茅ヶ崎といえば烏帽子岩とサザン、しかし街道からは海はまだ見えません。


本村の交差点を過ぎるといよいよ茅ヶ崎の中心部だよ。その手前にあるのが
この
八王子神社。今日は元旦なので、初詣の人と参道に提灯がいっぱいで
SABUはびっくりしていました。
11時56分


その先にはJR相模線の上を渡る跨線橋があるよ。この相模線は元々相模鉄道の線路で
大正時代に寒川の砂利を取るために作られたんだ、しかし太平洋戦争になって、国鉄が
首都圏が戦災に有った場合東海道線と中央本線を結ぶ迂回路として、買収したんだって。
今では相模鉄道は横浜から海老名を結んでいるけど、この相模線は茅ヶ崎から橋本まで
1時間かけて単線を走るんだよ。昼間でも1時間に2~3本走っているよ。
12時03分


橋から山の方を眺めると、東邦チタニウム工場の上に大山がそびえます。
左の奥は丹沢山だよ。パパは学生の頃この山で鍛えたんだって。


右手に大きな建物があわられたよ。マークを見るとボクたちが良く知っている建物だ!
ボクたちの町にも同じマークの建物があって良く映画を見に行くんだよ。この建物は
サティでその中に
WARNER MYCAL CINEMASが入っているんだ。ここなら
お正月でもきっと飲食店が開いていると感じたママは、早速中へ向かいます。
飲食店は、うどん屋がいいというパパとママを口説いて回転寿司すし兵衛に入りました。
パパは5皿だったけどボクは7皿も食べてしまい、その後苦しくて歩けなくなります。
12時04分~39分


サティの先の交差点は、その名もずばり「一里塚」なんです。街道左手前の角に
中山道の志村一里塚みたいにありました。町の中で残っているのは珍しいよ。
12時40分


茅ヶ崎一里塚から130mで茅ヶ崎駅前交差点だよ。ここは横断歩道が無く
地下道で向こう側へ渡らなければならないので少し不便です。
角には、もうボクたちの街には無くなってしまった
ダイクマがありました。
神奈川県内のディスカウントショップの先駆けだったのにね。
官庁や警察の前を通って十間坂を越えると、右側に
第六天神がありました。
元々は仏教の第六天魔王を祀る神社だったけど、明治時代の神仏分離に
より天神七代の神の六代目の神、
淤母陀琉神妹阿夜訶志古泥神になったんだ。
この長い漢字の名前は、
オモダルカミイモアヤカシコネノカミって読むんだよ。
新田義貞が鎌倉を攻めたときに戦火にあったという記録があるから古い神社だね、
12時42分


千の川には、ブルーに塗られた鳥井戸橋が架かっています。その左の小田原側に
南湖の左富士之碑がたっていたよ。左富士というのは東海道を京都へ上って歩くと
富士山はいつも右側に見えるんだけど、2ヶ所だけ左に見えるポイントがあって
その場所を左富士って言うんだよ。もう一つの左富士は静岡の吉原にあるよ。
なかなか天気に恵まれないと見えないけど、今日はラッキー。良く見えたよ。
13時09分


これが鳥井戸橋から見た左富士だよ。朝方は富士山の周りにまったく雲が無かったけど
午後になって海のほうから雲が押し寄せてきたので頂上は少し隠れてしまいました。
ちょっと違和感があるのは富士山だけクッキリ見せようとパパがPhotoShopで直したから!


鳥井戸橋からは、参道の長さが1km近くある鶴嶺八幡宮があって、参拝の人が
歩いていったけど、往復で2kmになっちゃうのでボクたちは諦めました。写真左が
その入口の鳥居です。次の小出川の手前には東海道の名物饅頭
でかまんがあったけど
さすがに元旦はお休みで、残念ながら食べることはできませんでした。
13時13分


小出川に架かる下町屋橋の左手前には旧相模川橋脚の立派なモニュメントが
建っているよ。これには10年前しか知らないパパはビックリ。昔は工場の敷地内に
有って、見るのも大変だったって言います。しかし今は公園みたいになってるよ。
13時25分


 □ 橋脚出現状態の再現
  本史跡は、1923(大正12)年に発生した
 関東大震災によって、地中より出現した鎌倉
 時代の橋遺跡です。ご覧になっている橋脚は
 精巧な複製品で、実物は腐朽が進まないように
 地下2m65cmのところで保存されています。
 橋脚は複製品ですが、地震によって発生した
 液状化現象で橋脚が出現した状態は忠実に再現
 されており、地震のすごさを物語っています。

 
 □ 大正期保存池の復元
  本史跡は、1926(大正15)年10月20日
 に国の指定史跡となりました。橋脚(複製品)
 10本を囲っている池の形は、大正時代に指定
 された後に整備された初期保存池の平面形を
 復元しています。池は木柵を作りその外側には
 土盛りした周堤が築かれていたことが発掘調査
 などから明らかになっており、当時の人々が
 保存に向けて努力されていたことが感じら
 れます。



これが復元された池と橋脚のレプリカです。田圃の中からこんな柱がニョキニョキ
出てきたときは、さぞ驚いただろうね。でも大地震なんだからそれどころではないね。




池の周辺は綺麗に整備されていて、安心して見学できます。また、脇には詳しい資料が
展示されていたので、全てが読めるように大きな写真にしたのでマウスをクリックしてね.


ここで休んでいるときにパパとママはボクの靴の減りに驚きました。なんと靴底の
外側だけが極端に磨耗していました。これはつま先を開いて歩いているからだと
パパは言って、真っ直ぐ歩く練習をさせられました。どうやら急いで歩くと真っ直ぐ
歩けるのですが、ゆっくり歩くとダラダラした足運びに成りつま先が外側へ
行ってしまうようです。パパはダラダラ歩かないでガンガン歩けといいました。


橋脚とお別れして再びガンガンと街道を歩きます。小出川に架かる下町屋橋を渡ると
頭上に
新湘南バイパスが走ります。この交差点はバイパスの茅ヶ崎西インターに
なっているので、信号が変わると次々と車が下りてきました.
13時36分


600m行って産業道路入口交差点を過ぎると街道の左側はバイクショックの町
なっていたよ。パパは昔バイク乗りで、今もジレラのランナーに乗っているので
バイクと聞くと目の色が変わるんだ。この一角にはレッドバロン、梅田モータース
そしてドカッティのショップなどが並んでいて、バイクに関するものなら
なんでも手に入りそうな町です。パームツリーもカリフォルニアっぽくていいね!
13時49分


いよいよ今日のゴールの平塚が見えて来たよ。お昼に回転寿司食べ過ぎたので
苦しかったけど、この
馬入橋で相模川を渡ればゴールだね。
14時00分


この橋は670mもあるので渡るのが大変です。多摩川の六郷橋より長いので
今迄で一番長い橋だよ。橋の向こうに富士山が見えたよ。この橋の下の水は
あの富士山から丹沢の向こう側を回って流れて来るんだって。延長は109km
有るから日本橋から箱根峠くらいあるんだね。


橋の真ん中に62kmポストがあったよ。ボクとSABUは橋の下に面白いものを
見つけたんだ。最初が壊れたボートだよ。きっと台風で大水が出たときに上流から
流されてきたんだろうね。それから鷺に似た大きな鳥もいたんだ。


そんなことで、遊びながら渡ったから670m進むのに20分もかかりました。
橋が終わればもう平塚の中心部だよ。ゴールだゴールだ!


橋から降りて側道を行くと黄色の矢印のところで振り返ってね。そこには
陸軍架橋記念碑があるよ。碑文には「大正十二年九月大震ノ際京都工兵
第十六大隊ハ馬入橋架設ノ為メ同月十七日起工汗血ノ労ヲ費ヤスコト
一旬餘十月三日竣工橋ノ長サ四百五十米突中三百米突大正十二年
十月工兵第十六大隊長」
って刻まれていました。凄かったね。
14時22分


 陸軍架橋記念碑

  大正十二年(1923年)九月一日、関東大震災によって馬入橋が倒壊し、
 交通が途絶えました。地元の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日
 渡舟が運行されましたが、数日後の豪雨で流失し、しばしば中断してし
 まいました。
  九月十七日、陸軍第十五師団(豊橋)所属工兵大隊と第十六師団(京都)
 所属工兵大隊が急きょ派遣され、架橋工事が開始されました。
  橋の全長四五〇メートルのうち、馬入側の三〇〇メートルを第十六師団、
 茅ヶ崎側を第十五師団が担当して、同年十月三日に完成しました。
 この記念碑は馬入側を担当した第十六大隊の事績をたたえるものです。
  平成十八年(2006年)三月               平塚市



橋からみえた教会のような建物は、このホテルサンライフガーデンの結婚式場
だったんだ。ママは左のマンションのベランダが空中にあるので驚いていたよ。
14時23分


橋を降りたら馬入というY字路があるけど、東海道は真っ直ぐ進んでね。
橋から1270mで
平塚駅前です。橋を渡っていてトイレに行きたくなった
ボクたちは、工業団地入口交差点を左折して
真福寺前の公園のトイレに
寄りました。みんなも我慢できなくなったら寄ってね地図に描いておくよ。
さて、ここが今日のゴールの平塚駅前だよ。さすがにSABUもくたびれたよ。
14時51分


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