
そこに登った日蓮さんは遠くに見える房総半島を見て、自分の故郷と
亡くなってしまった両親を思って冥福を祈ったんだって。
なんだか遠そうだったので行くのは諦めちゃったけど、そんなに眺めが
いいのなら行ってみたいと思いました。
14時17分


日蓮さんの史跡をあとに風祭・入生田の旧道へと入ってゆきます。いきなり道が
3本に分かれるので驚かないでね。旧道は真ん中の道だよ。ここから国道に
合流するまで1700mもあるから車を気にしないでのんびり歩くことができるよ。
14時18分


目を引くようなものが少ない旧道だけど、この箱根病院はちょっと目立ちます。
もともとは戦争で負傷した兵隊さんたちを治療するために国が作った病院だったんだけど
今では筋ジストロフィーを得意とする独立行政法人国立病院機構の病院なんだよ。
病院の前が
風祭駅です。踏切を渡ると右側に鈴廣のかまぼこ博物館があるので
時間にゆとりのある人は除いてみましょう。
14時25分


病院の外れのコンクリートで出来た崖下には不思議な扉がついていました。
昔は防空壕でいまは野菜などを保管する
自然の冷蔵庫として使っているんじゃないって
パパが教えてくれました。中をのぞいてみたかったけど鍵がかかっています。
ちょうど日影になって風も涼しく気持ちよかったのでみんなで崖に寄りかかって休憩です。
14時29分


風祭駅から140m、小さな沢を渡って右へ入る道の奥に道祖神があります。
この場所は、
風祭の一里塚跡で江戸から21番目の一里塚だよ。パパが撮った
30年前の写真を見たら右側の家は昔のままだったのでちょっとうれしかったよ。
14時34分


宝泉寺の下にあった民家に綺麗なあじさいが咲いています。さぶは思わず
シャッターを切ったよ。その先紹太寺手前にはこんにちはをして花を咲かせた
シャボテンがありました。
14時37分


ここは長興山紹太寺の入り口です。ここには有名な枝垂桜があるんだよ。
でも今は初夏、桜の季節に来ないとだめだねってことで下からみて通過します。
14時47分


入生田駅の手前でさぶが発見したのは、庭と大きく彫られた大きな丸い石だよ。
でも地震が起きて道路に落ちたら、坂をドンドン下って国道までいっちゃうかなぁ。
入生田駅の先でボクが発見した鳥は黄色いキレイな鳥だよ。でも名前が分からないんだ、
インターネットで鳥類図鑑を調べてもこんな鳥は見つからなかったよ。誰か教えて!
14時52分


箱根登山鉄道の踏切があったよ。渡って沢を越えたところ右側に石碑が
二つありました。一つは
駒ノ爪橋跡。源頼朝が富士山への狩りの帰り、
ここで馬が暴れて石橋の上に蹄の跡が残ったんだよ。石にも跡を付ける強い馬に
あやかって、旅人がここで足が丈夫で旅がうまくゆくようにお願いをしたんだ。
ボクたちもお願いしました。もう一つは
日本初の有料道路の碑
ボクたちが歩いているこの風祭~入生田の旧東海道は明治八年、江戸時代
の街道を拡幅して箱根湯本まで日本で初めての有料道路にしたんだって。人力車が
通れる道を作れって福沢諭吉が言ったので勾配を緩くした道が出来上がったんだよ。
だからボクたちが歩いているのは江戸時代の勾配ではなく、有料道路の勾配なんだ。
でも坂は辛いね。
14時55分


かまぼこ・干物のお土産店いりふねの場所で、再び国道へ出ました。
この先の100mは国道に歩道が無いので、この写真右の
階段を登って
一段高い場所に在る歩道を歩きましょう。
15時00分


一段上の歩道に入ると右の山から大きな管が山の斜面にありました。
これはこの下にある
山崎発電所の導水管なんだって。東海道にはいろいろな場所に
こんな導水管があるから楽しみにってパパが言いました。次に現れたのは
ボクがまだ乗ったことのない
新しいロマンスカーです。この前の帰りには
地下鉄まで乗り入れる青いロマンスカーは乗ったのだけど、これも乗ってみたいよ。
階段を降りると、すぐに旧道の入口があります。そこには交通安全の
モニュメントがありました。その右へ入るのが最後の山崎の弓道だよ。
15時00分


山崎の旧道は520mと短いけど坂が急で参りました。こんな坂を人力車が登ったなんて
昔の人は力持ちだったんだね。ボクたちはもう疲れて足取りが重くなりました。
ママも足取りが重くなったのか、国道へ出て少し平らになったけど、なかなかボクたちに
追いつけません。今日のゴールの三枚橋まで460m。その先470mで箱根湯本駅だよ。
15時15分


やっと今日のゴール三枚橋に到着です。次はこの橋を渡って箱根の頂上を目指すよ。
今日は向こうに見える箱根湯本駅まで行って、急行で新百合ヶ丘まで帰ります。
次は箱根に1泊して三島まで歩くよ。だから夏休みまで待っててね。
15時26分


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