美山公園のある原山から緩やかに下れば、糸魚川市街、城下町の
名残である枡形を抜けて旧加賀街道を横切った先には・・・。





原山の美山公園にあるのが、歩荷像。これは糸魚川中央ロータリークラブが
創立十周年を記念して建てたもので、傍らに説明板があるので読んでみましょう。


  ぼっかぞう
  歩荷像について 

 
 昔の糸魚川の繁栄は、海をもたない信州安曇地方を背景にした交易経済に負うところが
 大きかった。
  廻船問屋・漁師・四十物師(乾物業者)そして牛方・歩荷など多くの人々がそれに関わっ
 た。信州への荷物は国鉄大糸線が通るまで、すべて牛と人の背により搬送され、その役割を
 牛方と歩荷が担った。とくに降雪期は人力に頼るしか術がなく、根知・小滝などの大勢の男
 衆が冬場農閑期の駄賃稼ぎに歩荷に出たのであった。
  糸魚川と信州をつなぐ旧松本街道、いわゆる塩の道はフォッサマグナ(大断層)がつくる
 急峻な山脈の裾を縫うように谷を渡り、森をぬけ、峠を越えてつづく。六〇キロに近い荷を
 背負った歩荷たちは夏はウルル(虻の一種)の大群に襲われ、冬は五メートルの積雪に
 難渋しながらこの道を往反した。
  塩・海産物などの行き荷、麻・大豆などの帰り荷と共に、言葉・風俗など相互の文化も
 運ばれたのである。


歩荷といえば、学生時代の山岳部で丹沢のバカ尾根(大倉尾根)を5〜6月の
毎週土日に2往復する
歩荷訓練を思い出します。塔ノ岳頂上の尊仏小屋へ
夏季需要の増える、ジュースやビールを40kg担いで登るバイトを兼ねた
訓練でした。最初は20kgから始め、高校2年生では40kg。かなりきつい訓練で
この訓練で、新人の8割が脱落してしまいます。これを乗り越えると、夏の
合宿で、やはり40kgを背負い、上高地から槍ヶ岳、三俣蓮華から雲の平、
薬師岳、立山、剣岳と縦走し、下の廊下から宇奈月へと2週間掛けて歩く
ことが出来るのです。歩荷と聞くと懐かしいような辛いような思い出が込上げます。


ここにはこんな案内板もあります。仁王堂から十王堂、牛清水から歩荷像。
そして残り僅かとなった塩の道が終点の日本海まで続く名所が描かれています。


公園内を進むと
フォッサマグナミュージアムの案内板が出てきますが、
塩の道から片道700mの寄り道になります。時間のある方はいかがでしょう。
我々は
展望台と書かれた案内板に誘われ、階段を登ってみましたが、
それらしいものは水道のタンクしかありませんでした。そのタンクが展望台?
諦めて、公園を進むとこの先で終わってしまい、一般道へ。左側にあったのは
原山地蔵堂です。ここのお地蔵さんは身長180cmもあります。


緩やかに下ってゆくと、右側に大きな老人ホームみやまの里、左側に
美山ゴルフ練習場が現れました。正面はもう日本海が良く見えています。


少し行くと北陸自動車道の上空へ、左を見ると糸魚川インター、姫川そして
岩木トンネルまで見えました。糸魚川中学校の手前には
大きな鳥居が、
附近に神社が無いのですが、ここの分岐の先にある水前神社の鳥居でしょうか。


鳥居の下に、おばあちゃんが休んでいたので話を聞きました。
景色の良い場所で、遠くに工場のプラント設備が見えたので、工場の
名前を聞くと
明星セメントだよと、教えてくれました。この工場は
昭和39年に創業したんだとか。途中で見えた黒姫山から石灰石を
ベルトコンベアでここまで運び、セメントを製造しています。
そう言えば、夏休みにボクたちを連れてゆく群馬県上野村へ行く途中の
志賀坂峠への途中にも、石灰石を運ぶベルトコンベアがありました。
山の中を進むコンベアはこんな感じです。写真の上にマウスを!


市役所や糸魚川インターの道路標識が出てくるこの交差点から先は、
道が狭くなり、旧道の面影が出てきます。住宅地の中を進みますが、
この辺りが明治の頃から盛んになった
上刈みかんの産地です。しかし
現在は下火となり、みかんの木を見ることは出来ませんでした。
やがて止まれの道路標識で大きな通りに出ますが、塩の道はその手前
この写真の位置で
右の小径へと進みます。50m進むと右側に
山乃井神社があり、そこで左折しましょう。先ほどの大きな通りを
横断して真っ直ぐに進んでゆきます。


正面に見えてきた高架は北陸新幹線の線路です。小径はこの先でクランクになります。


このクランクは、鉄砲町で、城下町の名残だそうです。
突き当たって右へ、また突き当たって左です。


線路に突き当たり左、最後は新道に突き当たり、踏切を渡ります。


踏み切りを渡ると260mで旧加賀街道交差点です。ここでちょっと寄道。
右へ少し進むと、
加賀の井酒造があります。ここは加賀街道の本陣跡
加賀百万石の前田家は、金沢からここ加賀街道を通って直江津へ
そこから北国街道で軽井沢の追分へ出て中山道で江戸に向かいました。
大名行列は塩の道を通ることは無かったのです。


今夜の祝賀会の為に純米大吟醸酒を確保しました。


この交差点が塩の道と加賀街道の交わる場所。角には糸魚川道路元標があります。
いつかは、追分から北国街道経由で加賀へ向かい、鯖街道で京都まで行ってみたい
ものです。再びここへ元気に来れることを祈念しました。右の写真は
雁木というこの地方
特有の商店街の雪除けです。冬の厳しさが感じられます。それでは交差点を渡り、
150m先の塩の道終点へ向かいましょう。

 
 
我々にとっては、日本橋からの長い旅の終点ですが、掲げられていたのは
塩の道起点の案内板でした。蒸気茶屋は床屋に代わり、昔の面影はありません。


とうとう日本海に突き当たり街道は終わりました。ここが塩の道の終点
松本から123km、日本橋から359km、ここまで6年間かけて歩いて来ました。
日本列島を横断する旅でしたが、五街道と異なり素朴で趣のある街道でした。
日本海の海水に触れてみたかったのですが、その先には国道とテトラポッドが
行く手を遮り、叶うことは出来ませんでした。今夜は、ここから加賀街道に戻り
富山方面に800m進んだ場所にある、ひすいの宿たつみで打ち上げです。