箱根駅伝は国道1号、本物の権太坂はもっと急だよ。


 横浜市地域史跡
  この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験する
 きつい登り坂でした。日本橋から四番目の宿場であった保土ヶ谷宿まではほぼ江戸内湾
 沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂と
 なります。 『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の
 名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、
 とあり ます。また坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
  旅人にとっては、印象深い場所になり浮世絵などにも描かれる保土ヶ谷宿の名所ともな
 りました。
                                
横浜市教育委員会

元町橋を渡って90m進むと右側に権太坂を案内する案内板があるよ。
うっかり国道まで行ってしまったら戻って着てね。この案内板から右へと入って
いよいよ
権太坂を登ります。いきなり両側を大きなマンションに囲まれた急坂だよ。
10時32分


200m登って来ると、保土ヶ谷バイパスの上空を通過する橋になります。
写真の向こうが八王子方面、右へと進むと狩場インターになって横浜横須賀
道路と首都高狩場線に別れるんだって。パパは三浦半島に釣りへ行くとき
良くこの下を通って、昔歩いたなぁって思い出すんだって。
10時36分

1997年12月20日 1987年1月31日

今年が2008年だからこの2枚の写真はちょうど10年前と20年前ってとこだね
20年前と景色はあまり変わっていないと思いました。


最初の急坂がひと段落すると右側には
光陵高校の石垣が現れ、そこに権太坂の
石碑がありました。ページの最初に書いた権太坂の解説は、ここの案内板のものだよ。
そのほかにももう少し行ったところに小学校の卒業生が作った案内板があって、
そこにはもう一つの権太坂由来があったので紹介しましょう。

昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいてできた坂道を、その名をとって
「権左坂」と名付けたものが、いつのころから「権太坂」と呼ばれるようになった。


最初のお話と、このお話、ボクはやっぱり最初のおじいさんの話が良かったな。
10時40分


この案内板を作った小学生は、この権太坂小学校の平成15年の卒業生だったんだ。
坂はだらだらと続き1kmほど行ったところにやっと
コンビニが出てきたので、
おにぎりを買って腹ごしらえになりました。
11時00分~15分


やっと平らになった道を進むとT字路に突き当たりました。右側の消防車の裏は
バスの停留所で、これからお出かけする人たちがすぐに発車しそうなバスに乗ろうと
集まって着ました。このT字路の正面は
境木中学校でそこには旧東海道は
右に曲がるんだよって書いてある案内板があるよ。余裕のある人は投込塚へどうぞ。
11時19分


右側に立派な門構えのお家がありました。その先左には大きな木があってその下に
境木立場跡の案内板があったよ。難所が続く坂道の天辺に馬子や人足が休憩する
立場があったんだって。ここは昔とても眺めが良い場所で、西に富士山、東に江戸湾
が見えて人々は必ずここで休んでいったんだよ。ここの茶屋には名物の牡丹餅があって
旅人に人気が有ったんだ。今ではマンションにお囲まれて海もまったく見えないよ。
11時24分

  
  
保土ヶ谷観光名所
 境木地蔵由来
  ここ境木は武蔵相模の国境で 江戸時代にはそのしるしが建てられていて 境木の地名は
 そこからおきたといわれます
  また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり 名産の牡丹餅を食べな
 がら旅の疲れを休めることができて 大変賑わったとも伝えられています
  なおこの地蔵には次のような珍しい伝承があります 即ちいつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺
 に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕に立ち「俺は江戸の方へ行きたい運んでくれたらこの海を
 守ろう」と告たので漁師達が江戸へ運ぶ途中此の境木で動かなくなった為村人たちは地蔵を引
 き取りお堂を建てて安置したところそれからは村が繁昌したということです
  地蔵堂の鐘は 明治になって野毛山の時の鐘に使用され横浜市民に大正の大震災まで親し
 まれました       平成元年10月4日     岩間町  見光寺


こんな公園みたいになってパパは本当に驚いていたよ。昔は細い道沿いに小さな地蔵堂が
あっただけなのに、今では前を大きな通りが走っていて、その大きな歩道に境木の
モニュメントがあるよ。境木の台には武蔵の国と相模の国が描かれて、その台座には
東海道五十三次の宿場が彫られていたよ。またボクたちの旅の長さを感じました。
11時25分




あまり道が大きく綺麗になったので、パパはどっちへ進んだら良いのか
和からなくなってしまいました。正解は上の丸い写真で青い軽自動車が
進んでいる道です。大きな通りを横断歩道で渡ると右側に「左旧東海道
右環状二号線」と書かれた大きな石碑があったよ。この前の道が旧道さ。
今でも左側には緑の斜面が残っているこの下り坂が
焼餅坂だよ。別名は
牡丹餅坂で、10年前は鬱蒼とした暗い坂道だったのにとパパは嘆きました。
11時33分


焼餅坂を下りきったところには昔から数軒の家があり、その向こうに品濃坂の
登りが見える風景は昔と変わらないけど、その品濃坂の上にそびえる
マンションは最近のものだよ。そんな
品濃坂を登りきったところは、両側緑。
その緑が東海道では非常に珍しい両側の塚が残っている
品濃一里塚です。
11時41分


日本橋から9番目の一里塚が品濃一里塚。保土ヶ谷宿と戸塚宿の真ん中で
こうして江戸時代さながらに両方の塚が残っているなんて奇跡としか考えられないね。
11時43分

表紙のページへ 前のページへ 次のページへ このページの地図へ