さて、本日は最大の難所、大網峠越えです。横川の吊橋から峠まで
500m以上の登り。これは関東なら大山のケーブル終点から頂上。
関西では有馬温泉から六甲山頂の登りに匹敵するクライムです。
これを1時間45分かけて登ります。下りは緩やかですが700mを
一気に下ります。平岩から山口までは店も無く完全な登山と
なるので注意!





大網諏訪社の前は、部落の中でも少し広い場所。ここが今日の出発点。
道標には
大網宿高札場跡とあります。五街道同様にこの塩の道にも高札場が
あったとは、幕府の統治がこんな山村にも及んでいたことを示す証です。
大網村は仁科氏に諸役を免除されていました。ここに住んでもらい、領地の
北の守りを固めたと伝えられます。それでなければ住めるような場所では
なかったようです。


昨日は、この諏訪社まで登り、宿に決めた姫川温泉ホテル白馬荘のワゴンに
迎えに来ていただきました。そして今朝はこの車で送っていただき、歩いたら
30分以上の道のりを5分足らずでやってきました。本日中に東京へ戻るには
時間短縮で大網宿から出発したほうが最終電車に余裕を持って乗れるからです。
それでは、道標に従って矢印の方向へ下ってゆきましょう。


小川に沿って降りて行くとT字路に突き当たり、そこにも道標がありました。
塩の道千国街道大網峠越え、
大網峠まで4.5kmと有りました。この道標の
交差点を右へと進路を変えます。周囲の民家もこの村独特の形をしています。
雪が多い地方ですが、フラットな大きな屋根を持つがっしりとした造りに
なっています。1階の窓の部分には、すでに雪囲いが設置されていました。


屋根の頂を飾る鬼瓦も、この村独特の形状をしていました。左右の波の真ん中に
3本の角のようなものをもった何かがあります。研究している方がおりましたら
教えてください。村はずれは墓地、その入口から村を振り返ります。左奥から村の
中央を抜けてこの場所へやってきました。右手に石仏群が現れ、その中に
道祖神のような石仏がありました。夫婦ではなく、強い親父が赤子を抱いている
ような
珍しい石仏ですが、年代とかは判別不能でした。


延々と続く石仏群は、旅人の安全を祈願するために並べられたといいます。
周囲の街道は、なんとマレットゴルフ場になっていて、所々に番号がついた旗や
コースの案内板があります。普段塩の道を旅するものも無く、お年寄りたちが
街道を利用して楽しんでいるのでしょう。


熊出没注意が増えてきました。前回も熊の影に怯えたので、今回は熊よけの鈴
購入して来ました。.好日山荘で\1,000、ものすごく大きな音が出ますが、なんと
マナーモードが着いていて、交通機関などでは静かで、非常に便利なアイテムです。



ここで墓地やマレットゴルフ場も終わるという場所にあったのは、ひっそりと
杉の大木に囲まれた
芝原の六地蔵です。ここを過ぎると街道は一旦下り坂、
横川の支流を小さな木橋で渡り、20分ほどで
横川の吊橋です。ここまで
標高差100mも下ってしまいましたが、ここから高度500mの登りが始まります。
横川の吊橋は傍らに朽ち果てた古い踏み板が放置され、我々は真新しい
踏み板を安心して渡ることができました。村人も利用している橋なのでしょう。


菊の花地蔵までは標高差300m以上、とんでもない急傾斜を直登に近い
感じで登ります。東京タワーの天辺まで登る感じでした。そのちょうど中間地点に
出てきたのが
牛の水飲み場。この坂を牛が登ったなんて信じられません。
我々もここで沢の水で喉を潤し休憩します。吊橋から20分かかりました。
周囲には岩盤をくり抜き、牛に飲みやすいようにした穴が数箇所掘られています。


更に急坂を20分上ると、菊の花地蔵です。菊の花とは、この場所の地形が鼻の
張り出したような形をしていたからで、菊の花が咲いていたわけでは有りません。
大木の根元には可愛らしい小さなお地蔵様は座っています。


菊の花地蔵を過ぎると、やっと傾斜も穏やかになり、紅葉の森を快適に登って行きます。
10分で
茶屋跡、更に20分で屋敷跡です。ここは元禄時代信越の国境論争があり
その舞台となった場所、現代の竹島といったところでしょうか、既得権で先に家を建てた
国のものといったところでしょう。不思議なことに、現在の県境も大網峠ではなく、
その先の角間池付近。その東側、蛙池からは未だに県境が確定していません。
インドーパキスタン国境のような現状が、現代日本にも、あるとは思いませんでした。
そんな信州−越後最前線の場所がこの屋敷跡です。


なんの変哲も無い緩やかなこの場所が、
大網峠。あの急坂を登ってきた
我々は少々拍子抜けしてしまいました。峠には道標が三つあるだけでした。
海抜は840m、290mの横川から550m登ってきました。道幅の広く休むには
よさそうですが、トイレもあるその先の角間池まで頑張りましょう。


角間池までの緩やかな下り坂では、左:鬼ヶ面山1591m、右:鋸岳1631mが望めます。


峠から10分ほどで角間池です。葛葉峠手前の国界橋で新潟に入った我々ですが、
すぐに姫川を渡り、再び長野に戻りましたが、ここでその長野ともお別れです。
甲州道中、下蔦木の感電ゲートで長野に迎え入れられてから162kmを歩いてきました。
森の中には似合わない
立派なトイレがありました。この先が県境です。


次の目標、白池まで15分の行程ですが、その途中で見えたのが初めての日本海
戸倉山の急斜面の向こうに、確かに白い砂浜と、船の影が見えたではないですか。
太平洋から22日目、やっと日本海が見えるところまで着ました。感慨深いものがあります。


白池を見下ろす場所に在ったのが、白池諏訪社石祠です。実はこの場所が
あの御柱祭のスタートとなる場所とは知りませんでした。それは御柱祭の前年に
行われる
式年薙鎌打ち神事です。諏訪大社大総代もこの麓の小倉明神社に
駆けつけ、御柱に見立てた大木に宮司が薙鎌を打ち込むという神事です。
丑年が小倉明神社、未年が境の宮諏訪社ということで、8月最終日曜日の
翌日に執り行われるということで、御柱祭ファンの我々としては、次回は是非・・・!


白池には、観光客の姿もちらほら、紅葉や雨飾山を写す湖面の素晴らしさなど、
確かに観光地なのかもしれませんが、どうやって来たのだろうと思ったら。
近くに駐車場があり車で来られるとのこと、苦しかった大網峠を越えてきたものだけの
風景と思っていた我々は、少々がっかりしてしまいました。確かにその景色は
素晴らしく、深田久弥によって日本百名山に選定された雨飾山が正面にそびえます。


白池の畔に有るのが、ボッカ宿跡です。平成6年に発掘調査が行われ、170年ぶりに
その全貌が明らかになりました。元禄13年(1700)の根知谷絵図には二軒のボッカ宿が
記されていましたが、文政7年(1824)12月17日朝、戸倉山からの大雪崩により全て
押し潰されてしまい、宿泊者15人中12人、家人12人中9人が即死と言う大惨事が
発生しました。それ以来ここにボッカ宿は再建されませんでした。峠の屋敷跡には
ボッカ宿もあったということから、安全な場所に変えて営業したのかもしれません。
牛の通わぬ冬期運搬はボッカに頼られていたので、雪の峠を越すために、必ず宿は
あったはずです。15分ほど下ると
ブナの大木の道標が見上げると、ファインダーに
入らないほどの梢を広げるブナがありました。皆さんは肉眼でどうぞ。


山口関所まで1.5kmの場所に在るのが日向茶屋跡です。付近の道標には
関所まで3.5kmと有りますが、1.5kmが正しいようです。茶屋跡も平成4年に
発掘調査され、間口2間半、奥行き4間の建物があったことが確認されました。
ボッカたちが大網峠を控えて、ここで気合を入れた様子が感じられます。
傍らには、ちょっと大き目の
カタツムリがいました。都会ではもう見られることが
無くなったカタツムリ、感慨深くシャッターを切りました。


これは大網峠の一本杉(大塞の神)、現在は隣にもう一本あるので二本杉かな、
雪の季節ボッカたちは山口の集落からこの一本杉を目印に上ってきたといいます。
雪が降れば道も隠れてしまい、大きな杉を頼りにしたのではないでしょうか。
2011年11月にTBS-BSで放映された塩の道にも、この杉が紹介されていました。
その根元には大日如来と思われる
石仏と、牛が水を飲むための石の鉢らしきものが
置かれています。杉からは山口の集落を見下ろすことができました。


標高差200mを一気に下って行くと、やがて舗装道路や建築物が現れます。
この建物は最初に現れたもので
山口簡易水道組合と表札がありました。
道路を横断すると
山口石碑群。村に災いが入ってこないように庚申塚があります。


塩の道道標が完備する中、下って行くと塩の道資料館への分岐が出てきます。
思わず、左へ進むその道へ入ろうとしますが、ここは真っ直ぐ進むましょう。
やがてこの写真の場所となり、奥に見える茅葺の資料館へ行くことができます。
資料館の前の道は車用で、塩の道ではありませんので注意して下さい。


資料館下を過ぎると山口の集落へと入ってゆきます。入口にあった大きな案内板には
松本街道(塩の道)の解説が、千国街道も新潟側からみると松本街道となります。
国境を越えた実感が湧きます。その先の
白池地蔵があります。ここには大雪崩ののとき
雪崩の雪で白池が溢れ出し、洪水がこの場所を襲ったことと、遭難者の供養のために
この地蔵を祀ったとあります。戒名には雪・白・流・災の4文字が刻まれています。
当初は湖畔にあったものをここに移転したようです。


集落のメインストリートに突き当たった場所が、山口関所跡です。戦国時代は上杉と
武田の戦略地。江戸に入ると通過する物品に運上税を徴収する場所となりました。
メインストリートを左へ200m程進んだら消火栓のある角を左へ進み、写真右の
小径へ入ってください。遠くにスキー場が見えたら政界です。


田んぼの中の砂利道を進んで行くと、そこはシーサイドバレースキー場
ゲレンデです。正面の建物が第一クワットリフト乗場、その前へと進みましょう。


右手にはスキー学校の建物が、その先左手が塩の道交流館歩荷茶屋です。
ここで蕎麦でもと思ったら、新そば祭りの真っ最中。2時間待ちと聞き、諦めました。


仕方なく、入ったのが向かいのセンターハウス。ここでラーメンで昼食となりました。
面白いのがトッピングで、好きなものを好きなだけのせてお値段一緒というのが
気に入りました。峠を無事越えたことにビールで乾杯しました。


塩の道は同じ敷地内にあるホテルホワイトクリフの前から下の道へ降りて左へ進みます。
道標を頼りに田んぼの中の道を進むとこんな広大な風景の中となりました。


山口⇔仁王堂の道標が角ごとに現れるので素直に従って進みます。
途中、エアコンの室外機が高い壁に取り付けられている家や、窓一面雪囲いの家など
冬が厳しいことを知らせてくれる、街並みを通過します。


直角に左折し、橋を渡り右折すると、なにやら畑で収穫している夫婦が、
聞いてみると
山芋の収穫だそうで、旅人が珍しいのか色々とお話を聞かせて
いただきました。右が別の農家に干してあった山芋です。


いよいよ県道に合流し、後を振り返ると、ハーフドームのような駒ケ岳
圧倒的なスケールで見送ってくれました。ここもいつか登ってみたい山です。


本来の塩の道は、右手の田んぼの中ですが、旧道が不明・不通のため
一直線に伸びた県道を進みます。根知川を渡る橋の入口が今回の終点。
時刻もちょうど良いので、今日はここからJR大糸線根知駅へ向かいます。


街道から15分で根知駅に到着。少し待つと、余裕で特急にて新宿へ帰れる列車が来ました。
松本の「蔵のむこう」で一杯やって最終の特急で新宿へ帰りました。