神奈川宿にはいろいろな国の領事館がありました。




ここは京浜急行仲木戸駅、JR東海道線東神奈川駅から海に向かって少し来たところ
旧東海道の国道15号と線路にはさまれた
神奈川宿歴史の道を歩いているよ。
駅前の大きな通りを横断しセブンイレブンの右側を入ってくると最初に現れたのが
この
金蔵院というお寺だよ。このお寺は京都の醍醐寺三宝院を開いた勝覚僧正によって
平安時代末期に造られたんだって。今では山門のすぐ前が神奈川宿歴史の道に
なっているけど、昔はここから東海道である国道まで参道が延びていたんだよ。
本堂の前には徳川家康の「
御手折梅」というのがあったらしいけど今もあるのかなぁ
10時03分


金蔵院を過ぎると、向かい側に公園がある小さな交差点に出るので、その手前を
左に入って
熊野神社へ行ってみよう。歴史の道からだと神社の裏から入ることに
なるけど気になる人は公園まで行って左折左折で正面に回ってください。
ここには
とっても大きな狛犬がありました。ボクたちの大きさと比べてみると
その大きさが分かります。高さは150cmくらいはあると思うよ。パパもこんなに
大きな狛犬は東海道にも中山道にないぞ!と驚いていました。
10時06分


ボクたちのサイトにリンクしていただいている方々の中に、街道と狛犬というサイトを
立ち上げている方がおりますが、身近な方と言うことが後から分かって驚きました。
ボクが通っている小学校の同級生のおじいちゃんが開いているサイトだったのです。
そのおじいちゃんもこの神奈川宿歴史の道を進んできましたが、やはり金蔵院の前から
真っ直ぐ高札場まで進まれてしまって、この熊野神社にこんなに大きな狛犬が
あったことを見過ごされてしまっていました。おじいちゃん!このサイトをご覧になったら
ぜひ仲木戸まで行かれてこの狛犬の写真を撮って来てください。
平次のパパより


熊野神社の境内を右奥へと進んでみると、大きなイチョウの古木があったよ。
このイチョウは
御神木公孫樹といって樹齢400年の横浜市名木古木指定の木だよ。
慶応4年に神奈川大火があり、昭和20年には戦災で焼けたんだけど、見事に
生き残って毎年秋には銀杏が実るので火防のイチョウと呼ばれているんだよ。
公園に戻ると近所の
小鳩保育園のみんなが先生とサッカーをして遊んでました。
ボクも佐武もサッカーが好きなので一緒に遊びたかったんだ。みんなの
遊んでいる姿を見ながらボクたちはおにぎりでお腹をいっぱいにしました。
10時09分~19分


公園の先は綺麗な並木道になっていて、左側にある
横浜市神奈川地区センター
前に差し掛かったら突然大きな
高札があって驚きました。もちろんこの高札は
昔の資料を元に復元したものなんだけど、本当の高札場は国道沿いの少し先に
ある神奈川警察署の西側にあったんだって。ここからは南に180mの場所だよ。
10時20分


ボクたちはなおも神奈川宿歴史の道を真っ直ぐに進みます。センターの体育館では
お父さんたちがバスケットボールをしていました。そこを過ぎると右側に近代的な
お寺が現れました。門の前には
外国宣教師宿舎跡の碑がありました。

神奈川宿歴史の道
 ●成仏寺
  成仏寺は鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺である。徳川三代将軍家光の
 上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地が現在地に移された。
  安政六年(1859)の開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボンは本堂
 に、ブラウンは庫裡に住んだという。ヘボンはヘボン式ローマ字で知られ、日本最初
 の和英辞典を完成した。またブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力した。


10時27分


成仏寺の先は滝の川に突き当たるので、左へ進まなければいけないんだけど、
フランス領事館跡を見たいボクたちはタバコ屋さんの角を右に曲がり、京浜急行の
線路をくぐって
慶運寺にやってきました。東海道線のガードの手前だよ。
10時29分


ここは
慶運寺と言って室町時代に芝増上寺の第三世音誉聖観によって開かれたお寺だよ。
開港当初はフランス領事館として使われたお寺なんだ。ここからはいろいろな国の
領事館跡が現れるよ。またこのお寺は浦島寺とも呼ばれ、
浦島太郎が竜宮城から帰って
きたとき持ち帰ったと言われる観音像が保存されているんだよ。見たかったなぁ!
浦島太郎のお話は全国にあって、御伽草子や万葉集にも出て来るんだ。しかし何故
この神奈川にその伝説があるんだろう。一説によると、浦島太郎のパパは浦島太夫と
言って、太郎を連れて転勤で丹後の国に行ったときにあの事件が起こったんだ。
そして、太郎はパパのふるさとであるこの地へパパのお墓を探しにやってくるって訳なんだ。
そんな太郎はこのお寺にも来たのかなぁ。とっても不思議な気持ちになりました。
10時36分


来た道を戻って更に進むとこんな風景があるよ。
滝の川にはみ出してお家が
建っていたのでボクたちはびっくりしました。地面に乗っている面積より川に
はみ出した面積のほうが大きいような気がして、心配になりました。川に沿って
真っ直ぐ進むと国道に出ちゃうので、黄色の矢印のように途中で右に入って
滝の川を渡って下さい。もう少し面白い場所があるから国道へは出ないでね。
10時39分


京浜急行のガードと国道のちょうど真ん中辺りにこの土橋がかかっています。
この橋を渡ったらすぐ左に曲がり滝の川沿いに進むんだけど、ちょっと寄り道を
して見ましょう。橋を渡ったら真っ直ぐ20m進んで、右に入ります(写真左)。
10時42分


その道の突き当たりにあるのが
浄瀧寺だよ。ここは開港当時イギリス領事館だったんだ。
昔ここには
妙湖尼というお坊さんがいて、鎌倉に向かう途中の日蓮上人がここに立ち寄った
んだ。その時上人の人格に感銘を受けすぐ弟子となったんだって。そしてこの場所に庵を
結んで法華経の道場としたのがこのお寺の始まりなんだよ。
10時45分


浄瀧寺の参道に面したところにあった塀はレンガ出て来ていてとっても風格が
ある塀です。個人のお家の塀なんだけど、もしかしたら由緒ある塀なのかもしれないね。
10時46分


再び、滝の川に戻り、川の右岸を進んでゆくと正面に国道が渡る滝の橋と高速道路が
見えてきたよ。その右側の材木屋さんの前には
本陣跡の碑がありました。でも本陣が
あったのはこの場所ではなく国道沿いで、滝の橋の江戸側には
神奈川本陣、京都側には
青木本陣が置かれていたんだって。今は高速道路も走って面影もありませんでした。
ボクたちは更に名所へ立ち寄るためにこの材木屋さんの角を入り、まだ国道へは行きません。
10時49分


材木屋さんの角を入ると80mで幸ヶ谷小学校に突き当たるけど、その途中右側にあるのが
宗興寺だよ。ここは開港当時、医者でもあったあのヘボン博士が治療を行っていた
施療所が置かれていた場所なんだ。ヘボンは後に明治学院を創設するなど日本の教育に
尽力したんだ。そんなヘボン博士の碑が境内にあったので紹介します。
10時54分


 宗興寺
  1859(安政六)年ヘボンの来日後、まもなく米宣教医DBシモンズが来日、
 当宗興寺を宿舎とした。シモンズはその後、明治初年になって横浜市立
 大学医学部の前身、十全医院で多数の外科手術を行い、子弟を教育した。
 また虫下しセメン円でも有名である。
  米宣教師ネビウスも一時宗興寺を宿舎とした。シモンズ、ネビウスが当寺を
 去ったあと1861(文久元)年四月から九月まで宗興寺はヘボンの施療所となった。
 ヘボンは成仏寺からここへ通い、多数の患者を無料で診察し、入院患者もあった。
  ヘボンのレリーフは幸ヶ谷在住の齋藤由蔵氏の善意で作られたものである。
   昭和五十一年十二月            ヘボン博士顕彰会




ヘボン博士って偉かったんだなぁ。パパが今入力しているキーボードでも
ローマ字入力を使っているってことはヘボン博士がいたからなんだね。
お寺を後にすると道は
幸ヶ谷小学校の塀に突き当たるので、左に下って
国道に出ることにします。これで神奈川宿歴史の道はお終い。
国道に出たら、ヘボン博士の昔が夢のような景色が広がりました。
立派な国道と高速道路の向こうには高層ビル群がそびえたちます。
もうすぐ街道は横浜駅のそばへと向かいます。
10時59分


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