大糸線根知駅から出発した今回は、前回見た不思議な場所へちょっと寄り道!
そこは東日本と西日本が衝突する大断層フォッサマグナでした。
駅からパークの遊歩道を通って、前回のゴール地点へと向かいます。





新宿発7時00分のあずさに乗って、大糸線根知駅に着いたのは、12時30分、
5時間半あれば、成田からハノイまで行けます。何て遠い場所と思いましたが
我々がここまで、来るのには日本橋から22日間掛かっています。そんな旅も
今日で終了してしまうと思うと感慨深いものがあります。ワンマンカーを降りましょう。

 

駅から北へ向かい、左折して国道148号へ出て再び北へ、根知川を渡れば
この
大断層の看板が出迎えてくれます。特に地質学に興味があるというわけでは
有りませんが、韮崎辺りからずっとフォッサマグナの上を歩いて来た我々には
やはり気になる地球の息吹ということかもしれません。この看板に従って
ここから右へ入る遊歩道を進んでゆきます。塩の道はその先にあります。


遊歩道から振り返れば、渡ってきた橋、根知川を渡る大糸線の鉄橋が眼下に。
早速、
フォッサマグナパークの案内板がありました。ここは糸魚川市の野外博物館の
ひとつで、日本第2位の規模を持つ活断層「糸魚川〜静岡構造線」と日本最大級の
「枕状溶岩」を見ることが出来ます。ここから断層の露頭までは、2億5千万年前の
黒色頁岩と変はんれい岩が露出しています。およそ10分で露頭に着きます。

 
   
前回県道からの断層露頭 
 

ここがまさにユーラシアプレートと北アメリカプレートが衝突した場所です。
これは
断層露頭といって、人工的に掘削し露出させた糸魚川〜静岡構造線です。
断層破砕帯の幅は1.5mほどで、左側が2億6千万年前の変はんれい岩、
右側が1600万年前の安山岩が露出しています。ここは断層が通ることによって
小さな谷地形になっており、谷は崩壊堆積物で埋まっています。その結果
地すべりが発生し、それを止めるために石垣を積んでいます。遊歩道は露頭の
上部にありますが、階段を下りてゆくと露出した大昔の岩を触ることが出来ます。


更に10分歩と進むと、今度は枕状溶岩が出てきました。フォッサマグナの安山岩は
1600万年前のものですが、この溶岩は1400万年前、当時この場所は海底で、水中で
噴火した火山の溶岩が固まったものが枕状溶岩です。周りが海水で冷やされるため
高温の溶岩が筒状になり、ストローのような中を通って先へ先へと流れてゆきました。
それらの断面が、この丸い形を形成した岩になります。遊歩道をそのまま進むと
塩の道の仁王堂へ行ってしまいますので、右に戻るように遊歩道を外れて、前回終了した
県道の交差点まで戻ることにしましょう。

 

県道から根知川を渡り、最初の道を右折します。215m行くとこの交差点、
ここで左折するのが塩の道です。本来はここから根知小学校南側に向かって
田んぼの中を古道が延びていたのですが、開拓により消滅しました。
さて、左折して旧道を行くと、仁王堂の集落です。軒先に半鐘が下がった、
仁王堂公民館と、飯縄社の間を進みましょう。


飯縄社の下には、塩の道ガイドという大きな案内板が設置されています。
あまり詳細とは言えませんが、山口から仁王堂までの道が記載されていました。
現在地の右側で不自然にクランクになっている場所が、古道がなく迂回路です。


飯縄社は、木々に囲まれひっそりと佇んでいます。仁王堂から山に向かって進むと、
左側に
茶屋跡碑があります。これから中山峠に向かう歩荷たちが休んだと言われています。
その先、車道のS字坂が始まる手前に、ショートカットする古道があるとのことでしたが、
潰れた家屋があるのみで、今は無くなってしまったようです。仕方なしにS字坂を登ります。

 
 
S字坂を登ってゆくと、後方に展望が開けてきました。正面に見える丸い大きな山が
戸倉山で、その左の鞍部が大網峠です。我々はそこを越えてきたわけです。
二つのコブの左側鞍部は、鳥越峠でもう一つの塩の道が通っています。
上の写真のカーブが終わる辺りに古道への入口がありますので、注意してください。


ここが古道への入口。車道から右へ入ります。案内板があるので分かり易いのですが
これを見落とすと、ずっと車道を行くことになります。古道に入ると緩やかな登りが続き、
6分ほどで、峠になります。ここが
中山峠で、ここからは登ったり下ったりの道になります。


中山峠から6分行くと、この「旧松本街道 塩の道」と書かれた石碑があります。
塩の道は、信州から見ると糸魚川街道ですが、越後から見ると松本街道に
なります。大網峠の先、角間池附近で入った越後ですが、松本街道の碑を見ると
糸魚川の近さを感じさせます。旅の終わりが近づくと寂しい思いが募ります。


同じ場所には、仁王堂へ1.4km、大野休憩棟へ1.3km、北陸道へ5.8kmという
道標があります。あと6kmほどで日本海です。


傍らの木を見ると、獣にかじられたような痕があります。まさかここで熊?
子育て親子熊に遭遇したら一大事なので、例の熊よけ鈴を鳴らしながら進みます。
やがて正面に
鉄塔が現れ、左側の眺望が開けました。下には先ほど分かれた車道があり、
その先に
日本海が望めました。かなり遠く、曇っていたので青い海とはゆかず、
空の灰色との区別が難しいけど、確かに海が見えました。


鉄塔を過ぎ、坂を下ってゆくとウトウです。ウトウとは、中山道の鵜沼にもありましたが、
急斜面をV字に切り開いて、道の傾斜を緩やかにした窪地のことを言います。この写真
でも分かるように、山を切らなければ、この碑の場所から階段でも付けないと上の斜面へ
登れません。塩の道は特に歩荷が思い荷を背負っていたので、傾斜を緩くしたのでしょう。


ウトウを下ると、右の斜面上に小屋が建っています。中にあるのがカンパ地蔵
昔々、子供にひどい腫れ物ができて、姫川で拾った石を抱かせて寝かせると
きれいに直ったことから、この石で地蔵を作ったのが、カンパ地蔵です。
カンパとはおできや湿疹のことで、ここへお参りすると直ったといわれ、
参拝者が絶えなかったと言われています。


山道を歩くこと45分。ここで再び車道へと出ます。ここにも松本街道の碑があります。

 
   
 

出たところには
大野休憩棟がありました。街道一の立派な休憩所なので
是非、休んでゆきましょう。囲炉裏風の床がある休憩棟はベンチがありくつろげます。
中には「賑わった新舟・小坂道」や「塩の道一口知識」などの案内板、また外には
糸魚川−静岡構造線と塩の道という大きな案内板もあり勉強になります。
ここからは、小坂集落を抜け、新舟集落を下って、平地にある大野へ向かいます。


小坂集落の中にあったのは茶屋跡の碑、ここの屋号「みせ」という茶屋があり、
その古い建物は昭和50年頃まであったそうです。次に新舟の集落には
大野道標があります。
碑には、「左ハ志ん志やう」(信州のこと)、「右ハ井ノ口村入」(井ノ口は用水の取入口)と刻まれて
いました。ここから坂を下り大野へと向かいます。


坂の途中の民家で
面白いものを発見。木をくり貫いて造ってあるこれは、
いったい何に使う物なのでしょうか。さっぱり見当がつきませんので、
知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。
ニゴリスミ川
渡ると、街道も平地となり、左に
大野神社が現れます。海から少し距離が
ありますが、この大野神社は船主や船頭たちが航海の無事を祈り船絵馬を
奉納し、信仰を集めました。中には木造大野社男神像・木造大野社随神像・
木造十王像・木造地蔵菩薩坐像など市の文化財が並びます。