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花水橋の上から見たら、川へ降りられる場所が見えたので早速遊びに来たよ.
水も温んで、裸足になって川遊びしたかったけど、足を冷やすとこの先へ
進めなくなるからダメってパパが言うので、仕方なく川虫を捕まえて遊んだよ。
11時24分~44分
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橋の上から川を覗くと魚が群れを成して泳ぐ姿が良く見えました。時々お腹を見せて石に
身体をこすり付けるので何をしているのだろうとパパに聞くと、もしかしたら卵を産み付けて
いるのかも知れないねって教えてくれたよ。もうすぐこどもの日なので街中鯉のぼりも元気です。
11時51分
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高来神社は、もともとあった高麗寺に属していましたが、明治の神仏分離によって高麗神社に
なったんだよ。そして高麗寺は廃寺となって、名前を高来神社って代えたんだね。伝説では
応神天皇の時代に朝鮮半島から逃げてきた権現様が、この浜に到着しこの地を開発して
権現社を造ったんだって。そして、その後武蔵の国の高麗へ向かったという話もあるよ。
境内には不思議な木や、力石なんて石もあってちょっと不気味です。
12時00分
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高来神社を出て少し行くと、右側に虚空蔵堂があるよ。このお堂には虚空蔵と
熊野権現が祀られていて下馬標が立てられていたんだ。だから大名行列の
お殿様もここを通りがかった時は、ここから馬を下りて高麗寺に最敬礼し
静かに寺領を通過して行ったんだって。その先で東海道は化粧坂の旧道へ入るよ。
12時08分
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旧道に入ってすぐのところに車屋というお蕎麦屋さんがありました。
このお店は2001年の大晦日、ボクが1歳半のとき、入ったことがあるんだって
もちろんボクに記憶はありません。水車を見て喜んでいたろって言われても・・・。
ちょっと雰囲気は変わったけど、基本的には8年前と変わらないとパパは
喜んでいたよ。今日はボクたちがザルそば、ママたちは天丼をいただきました。
パパは浅草の天丼みたいでカリッとして美味しいと喜んでいたよ。
連休で、国道沿いのマックは、大行列でしたが、この旧道の店は穴場だよ。
12時12分~42分
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化粧坂といえば鎌倉の化粧坂が頭に浮かびますが、こちらは虎御前の化粧坂。
御前と言えば 木曽義仲の巴御前、 寝物語の里の静御前と中山道には
ゆかりの遊女たち、東海道には虎御前の伝説が、ここ化粧坂にありました。
国道1号線を離れて860mほどの直線には今でも松並木が残り、東海道線で
分断されているため、車の通りも少なく、昔の東海道の面影を感じる場所です。
虎御前は平塚の黒部丘にあった遊女宿で生まれ、ここ大磯の長者の家で遊女に
なりました。遊女というと売春婦のように思われがちですが、室町時代の遊女は
長者などに躾たれた芸の達者なもので、時にはかなりの知識人として教養を
身につけた女性でした。そんな虎御前に恋したのは曽我の仇討ちで有名な
曽我兄弟の兄十郎でした。若い頃から父の仇討ちを考えていた十郎は妻を
持たず、遊女であった虎御前に恋をしたのです。17歳で十郎と一緒になり
19歳のとき仇討ちに行った十郎は、その場で切り殺され、帰らぬ人となりました。
その後、御前は箱根で出家し、高麗山の北麓に今でもある荘厳寺で供養を重ね
53歳の人生を送ったといわれます。鎌倉時代の大磯宿はこの化粧坂周辺に
有ったといわれ、御前の住んだ長者の家もこの坂の左、化粧井戸の辺りに
有ったのでしょうか。御前と聞くと悲しい物語がパパの心に響くのでした。
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パパが感傷に浸っていると、本当に化粧井戸が黄色い家の前に有ったよ。
虎御前がここの水を汲んで顔を洗っていたんだね。
12時44分
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化粧坂を登ってゆくと、今度は右側に一里塚跡があります。ここは江戸から16番目の
一里塚で、海側に榎、山側にせんだんが植えられていたんだよ。今は跡形もないよ。
その先の線路の近くには、大磯八景の一化粧坂乃夜雨の碑があるよ。
雨の夜は 静けかりけり化粧坂 松の雫の音ばかりして 敬之
曽我十郎と虎御前が別れを惜しんだ場所で、5月28日に降る雨を虎が雨と言うんだよ。
12時49分
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化粧坂はちょうど真ん中辺りで東海道本線にその道を分断されているんだよ。
でもボクたち街道ウォーカーは大丈夫さ、ちゃんと線路をくぐる地下道があるんだ。
竹縄架道橋って書いてあったけど、架道橋って何んだろう?
広辞苑には「立体交差で道路や鉄道線路を越えている橋」って載っていたけど、
これはどう見ても橋じゃなくてトンネルじゃん。なんで橋なんだろう不思議だね。
12時51分
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トンネルを抜けると景色はガラッと変わりました。ものすごく大きな松の木が
倒れ掛かるようにして道の上を覆います。佐武は倒れた松を起こそうとして必死です。
12時54分
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その松の木の根元に有ったのは、大磯宿の江戸見附跡だよ。江戸時代の大磯宿は
ここから始まったんだね。国道へ近づくと右側に20年前と変わらず店頭で干物を
作っている魚屋さんがあるよ。魚金商店といって、カタクチイワシがたくさん並んでいたよ。
12時57分
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| 2001年 |
中山道 |
北浦和 |
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ここで化粧坂はおしまい。国道歩きとなります。
国道はゴールデンウィークで大渋滞。
ボクたちは毎年のようにゴールデンウィークを
利用して街道を歩いているから渋滞とは縁がありません。
三沢川を渡り、大磯駅入口を過ぎると右側に虎御石が
あります。この石は延台寺の入口にあって北斎や広重も
筆に残した有名な石で、曽我十郎の身代わり石と
いわれ手いるんだよ。 |
| 2002年 |
中山道 |
熊谷 |
| 2003年 |
中山道 |
望月 |
| 2004年 |
中山道 |
十三峠 |
| 2005年 |
中山道 |
武佐 |
| 2007年 |
東海道 |
品川 |
| 2009年 |
東海道 |
平塚 |
13時05分
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消防署手前の右側、そば処古伊勢屋は本陣跡だよ。大磯には3つも本陣があって、
ここはそのひとつ小嶋本陣、その西に尾上本陣、石井本陣はその向かいの大内館あたりに
有ったんだ。小嶋本陣と尾上本陣の間には地福寺というお寺があるので寄り道します。
13時07分
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中山道の馬籠で生まれた藤村は、小諸の学校の先生になったり早稲田の講師になったり
して大磯のお祭りドンドン焼(後に藤村が左義長とネーミング)を見に来てこの地が気に入り、
ここに二年住んでいたとき脳溢血で倒れてしまったんだって。馬籠から随分遠いところで
死んじゃったんだね。お墓の周りには藤村の好きだった梅の木が並んでいたよ。
13時10分
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明治24年創業で藤村や吉田茂も好きだった虎子饅頭、西行饅頭を作る新杵は
街道の右側、左側には大磯照ヶ崎海水浴塲の道標が有ったよ。ここから100mだけ
旧東海道を歩くよ。国道と分かれて左の道へ入ってね。そこには南組問屋場跡の
案内板があったよ。大磯には北と南のふたつの問屋場があったんだ。
13時17分
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旧道の出口にある立派なお店は井上蒲鉾店だよ。ここの蒲鉾やはんぺんは
イシモチだけで出来ているんだ。とっても美味しいからここへきたら是非食べてね。
国道の左側を進みとんかつのはやし亭の前には、湘南発祥之地大磯の碑があるよ。
中国の湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がそこに似ていた
からこの地を湘南と呼ぶようになったんだって。
13時21分
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鴫立庵
寛文四年(1664年)小田原の崇雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で
草庵を結んだのが始まりで、元禄八年(1695年)俳人の大淀三千風が入庵し鴫立庵と
名付け、第一世庵主となりました。現在では、京都の落柿舎・滋賀の無名庵とともに
日本三大俳諧道場の一つといわれています。崇雪が草庵を結んだときに鴫立沢の標石
を建てたが、その標石に”著盡湘南清絶地”と刻まれていることから、湘南発祥の地と
して注目を浴びています。
こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ 西行法師
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落柿舎や無名庵も行ったことがないけど、この鴫立庵はなんとなくいい感じの家だよ。
ボクたちには俳句は分からないので興味はないけど、景色が良いことは分かるんだ。
13時22分
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鴫立庵の前を流れるのが鴫立沢なんだね。古い石造りの橋の下から綺麗な水が
流れています。大磯町役場の前を通って160m進むと道路の反対側に島崎藤村邸の
案内板があるよ。130mほど入ったところに藤村が住んでいた家が今もあります。
その先レストランガストの前には上方見附跡の案内板がありました。
13時27分
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