日本晴れの日本橋を平次と佐武がカメラを首に京都へ向け出発

第1日目 2007年4月29日

平均気温16.4℃ 最高気温21.1℃ 最低気温11.3℃ 平均湿度36% 風速3.5m/s 降水量0.0mm 日照時間12.9時間
気象庁電子閲覧室より引用


こうして日本橋に立つには何度目だろう。最近では友人と甲州街道へ向かったし、
子供と来たのは、もう6年も前のこと。そのとき七ヶ月だった子はもうすぐ7歳になる。
岩村田で生まれた子は4歳になりカメラを持って日本橋の欄干を撮るようになった。
さぁ行こう!君たちの足で京都へ。君たちと長い時間を過ごせるのも、もうこれで終わり。
いろいろなものを見て、いろんな人に出会って、そして大きくなってね。
パパとママより


この橋は、すごいよ。ドラゴンやライオンの怪物が付いているんだ。
ボクは特にこのライオンが気に入ったよ。足の下にあるハンドルみたいなものは
なにかなぁ。
(実はこれ東京都の紋章。明治22年東京市も紋章として決定したもの
東京の発展を願い太陽を中心に6方に光が放たれているさまを表し、
日 本の中心としての東京を象徴しているそうです。後にこの紋章がSabuの脳裏に
焼きついていたことを証明する出来事が起こります。)

日本橋はにぎやかだよ。
たくさんの人たちが、この橋の上にいます。
ランニングスタイルのおじさんと、
自転車に東海道五十三次完走の旅と書いた旗を
付けたおばちゃん。パパが写真を撮ってあげた
3人連れさんには、ボクたちの写真を
撮ってもらいました。その隙にSabuは
ちゃっかりおばちゃんたちを撮ってます。
こんないい天気でボクには京都が
遠いのか近いのかよく分からないけど
気持ちのよい出発ができたのが
ご機嫌です。じゃあ行ってくるよ。

 日本橋魚河岸跡
                 
所在地中央区日本橋室町1丁目8番地域

  日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や
 塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島
 の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この
 魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町1丁目
 ・本町1丁目一帯)の広い範囲、で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
  なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、
 江戸っ子たちの威勢のよい取引が飛交う魚市が建ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の
 取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
  江戸時代より続きた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸
 地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場
 を開いて売買を行ってきました。
  この魚河岸は、大正十二年(1923)の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売
 市場へと発展しました。
  現在、魚河岸のあったこの場所には、昭和二十九年に日本橋魚市場関係者が建立した
 記念碑があり、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの三百余年の
 歴史が刻まれ往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。

   平成十九年三月                         中央区教育委員会


左の写真は、日本橋から北をみたところで、真ん中にそびえるのは
三越デパート本店、
その下をボクは七ヶ月のときパパに背負われて
中山道へ出発したんだって。
今日は右の写真日本橋の南へ向かいます。どっちに行っても京都に着くなんて変だ?
9時04分

日本橋1丁目は、ママが喜ぶお店がいっぱい。
今年はモノトーンかぁ。とママは
ウインドウショッピング。そのママの目を追うようにSabuのカメラが追っています。
JAEGER(イエーガー)はイギリスの大人服のブランド120年の伝統があります。
お隣はコムサ・デ・モードで知られる潟tァイブフォックスのお店、
コムサストア


2丁目でひときわ目立つのは
高島屋だよ。でもボクは広い歩道と車道の間に咲く
ポピーが気に入って撮りました。銀座のほうまでず〜っとポピーの花壇が続くよ。
9時14分


中山道で、初めの頃は家を出るのが早くて朝ご飯は出発地点についてから
食べたけど、また同じ感じになってきたので、早速高島屋の裏に
ロッテリア
見つけて今日の朝ごはんにしました。Sabuもハンバーガーとシューズに
ありつけてご機嫌です。このお店はママが仕事中によく来た店だって。
9時20分〜9時36分






3丁目は、ボクたちが好きなものがありました。東京駅八重洲口への道がある
その角には大きなブロンズの
キリンさんがいるよ。この写真はボクが撮ったんだ。
横断歩道の真ん中には
平和の鐘がありました。その下には変なおじさんの顔が!
このおじさんはヤン・ヨーステンさんといって1600年ウィリアム・アダムス
(三浦安針)さんとリーフデ号で豊後に漂着し、徳川家康に気に入られて
ここに屋敷をもらったんだよ。八重洲というのも、もともと家康に貰った日本名
耶楊子(やようす)から来ているんだって。そのおじさんと
リーフデ号のレリーフです。
9時45分


ボクたちは、日本橋に来るときは地下鉄千代田線と半蔵門線を乗り継いできました。
Sabuにとって地下鉄がよく分からないみたいで、夜になったと思っています。
そんなSabuが地下鉄の排気口を見つめています。下を地下鉄が通るとあの音がして
Heijiはすぐこの下に地下鉄が走っていることを理解し、電車が行ってしまうと
次の興味へ心は移っていってしまうのですが、Sabuは説明しても理解できず、
いつまでも排気口を覗き込んでいました。


このまちには、面白いバスが走っているよ。二階建バスかと思ったら天井がないんだ。
このバスは
SKYBUS Tokyoといって、この辺から皇居周辺を走っているんだよ。
乗り場は東京駅丸の内南口なので、今日は乗れなかったけど今度乗りたいなぁ〜
あまり寄り道しているので京橋二丁目の1kmポストまで一時間近くかかってしまいました。
9時54分


通りの上に首都高が現れたら、そこは京橋で右側には江戸歌舞伎発祥之地という
大きな石碑が建ってます。歌舞伎はもともと大阪の北野天満宮で始まったんだよ。
それが寛永元年江戸に来て元祖猿若中村勘三郎がここに猿若中村座という
芝居小屋を作ったんだって。振り返るとビルの上に大きなペンキの缶がぐるぐる回って
いたよ。ボクたちは歌舞伎よりこっちに興味があってSabuと二人で写真撮ったよ。
9時58分


首都高のガードの右に歌舞伎があって、道を渡った左側には
警察博物館があるよ。
甲州街道には消防博物館があって面白かったけど、ここも白バイやヘリコプターに
乗れるのでご機嫌です。このゴールデンウィークは東京の治安最前線展が開催されて
いて嘘発見器なんか体験できるんだ。チビッ子はお巡りさんの服も着れるよ。
10時03分


警察博物館の前には京橋と言う橋があった時の欄干の石碑があるよ。
その先、首都高をくぐったところには
煉瓦銀座之碑というのもあったよ。
これは明治5年に大火があって、それまでの木造の建物がみんな
燃えちゃったので、政府がお金を出して煉瓦造り二階建ての商店街を
作ったんだ、それが今の銀座商店街の始まりなんだって。
10時07分


いよいよ銀座、その入口で見つけた素敵な看板です。
次世代の資産を創る。確かにボクたちを含め子供は世界の宝物。
東海道の旅も、このキャッチフレーズのとおりなのかもしれません。

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