左に海を見ながら坂を登る台町の風景は今は昔。



幸ヶ谷小学校を過ぎ、街道はすぐに右折、
宮前商店街へと入ってゆきます。
入ったらすぐ左に有名な和菓子店
浦志満があるはずだけど見当たりません。
どうやら改装中なのか、その位置に店はありませんでした。
11時02分


 
 ●州崎大神
  
州崎大神は、建久二年(1191)、源頼朝が安房国
 (現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祠ったこ
 とに始まると伝えられている。 『江戸名所図会』の様
 子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。
 神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に
 突きあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が
 開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを
 結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼
 ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。

 ずいぶん歩いて来たのでここで休憩。 
 もう横浜駅に近いけど、とっても静か
 な場所だよ。森も意外に深く誰もいな
 いのでのんびり休むことができました。
 この神社の階段は、他とはちょっと違
 い下に向かって扇状に開いているんだ
 ちょっと珍しいでしょ。落ち葉の絨毯に
 覆われてとても素敵な神社だよ。

       11時04分


これが
州崎大神の鳥居です。前から見ると右側の建物(山車を入れるとこかな?)が
少し邪魔で、せっかくの雰囲気を台無しにしていました。逆に境内から振り返ると、
そこはもう現代的な風景が広がっているよ。あの先のマンション辺りが渡船場だった
なんてとても信じられません。。今は車がビュンビュン通り過ぎている川です。
11時11分


宮前商店街の中ほどにコンビニがあって、飲み物を買いました。店先には
おりこうさんな犬が一人で飼い主を待っていました。ボクたちは早速カメラ攻撃です。
ズームの使い方もずいぶん上手になったでしょう。
11時16分


300mある宮前商店街を抜けると青木橋だよ。橋の向こう側からは
国道1号線(第2京浜)が
やってきてボクたちが歩いてきた道、国道15号線(第一京浜)とここで合流します。
橋の手前には京浜急行の
神奈川駅があるよ。駅前を通って橋の右側を渡って下さい。
11時20分


神奈川駅もずいぶん線路にはみ出したおっかなそうな駅でした(写真左)。青木橋
渡ってゆくと正面に不思議なお寺が見えてきます。これは
三寶寺というお寺で、
まるでラピュタのように空中に浮かんでいるようなお寺です。
その手前には昔東急東横線の線路があったんだって。
青木橋を渡ったら国道1号を横断し、右上のお寺へと向かいましょう。(写真右)
11時24分




東海道は写真に写っている青木橋を渡ったら左に曲がるけど、ボクたちは右に曲がって
急な坂を登って
本覺寺にやってきました。ここは横浜開港当時アメリカの領事館に
なったところで、ハリスさんが自分の目で確かめて決めたんだよ。ここなら渡船場に近く
眼下に横浜の湾を一望できたので絶好の場所だったんだね。青木橋の向こうは昔
海だったんだ。今の風景をハリスさんが見たらきっと驚くね。
11時25分


急な階段を登ると、史蹟アメリカ領事館跡の石碑が建っています。その向こうが山門で
江戸時代からそのままあるんだよ。でもハリスさんが
白いペンキを塗っちゃったから
今でも、彫刻の獅子が少し白いんだ。きっとハリスさんは怖がりで、夜帰ってきたとき
山門の彫刻を見て気味悪がって、それで白いペンキを塗っちゃったんだと思うよ。
でも、そのペンキ塗りの獅子は太平洋戦争もくぐりぬけこうして現代に至っています。
そしてこの獅子は実は日本で初めてペンキを使用されたところなので、境内には
全国塗装業者合同慰霊碑があるんだ。つまりペンキ屋さんのメッカと言うところだね。


このお寺はもともと平安時代に築城された
青木城の跡地に建てられたんだ。
一時は戦争で荒れ果てたんだけど、1532年新しい住職を向かえ再建されたんだよ。
江戸時代は街道を旅する人に
黒薬という何にでも効く薬を売って喜ばれました。
しかし開港当時はアメリカに取られ、本尊は板で囲まれ庶民は立ち入り禁止に
なってしまいました。家賃月15両もなかなか払ってもらえずお寺はずいぶん
迷惑したものだったそうです。ハリスさんは1859年7月4日のお昼ごろやってきました。
そして墓地にあった一番高い木に星条旗を掲げ、みんなでアメリカ国家を歌ったんだって。


本堂は、火事や関東大震災、太平洋戦争と三回も燃えてしまい。現在のものは
昭和46年に立て直したものです。この
見事な彫刻もそのときのもの、
今は本堂に登る階段の両脇に
十二支の動物たちの石造が並んでいたよ。
この写真のみんな佐武がとりました。佐武もずいぶん上手になったでしょう。


いろいろ見て回って疲れたなと思っていたらお寺の人が休んで行ってねと
勧めてくれたので、みんなでお茶をご馳走になりました。少し寒くなってきたので
あったかいお茶はとても美味しかったよ。おばちゃんありがとうございました。
お寺を後に、青木橋まで戻り、再び街道を進みます。道は登り坂になり
台町へと入ってゆくよ。写真右の手前に高架だった東急東横線が走ってました。
右を望むとさっきの三寶寺が落ちてきそうに迫ります。その右側には
大綱
金比羅神社
があるよ。ちょうどその前辺りに一里塚があったんだ。
11時39分


神奈川台への登り坂は安藤広重の浮世絵東海道五十三次でも有名な場所です。
パパが初めてここを歩いたときは(1987年1月10日)この浮世絵のように、
浅間神社の丘が見え、海のところは低いビル群で浮世絵そっくりだと感動した
そうです。しかし今は、左側に高いマンション群が並び、まったく浮世絵とは
似ていませんでした。田中家丁子家の場所もマンションになってしまったけ
ど、
田中家だけは当時と同じ場所に料亭として残っていました。(写真右)
11時48分

坂を登りきった場所が神奈川台の関門跡だよ。
大きな写真にマウスを合わせると、昔パパが
走った頃の同じ場所が見られるよ。その
写真は1987年1月10日の写真で、パパが
初めて東海道を京都まで行ったときのもの
なんだって。あまり今と変わらない感じ。
でも石碑の後ろの木がかなり大きくなったね。
関門に続く石垣も昔のままだね。
コケがたくさん生えて古い感じがするね。
 神奈川宿歴史の道
 ●神奈川台の関門跡
 
ここよりやや西寄りに神奈川台の関門跡があった。
 開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事
 オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を
 激しく非難した。幕府は、安政六年(1859)横浜周辺
 の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化
 した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた
 そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。
 明治四年(1871)に他の関門、番所とともに廃止された。

11時52分

関門を過ぎると道は下り坂になって楽だよ。ボクはちょっと靴擦れが痛くなって
下りは特に厳しかったんだ。でも佐武が元気に歩くので我慢して歩いたよ。
下りきると橋が現れました。この橋は上台橋といって川をわたる橋じゃないよ。
11時58分


この写真は
上台橋の上から横浜駅方面を撮ったものです。国道1号の泉町交差点から
降りてきた道は真っ直ぐ横浜駅西口へ向かいます。また、道の下には横浜市営地下鉄の
ブルーラインが通っているんだよ。ブルーラインはあざみ野から湘南台まで走っていて
ボクたちも横浜へ行くときは時々乗っています。その電車がこの下を走っているんだね。
11時59分


橋を渡りきったところにあった小さな公園です。ここには神奈川宿歴史の道の
ガイドマップがあるよ。じっくり見たい人はここで休んで見てゆくといいかも。
その先に
出雲というお蕎麦屋さんがあったのでお腹の空いたボクたちは
ここでお昼ごはんを食べて行くことにしました。
12時00分


お蕎麦屋さん出雲の中だよ。今日のパパとママのメニュは日替わりランチ、
カツ丼+暖かいおそばでした。ボクたちはザルそばをいただきました。
街のお蕎麦屋さんといった感じだけど、ボクたち以外は静かで落ち着いた
雰囲気。お食事もとても美味しかったとママも満足した様子でした。
12時03分38分


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