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昔は、この工事現場に小さな店がごちゃごちゃと並んで建つ路地裏商店街が
あったんだって。パパはそんな商店街が大好きだったんだけど、この光景を見て
ビックリしていたよ。今度来るときはきっと立派なビルが立ち並んでいるね。
9時18分
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清源院入口交差点は、右側には新しいビルが立ち並び、左側は工事中の空き地と言う
日当たりの良い交差点だよ。バスセンター前を過ぎても、右側は高いビル、左は二階建
というように道路を挟んで左右違う顔をした街並みが続きます。きっと左はこれから
再開発してビルが建つんだろうね。そんな中右側に古い土蔵を発見。うれしくなったよ。
9時22分
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郵便局を過ぎると右側に消防署が出てくるけど、その手前の民家の庭に
澤邉本陣跡がありました。今でもこのお宅は澤邉さんなので子孫なんだろうね。
そこには明治天皇の戸塚行在所址の碑もあったから昔は立派な本陣だった
んだろうね。向こうの消防署も本陣の敷地だったかもしれないね。
9時30分
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本陣から少し進むと、やはり右側に小さな八坂神社があるよ。この辺は名所が
全て右側に集中しているので、みんなも右側を歩いてくるといいよ。
この八坂神社の境内には明治天皇東幸史蹟の碑とお札まきの碑がありました。
9時35分
横浜市指定無形民俗文化財
お札まき 平成三年十一月一日指定 行われる 毎年七月十四日
保存団体 お札まき連中 時期及び場所 戸塚区戸塚町四一八九番地
八坂神社他町内各所
お札まきは、七月十四日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。
この踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだ
け伝え残されています。
男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラを
かぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭
取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこ
れを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。
風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」という文句があることから、祇
園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除けの行事であることがわかります。
神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる御符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。
平成四年三月 横浜市教育委員会
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この中で「コロリ」という言葉が出てきたけど、どういう意味?
コロリとは江戸時代の呼び方でコレラのことなんだよ。江戸では安政五年(1858)から3年にわたり
全国で大流行したんだ。罹ると3日で死んでしまうので三日コロリなんて呼ばれて恐れられて
いたんだよ。コロリという名前は、オランダ商人からコレラと聞いたんだけどそれが訛ったんだね。
この神社のお札をもらえばコロリも逃げると信じていた江戸の人々は、本当に怖かったんだね。
どうしても動画で見たい人はこのサイトで放映しています。
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ボクたちもお札もらわなくっちゃと出発したら、パパの足が止まりました。
このお店には、なんだか古い機械がたくさん並んでいます。
これらはパパが若い頃夢中になったオーディオ機器なんだって、オーディオってなんだ?
パパもこんな機械を買って音楽を楽しんでいたんだよ。当時のパパにも手が出なかった
アキュフェーズのアンプもあってパパは大興奮。パパだってSONYの2トラ38のオープン
リールデッキ持って痛んだぞ。なんていわれてもママにも何のことか分かりません。
誰も分かってくれる人が居なかったので、パパは少々へこんでしまいました。
9時42分
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続いてすぐに現れたのが冨塚八幡宮です。源頼義と義家の親子が奥州へ行くときに
この地で応神天王と富属彦命の御神託を受け、その加護により戦いに勝つことが
出来たのを感謝して、ここに社殿を造って二人を祀ったんだよ。この神社の後ろには
その富属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳があって、それを富塚と呼んだことから
戸塚の地名が生まれたんだ。つまり戸塚区の中心地はここと言うわけだね。
ボクたちもしっかりお参りしてきたよ。また、階段の左側には芭蕉の句碑があって
鎌倉を 生きて出けむ 初松魚
って刻んでありました。この句碑は嘉永二年のものというので、古くからここにあるんだね。
9時43分
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冨塚八幡宮の前で街道は、大きく右へカーブしそこを抜けた場所に上方見附跡があったよ。
今度は道路の左側、サイゼリアの店先なので、うっかり見落とさないようにね。
ここで戸塚宿も終わって、長くて急な大坂が待ち受けています。
ここから1100mの距離で46.4mの高さを登るんだ。平均斜度は4.1%、権太坂は6%だったから
それより楽だよ。でも長いから頑張って登りましょう。
9時53分
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坂の途中にはいろいろな物が現れました。まずは藤行翁之碑、これは第六天満宮の境内に
有りました。第六天神と言えば、いつか聞いたことがあるね。たしか忌山を封じ込めるのが目的だった
ように覚えているよ。この裏山も家が少ないから昔は忌山として恐れられていたのかなぁ。
それと藤行翁とどんな関係があるんだろう。しばらく行くと今度は石仏群が現れたよ。
宿場の外れって、こういうのが多くて、何となく気味が悪いのでボクは嫌いです。でもパパは
しっかり石仏の製作年月日を見て、やはり江戸時代のものだと喜んでいました。
9時55分
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大坂台の交差点まで登って来ると、あと600mで横浜新道へ出ます。
国道1号線なんだけど横浜新道があるからここは交通量も少なく気持ちの良い道です。
10時01分
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sabu途中で拾った大きな葉っぱを頭に乗せて喜んでいるよ。
この葉っぱが気に入ったらしく、自分で写真を撮っていました。
10時07分
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街道とはちょっと関係ないけど、パパは箱根駅伝が大好きです。そもそもパパが
初めて東海道へ足を踏み入れたのも、最初は箱根駅伝に感動し、その道を箱根まで
と考えたからなんだ。結局箱根峠から京都を目指すことになったんだけど、原点は
箱根駅伝。その戸塚中継所は街道から74mのところにあるんだよ。街道を歩いている
とその存在さえ気がつかずに通過してしまうけど、今日はみんなに行き方を紹介します。
この写真のレンガの塀の家の手前を右に入って横浜新道へ出ればそこが中継所だよ。
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この場所が、あの戸塚中継所さ、右側には国道1号の横浜新道があって連休なので
車が渋滞しています。中継所の中にはTECHNO SPORTSといバイク屋さんや
らーめん天山本店、湘南つりエサセンターの古谷商事さんがありました。
このまま横浜新道の歩道を進めば近道だけど、この先立体交差のため歩行者は
通れないので、中継所見学が終わったら、来た道を引き返して街道に戻ってね。
10時10分
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街道に戻ったら、その先の押しボタン式信号機を青に変えて道の左側に移動しましょう。
そこにはファミマがあるので、トイレを借りるのもよし、おやつを買うのもよし。
ボクたちはお腹がすいたので肉まんをかっておやつにしました。
10時14分~27分
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ここで、国道1号は同じ国道1号の横浜新道と合流します。
ボクたち街道ウォーカーは左の歩道に沿って歩いてゆけばひとりでに新道へ
入ってゆくので、とにかく真っ直ぐ進んでね。
10時30分
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