真っ黄色の大イチョウは、冬の訪れを感じさせます。



藤沢バイパスの案内板のある歩道橋をくぐると歩道は車道と離れ静かな道へと
入ってゆくよ。でもボクたちが向かう藤沢はどうして直進なんだろう。
その謎は、もう少し進むと分かるんだ。だからここは左の歩道を真っ直ぐ進んでね。
12時10分


静かになった道のすぐ脇に諏訪神社があります。その境内には大きなクスノキがありました。
12時18分


歩道はどんどん坂を下って、こんな場所に出るよ。さっき藤沢バイパスへの道は
左って書いてあったけど、これでその意味が分かったよ。左へ進むバイパスは
この場所で江ノ島・藤沢へ向かう直進の道をトンネルでくぐってクロスするんだよ。
ボクたちは、そのまま歩道を真っ直ぐ進めば自動的に藤沢へ行っちゃうよ。
12時22分


バイパスと分かれた街道は片側1車線の静かな道でした。面白いことに歩道と車道の
間に土手があるよ。どうやらこの土手は、この陰に兵士を隠しておいて、街道を攻めてきた敵を
やっつけるために作られたんだって。そのときの武器はきっと鉄砲だったのかな。
だって信号に
鉄砲宿って書いてあったんだよ。この辺りには昔鉄砲鍛冶が住んでいたのかなぁ。
その先で歩道を渡り、こんどは街道の右側を進んでね。そうすると歩道橋と信号のある
交差点の手前に
旧東海道松並木跡の碑があります。この辺りを緑ヶ丘っていうんだけど
昭和35年くらいまでは、ここの松並木は大木が続き鬱蒼とした風景だったんだって。
それが猛威を振るった松喰虫にやられて全滅しちゃったって看板に書いてあったよ。
12時35分


道はいよいよ下り坂になって藤沢に向かいます。真ん中の写真はその
遊行寺坂上という
バス停がある交差点だよ。そこには歩道橋があったのでボクたちは登って上から
パパとママの写真を撮ってあげたんだ。
12時50分


これが遊行寺坂だよ。藤沢橋まで800mもあって標高50mから15mへ急降下だよ。
ボクたちは下ってゆくから楽だけど、登ってくる人は結構大変だと思いました。
12時54分


そんな遊行寺坂の途中にあるのが一里塚跡だよ。昔の遊行寺坂は今よりもっと
急で、その上に大きな塚があって榎が植えられていたって東海道分間絵図に
書いてあったよ。ここから藤沢橋(写真右)を見下ろすとやっぱり急坂だね。
一里塚のすぐ先に右へ上がる階段があって、これが遊行寺への近道なんだ。
ボクたちは、ここで街道を離れ遊行寺の境内を進むことにしました。
12時57分


裏から遊行寺へ入ってゆくと
長生院(写真左)というお寺の境内に出ます。
中山道の青墓で出てきた小栗判官と照手姫のお墓があるんだよ。
海が近い山のせいか、大きなトンビがたくさん飛んでいてちょっと怖くなりました。
遊行寺の本堂へは横からたどり着き、その前にあった大きな水受けの中を
sabuはどうしても覗きたくなってパパに抱っこしてもらい見ていたよ。
13時00分



お堂に行くと、どうぞご自由に参拝して下さいって書いてあったからみんなで
畳の上へ上がってお参りしました。表にこのお寺の案内板があったので読んでね。


 時宗総本山 
遊行寺(ゆぎょうじ)

 清浄光寺(しょうじょうこうじ)が公式の寺名ですが、遊行上人の寺ということから
 宗祖は一遍上人(1239年~1289年)で、南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を
 回り、修行された(遊行といいます)念仏の宗門です。
 この遊行寺は正中二年(1325年)遊行四代呑海上人によって藤沢の地に開かれ
 時宗の総本山となっています。
 宝物として、国宝「一遍聖絵」、国重要文化財「時衆過去帳」など多数があります。
 境内には日本三黒門の一つである総門、銀杏の巨木、中雀門、市指定文化財の
 梵鐘、国指定の藤沢敵御方供養塔、小栗判官と照手姫の墓、板割浅太郎の墓
 有名歌人の句碑などもあります。また、桜・ふじ・花しょうぶの名所で、観光百選
 の一つにもなっています。


13時08分


これがその巨木の銀杏だよ。この日は骨董市をやっていて銀杏のしたには
いろいろな古物を売るおじさんたちがいっぱい居ました。ボクはとても興味が
あって、色々なお店を見てみたけど、ボクのお小遣いで買える物は一つも
ありませんでした。ボクの好きなベーゴマも家のそばでは50円なのに一つ
300円もするのでびっくりしました。銀杏の前から参道を逆に下って行きます。
13時19分




参道の出口(本当は入口)には
日本三黒門の一つの総門があったよ。
あとの二黒門は何処にあるんだろうね。パパも昔から悩んでいました。
13時21分


参道を出ると左側に
日本三大広小路の案内板がありました。これには説明があったので
上野広小路、名古屋広小路があとの二つと分かったよ。この辺りが昔の藤沢広小路
(大鋸広小路)で、東海道は藤沢橋ではなく、遊行寺橋(大鋸橋)を渡っていたんだ。
遊行寺坂を真っ直ぐ下りてくると藤沢橋を渡っちゃうけど、その手前で右へ曲がり、ここへ
出てきて左へ曲がり遊行寺橋を渡るのが分間絵図に描かれた東海道だよ。
13時22分


 日本三大広小路

 広小路はもともと(火除地)を意味する。江戸ではたびたびの火災で多くの人家が
 焼失したので、幕府は一六五七年の大火前から火除地を計画していたが、護持院
 の焼失を契機に八代将軍吉宗は、この地を火除地とし、さらに各所に設定した。
 この頃江戸には、中橋広小路、長崎町広小路大工町広小路、両国広小路、などが
 できたが、その後各地の重要社寺等の門前に設けられた。

 上野広小路 
  現在の上野公園全域が寛永寺境内であり歴代将軍の廟所だった。
               その門前町としては賑やかであった。アメ横あたりまでをいう。

 名古屋広小路 
名古屋城正門前、現在広小路通り

 藤沢広小路 
   東海道五十三次の中でここは3曲がりとして有名であった。
               (藤沢橋は関東大震災後つくられた)


 広小路は類焼を防ぐとともに被災者の避難所にあてた。なお火消しの発達とともに
 廃止された広小路もあった。藤沢の広小路の名は江戸時代の文書にたびたびでて
 くるが、おおよそ現在の大鋸「小字大鋸」の範囲を広小路としている。藤沢広小路は
 大鋸広小路とも言われていた。かつて日本三大広小路と呼ばれてていたのは、
 実際に広かったこともあるが、時宗総本山遊行寺の繁栄時代、門前町として商家が
 櫛比し、人の往来繁く、各地に知れ渡っていたためと思う。大鋸広小路の範囲は
 古絵図を参照すると、ほぼイイジマ薬局から旧労働基準監督署の一帯と考えられる。
 古絵図から見ると道幅も現在よりかなり広かったように思える。これは江戸時代中期
 までのことである。




遊行寺橋を渡って国道へ出たら右折して藤沢本町へ向かいます.
途中お祭り用品の
小塚屋や、古い土蔵が並ぶけど、ボクはこの
白い電話ボックスが気に入りました.歩道も広くとても歩きやすい
道なので、楽しくお店を覗きながら進んでゆきます.
13時25分


770mで白旗という交差点。今日の東海道は藤沢本町駅から小田急江ノ島線で帰るから
この交差点がゴールです。その白旗の信号から北へ250m寄り道すると
白旗神社
ありました。まだ時間も早いので、この神社に寄ってみることにしたよ。
13時41分


 
 白旗神社

 御祭神 寒川比古命 源義経公
 配  神 天照皇大神 大国主命 大山祇命 国狭槌命
 由  緒 古くは相模一宮の寒川比古命の分霊を祀って、寒川神社と呼ばれていた。
       しかし創立年代はくわしくはわからない。
       鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気
       をうけ、文治五年(1189)閏四月三十日奥州(岩手県)平泉の衣川館にお
       いて自害されたその首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送ら
       れた。高平は、腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原景時によって首実
       検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がな
       され、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌
       倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、
       義 経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の
       首は八王子社として待つられた。

 


階段を登ってゆくと、左側に
齋源義経公鎮霊碑と彫られた石碑があるよ。
更に階段を登ると今度は右側に
辨慶力石があったよ。生きた弁慶がこの
石を持ち上げたのかなぁ。
13時43分


 本殿は、とても頭でっかちで彫り物がたくさん付いていました。
 また金綺羅金の金具がいっぱい付いているので、今まで見てきた
 神社の中で一番綺麗だと思いました。しかしここでボクは不思議な
 ことに気がついたよ。この写真でも分かると思うけど、本殿へ向かう
 参道が一旦左へ曲がってまた右に戻る
S字になっているよ。これは
 戸塚の冨塚八幡でも同じなんだ。ともに鎌倉幕府と関係があるから
 きっと何か深い意味があると思うな。どう思うみんな!
冨塚八幡宮

13時48分


神社を見終わって、また
白旗の交差点に戻ってきたよ。その少し手前を右に入ると
小田急江ノ島線の藤沢本町駅です。路地を進むと二股になっているところがあって
その右に料理・酒処 
厘(りん)があったので、遅い昼食を摂ることにしました。
14時01分


パパとママはカウンタで生姜焼き定食、ボクたちはテーブルでカレーライスが無かったので
ラーメンを食べました。今日はここでおしまい。おもちゃ屋さんが無くて残念な旅でした。


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