南品川には、ちょっと素敵なお寺がありました。


品川橋を渡れば南品川。京浜急行の新馬場から青物横丁辺りで、昔は街道の左側は海で
漁村として賑わっていました。街道の右側にはお寺が多数あり、ここでは2つの寺に寄ってみます。


品川宿本陣を過ぎると国道357号を渡る大きな交差点だよ。この国道は、千葉と横須賀を結ぶ
湾岸道路なんだけど、盲腸のように、ここまで伸びてきて第一京浜で終わるんだ。
この交差点で海側を見ると(写真左)大きなビルがたくさん見えました。あのビルの下は
東京モノレールの天王洲アイル駅なんだ。交差点をちょっと過ぎると、景色はガラって変わって
狭い路地のある下町の風景がたくさん出てきます。南品川はちょっと不思議な街だよ。
10時38分

ここは目黒川に架けられた品川橋です。この橋は旧東海道の北品川宿と南品川宿の間に
あったことから境橋とも呼ばれていました。また行合橋や中の橋とも呼ばれ、昔は木の橋
だったんだけど、次に石の橋になり、コンクリートの橋になり、そして今は鉄の橋です。
この橋を渡れば南品川で、左の方に城南信用金庫が見えるでしょ、そこが昔は
百足屋脇本陣だったんだ。その先の信号の角には問屋場もあってこの辺はとても
賑やかな街道だったことが分かります。いまでも自転車のおばちゃんがいっぱいいるよ。
10時44分


橋の真ん中から右後ろを振り返ると
荏原神社の鳥居が見えるよ。本殿と鳥居の線を
真っ直ぐ結ぶとこの品川橋の上になるので変な配置だよ。これは大正時代までは目黒川が
蛇行して荏原神社の裏を流れていたからなんだって。街道からの参道に川を作られちゃって
神社も迷惑だっただろうね。続いて
品川宿の松がありました。この松は浜松の有賀さんが
プレゼントしてくれた松で樹齢は80年の黒松です。80年でこんなに小さいから、大きな松は
いったい何年生きているんだろうと、ボクは思いました。
10時49分


問屋場のあった交差点には東洋鍼灸院があってそこの壁に三岳の説明が会ったよ。
昔この場所は二日五日市村があり、賑わっていました。そのそばに三岳神社があったことから
三岳って呼ばれるようになったんだって。その先の右側には小さな公園(写真左)があって
むかしボックスという面白いものがありました。ボタンを押すとスピーカーから
昔話が聞こえてきたので、sabuと二人で次々とボタンを押して聴きました。
この公園には綺麗で立派なトイレもあるので休憩にはもってこいです。
公園の先には
古い商店二階建の蔵が並び、ここが品川とは思えない風景でした。
ボクたちは隣のampmでアイスクリームを買ってもらい、クレッセント南品川にある
小さなベンチで食べました。
10時54分


時宗長徳寺の後ろには城南小学校があります。中山道に続き東海道でも
小学校を訪れてみたいと思っていますが、なかなか街道に面した小学校が
有りません。小学校の門の前、サンクタス品川には
袋井の松が有ったよ。
この松も袋井宿の村岡さんがプレゼントしてくれたんだって。
11時21分

3分くらい行くと、また大きな交差点です。ここを右へ行くと130mで
青物横丁駅だよ。
交差点にはえんどう豆の形をした街灯があってとっても可愛く楽しくなりました。
ここは江戸時代に付近の農民が野菜や山菜を持ってきて市が立ったから青物横丁って
言うんだよ。住んでいる人たちは「あおよこ」って呼んでます。
11時27分



街道から見える場所にちょっと大きな大仏様がいました。ちょっと大きなといったのは
ボクたち春休みに奈良のとっても大きな大仏様を見てきたからです。ここは
品川寺だよ。
この大仏様は高さが2.75mで
江戸六地蔵の第1番なんだよ。作られたのは宝永五年(1708)
他の六地蔵は浅草の東禅寺、新宿の大宗寺、巣鴨の真性寺、白河の霊巌寺が現存します。
また境内には樹齢600年の
イチョウが高くそびえ、おっぱいのように下がった幹が
珍しいと思いました。このお寺の
梵鐘も有名で、今日はテレビの取材が来ていて
大学の先生らしいおじさんがカメラに向かって説明していました。
11時30分




品川寺から100m進むと、海雲寺があるよ。ここには千躰荒神堂奉納扁額と言う
面白い絵があるというので中に入ってみました。
11時42分


中に入ってびっくり、天井いっぱいに纏(まとい)の絵がありました。みんな違う形で
三番とか五番とか数字が書いてあったよ。パパに聞いたら江戸時代の消防団が
持っていた自分たちの組を表す道具なんだって、その下には
神代講と書かれた
文字の周りに大勢の人の名前が書かれた看板がいくつも飾ってありました。
神代講ってどんな人の集まりだったんだろう。消防団の集まりかなぁ。


これが
千躰荒神堂奉納扁額だよ。千躰荒神王というのは火と水の神様で台所の神様としても
有名なんだ。その神様に奉納したのが、これらにわとりの扁額なんだ。色がとっても綺麗で
とても古いものとは思えませんでした。この千躰荒神王をが出てくるお祭は11月の27・28日の
千躰荒神秋季大祭で、ここをお参りすると衣食住に困らないとされるため、賑やかになるんだって。
そのとき売られる縁起お菓子の釜おこしは人気があるって聞くけど今日は5月5日なので
食べることはできませんでした。


同じ境内にあったのは平蔵地蔵だよ。平蔵さんが何故お地蔵さんになったかって。
それは昔々江戸時代の末期の出来事でした。鈴が森刑場の番人をしていた三人の
乞食がいました。今で言うとホームレスなのかなぁ。その乞食たちの一人平蔵さんは
ある日大金を拾いました。平蔵さんは正直にその大金を落とし主に返し、お礼にくれた
お金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。その話を聞いた二人の
仲間は、お金を返さなければ三人とも乞食をやめられたのにと怒り、平蔵さんを
自分たちの小屋から追い出し、凍え死にさせてしまいました。それを聞いた
落とし主の仙台屋敷の若いお侍さんは悲しんで平蔵さんの遺体を引き取り、青物横丁の
松並木のところに手厚く葬り、上にお地蔵さんを置いて供養しました。
あいにく明治になって京浜電車が開通する頃、お地蔵さんの土地に線路が
架かってしまったので、この海雲寺の住職が、お地蔵さんを引き取ってここに
大切に供養したのです。お金のためなら人も殺す時代に、こんな素敵な話が聞けて
良かったと思いました。ボクもお金を拾ったら正直に交番に届けます。
その隣に怖い顔をして電球を持って立っているのは
電燈講とかかれた石造です。
電燈講ってまたまた分からない講が出てきました。
11時49分



青物横丁駅のホームの外れ付近には右に入る小径があって、そこに
贈太政大臣岩倉公御墓参拝道碑
が有るよ。
岩倉公というのは、あの明治維新の立役者岩倉具視のことだよ。岩倉具視のお墓は、
京都の洛北と、ここ
海晏寺の後丘品川エトワール女子高の隣にあるんだ。
京都のお墓は遺髪塚と呼ばれ髪の毛だけで本当のお墓はここなんだよ。
その参拝道の左側にはとっても小さな
幸稲荷神社があります。
11時42分

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