再開発で空の広い西口から快晴の日差しを浴びて出発です。

第7日目 2008年11月22日

平均気温10.8℃ 最高気温14.4℃ 最低気温7.4℃ 平均湿度45% 風速3.0m/s 降水量0.0mm 日照時間9.4時間
気象庁電子閲覧室より引用

今月始めは曇天の中の戸塚まででしたが、街道歩きはやはり快晴の中が一番です。
カメラの絞りも小さくなり写真が全体的にシャープですし、写りが良いのが
今日は、そんな青空の下戸塚駅前を出発して藤沢本町駅を目指します。
今回は、自宅から電車でやって来ましたが、ボクたちが車内ではしゃぐのには閉口。
もっと車内でのマナーを叩き込まなければならないと痛感しました。


昔は、この工事現場に小さな店がごちゃごちゃと並んで建つ路地裏商店街が
あったんだって。パパはそんな商店街が大好きだったんだけど、この光景を見て
ビックリしていたよ。今度来るときはきっと立派なビルが立ち並んでいるね。
9時18分


清源院入口交差点は、右側には新しいビルが立ち並び、左側は工事中の空き地と言う
日当たりの良い交差点だよ。
バスセンター前を過ぎても、右側は高いビル、左は二階建
というように道路を挟んで左右違う顔をした街並みが続きます。きっと左はこれから
再開発してビルが建つんだろうね。そんな中右側に
古い土蔵を発見。うれしくなったよ。
9時22分


郵便局を過ぎると右側に消防署が出てくるけど、その手前の民家の庭に
澤邉本陣跡がありました。今でもこのお宅は澤邉さんなので子孫なんだろうね。
そこには明治天皇の戸塚行在所址の碑もあったから昔は立派な本陣だった
んだろうね。向こうの消防署も本陣の敷地だったかもしれないね。
9時30分


本陣から少し進むと、やはり右側に小さな八坂神社があるよ。この辺は名所が
全て右側に集中しているので、みんなも右側を歩いてくるといいよ。
この八坂神社の境内には
明治天皇東幸史蹟の碑お札まきの碑がありました。
9時35分


 横浜市指定無形民俗文化財
   お札まき 平成三年十一月一日指定   行われる 毎年七月十四日
             保存団体 お札まき連中    時期及び場所 戸塚区戸塚町四一八九番地
                                八坂神社他町内各所

  お札まきは、七月十四日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに
 始まったと伝えられています。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われ
 ていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。
  男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音
 頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和し
 ながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八
 坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを
 拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、
 神社に戻ります。
  風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」と
 いう文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除けの行事であること
 がわかります。神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる御符配りは、現在では極めて
 珍しく、民間信仰資料として貴重です。
   平成四年三月                 横浜市教育委員会


この中で「コロリ」という言葉が出てきたけど、どういう意味?
コロリとは江戸時代の呼び方でコレラのことなんだよ。江戸では安政五年(1858)から
3年にわたり全国で大流行したんだ。罹ると3日で死んでしまうので三日コロリなんて
呼ばれて恐れられていたんだよ。コロリという名前は、オランダ商人からコレラと聞いたん
だけどそれが訛ったんだね。この神社のお札をもらえばコロリも逃げると信じていた
江戸の人々は、本当に怖かったんだね。


どうしても動画で見たい人はこのサイトで放映しています。


ボクたちもお札もらわなくっちゃと出発したら、パパの足が止まりました。
このお店には、なんだか古い機械がたくさん並んでいます。
これらはパパが若い頃夢中になった
オーディオ機器なんだって、オーディオってなんだ?
パパもこんな機械を買って音楽を楽しんでいたんだよ。当時のパパにも手が出なかった
アキュフェーズのアンプもあってパパは大興奮。パパだってSONYの2トラ38のオープン
リールデッキ持って痛んだぞ。なんていわれてもママにも何のことか分かりません。
誰も分かってくれる人が居なかったので、パパは少々へこんでしまいました。
9時42分


続いてすぐに現れたのが冨塚八幡宮です。源頼義と義家の親子が奥州へ行くときに
この地で応神天王と富属彦命の御神託を受け、その加護により戦いに勝つことが
出来たのを感謝して、ここに社殿を造って二人を祀ったんだよ。この神社の後ろには
その富属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳があって、それを富塚と呼んだことから
戸塚の地名が生まれたんだ。つまり戸塚区の中心地はここと言うわけだね。
ボクたちもしっかりお参りしてきたよ。また、階段の左側には芭蕉の句碑があって
鎌倉を 生きて出けむ 初松魚
って刻んでありました。この句碑は嘉永二年のものというので、古くからここにあるんだね。
9時43分


冨塚八幡宮の前で街道は、大きく右へカーブしそこを抜けた場所に上方見附跡があったよ。
今度は道路の左側、サイゼリアの店先なので、うっかり見落とさないようにね。
ここで戸塚宿も終わって、長くて急な
大坂が待ち受けています。
ここから1100mの距離で46.4mの高さを登るんだ。平均斜度は4.1%、権太坂は6%だったから
それより楽だよ。でも長いから頑張って登りましょう。
9時53分


坂の途中にはいろいろな物が現れました。まずは藤行翁之碑、これは第六天満宮
の境内に有りました。第六天神と言えば、いつか聞いたことがあるね。たしか忌山を封じ込
めるのが目的だったように覚えているよ。この裏山も家が少ないから昔は忌山として恐れら
れていたのかなぁ。それと藤行翁とどんな関係があるんだろう。しばらく行くと今度は石仏群
が現れたよ。宿場の外れって、こういうのが多くて、何となく気味が悪いのでボクは嫌いです。
でもパパはしっかり石仏の製作年月日を見て、やはり江戸時代のものだと喜んでいました。
9時55分


大坂台の交差点まで登って来ると、あと600mで横浜新道へ出ます。
国道1号線なんだけど横浜新道があるからここは交通量も少なく気持ちの良い道です。
10時01分


sabu途中で拾った大きな葉っぱを頭に乗せて喜んでいるよ。
この葉っぱが気に入ったらしく、自分で写真を撮っていました。
10時07分


街道とはちょっと関係ないけど、パパは箱根駅伝が大好きです。そもそもパパが
初めて東海道へ足を踏み入れたのも、最初は箱根駅伝に感動し、その道を箱根まで
と考えたからなんだ。結局箱根峠から京都を目指すことになったんだけど、原点は
箱根駅伝。その
戸塚中継所は街道から74mのところにあるんだよ。街道を歩いている
とその存在さえ気がつかずに通過してしまうけど、今日はみんなに行き方を紹介します。
この写真のレンガの塀の家の手前を右に入って横浜新道へ出ればそこが中継所だよ。


この場所が、あの戸塚中継所さ、右側には国道1号の横浜新道があって連休なので
車が渋滞しています。中継所の中には
TECHNO SPORTSといバイク屋さんや
らーめん天山本店湘南つりエサセンターの古谷商事さんがありました。
このまま横浜新道の歩道を進めば近道だけど、この先立体交差のため歩行者は
通れないので、中継所見学が終わったら、来た道を引き返して街道に戻ってね。
10時10分


街道に戻ったら、その先の押しボタン式信号機を青に変えて道の左側に移動しましょう。
そこには
ファミマがあるので、トイレを借りるのもよし、おやつを買うのもよし。
ボクたちはお腹がすいたので肉まんをかっておやつにしました。
10時14分~27分


ここで、国道1号は同じ国道1号の横浜新道と合流します。
ボクたち街道ウォーカーは左の歩道に沿って歩いてゆけばひとりでに新道へ
入ってゆくので、とにかく真っ直ぐ進んでね。
10時30分

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