千国は街道の要衝の地、口留番所が置かれ街道の往来に睨みを効かせていました。
千国を過ぎると山道の連続、急坂を下れば南小谷です。再び登って虫尾を過ぎれば
今日のゴールである下里瀬(くだりせ)の集落へ下って行きます。





千国街道を見守る要衝にあるのが、この千國口留番所です。関所は江戸幕府が
設けたものですが、番所は諸藩によるもので、ここは松本藩の番所でした。
機能的には関所と同様ですが、幕府に遠慮して番所としました。ここを破っても
関所破りより刑は軽かったといいます。慶長年代に設けられ、明治二年に廃止される
まで二百六十年間に渡り、塩や海産物、穀類などの運上税の徴収や人改めを
行っていました。建物の柱は黒く太く、旅人に威圧感を与えるに十分です。


受付で料金300円を支払って番所の中へ入ると、いきなり番卒の人形が。
番役人は一人壇上に座し、旅人を直接吟味するのはこの二人の番卒でした。
南からの行旅荷物には大町の庄屋問屋より、北からのものは小谷七ヶ村の
庄屋が通行手形を発行しました。また他国からの輸入品は運上税をとりました。
我々は一人300円の運上税?であったが、当時は塩は塩で税を払っていました。
寛永十九年(1642)の覚書には以下のように書かれています。

    
千国関所色々運上覚

 一、塩一駄に付、塩大枡二升宛但京枡三升二合入
 一、石物(穀類)一石に付
京枡三升宛但何にても其色にて取
 一、
鱒一駄に付上銀一匁宛
 一、鮭一駄に付同一匁二分宛
 一、いか一駄に付同一匁二分宛
 一、さば一駄に付同八分宛
 一、鯛一駄に付同一匁二分宛
 一、ふくらげ(鰤の幼魚)一駄に付同八分宛
 一、いはし一駄に付同五分宛
 一、干たら一駄に付同一部宛
 一、鰤一駄に付同一匁宛
 一、志び(鮪)一駄に付同五分宛
 一、いりこ一駄に付同一匁宛


塩を製しない松本藩は、塩の飢饉を恐れ、米と同様に塩は現物で税を
取り立てました。塩を運んだボッカや牛方たちも給料は塩で、その塩を
米に変えて生活をしていたのです。



千国の庄資料館パンフレットより


番所の裏手に廻ると大きな建物があります。
それは、
千国の庄資料館で現在の駐車場の
位置にあった酒造りを営む家を移築しました。
1800年代中頃、この千国に大火があり、大半の
家は焼失してしまい、その後に建てられたもの
です。間口は十二間三尺、奥行きは六間一尺も
ある大きな建物で、この地方では珍しいものです。


ここへ立ち寄ったら、ウォーキングシューズを脱いで、是非中へ。
広い土間から一段上がった板の間に囲炉裏があり、更に一段上がった
今にも大きな囲炉裏があります。下の囲炉裏には
ひやまと呼ばれる
物を乾燥させるフレームが付いていますが、上の囲炉裏にはありません。
きっと上は主人や客人用で、下が下人や奉公人の囲炉裏だったのでしょう。
二階へあがると、その上の囲炉裏のある居間を取り囲む
回廊のように
部屋が配置され、内側の障子を開けると、下に居間が見える構造となっています。
これだけ大きな建物ですと、内部が暗くなりがちですが、うまく外光を取り入れ
居間など一階も明るくなるよう工夫された構造となっています。



一階の端には厩もあり、サラブレッドを見慣れた我々には奇妙に見える
巨大な馬の人形が今にも動き出しように立っています。また、牛方が牛を
曳いて
歩く模型も、面白く、何度もボタンをおして動かしてしまいました。


番所の隣には塩倉があります。ここには運上金として徴収した塩が
貯蔵されていました。塩倉は塩分の影響が大きいため釘を一本も
使わない構造で造られています。床下にはニガリを溜める枡もあります。
入口に戻る場所には
街道道中復元像があり、牛方と牛が休んでいます。


20分ほど見学し再び街道に戻ります。街道はこの場所で枡形となり
直角に北へ折れます。街道沿いの民家には
巨大な牛方のレリーフ
あり、現在も村人の誇りが高いことを感じることができます。


千国口バス停を過ぎると道は緩やかな下りになり、眼下に千国駅方面が
望めます。なおも歩道を軽快に下ると、左に立派な建物、これは
小谷小学校
素晴らしいデザインの校舎で、こんな学校で学べる小谷村の子供達が
羨ましくなります。木曽路を歩いたときも贄川小学校・楢川小学校と
洒落た校舎の学校がありましたが、どうしてこう山村には素敵な学校が
あるのでしょうか。そんな校門を左目にみて、その先の小径を入るのが
千国街道です。入口に
千国街道の地図があるので迷いません。
小径に入って行くと、諏訪神社の境内。まずは
トイレによってと・・・。


諏訪神社は、森の中にひっそりとたたずんでいます。通常舞台のある位置には
土俵がありました。長野県は相撲が人気なのか、方々で見かけることができます。
さて、この先どっちへ進んでいいのやら。よく見ると
社殿の右側に塩の道道標が
有りました。次は源長寺の道標も現れ、小径を進んでゆきます。


またまた洒落た建物出現。今度は保育園のようです。まぁ小谷村は財源豊か
なのでしょう。感心しました。車道に出たところは、もう
源長寺の境内で、
石の観音像が一列に並んでいます。その先の石段を登ったところが本堂で
屋根の形が珍しいので尋ねてみて下さい。


左の石段が源長寺で、我々はこの車道を真っ直ぐ登ってしまいました。
段々急になり、最後は行き止まり、畑で働いていたオヤジさんに聞くと、
この石段の前から、
右の小径へ降りるのが千国街道と教わり、戻って来ました。
標識がないので、ここは見落としてしまいそうな道です。
注意して下さい


今度は、やはり立派な小谷中学校の裏の土手を進むコースとなります。
校庭を見下ろして進むと、林の中の道となり、開けた場所にでると
黒沢川を渡る小さな橋が出てきました。ここでは山陰で分からないのですが
この川の上流は、白馬乗鞍スキー場のゲレンデです。


黒沢川から大別当集落までの道は、ご覧の通り展望にも恵まれ
平坦で
素晴らしい田園風景の中を行く道となります。田んぼの
脇には木でできたベンチもあり、一休みするには絶好の場所です。


急坂を一登りすると青い屋根の農家が出てきます。ここが大別当の集落
ここで街道は右折して、すぐに左折(写真右)し急な坂を集落の中へ進みます。


大別当石仏群には庚申塔と観音様が少々。左の沢を見下ろすと
オヤジさんが何やら作業中。そうやら水を引く塩ビ管を枡に
接続しようと奮闘していました。水の豊富な集落です。


やっと急坂が終わる場所で道は二つに別れます。ありがたいことに
右の平坦な道が千国街道です。この先で、標識に誘われ畑の脇の
小径へと入ってゆきます。
小土山方面→に従って森の中へ。


眼下に水車小屋を見ながら杉林の中を下って行きます。


森の中に奇妙な構造物が出てきました。この辺りには何箇所もこのような
ものがあります。これは
地すべり対策として地下水を排水する集水井です。
右のものはかなり古く、もう使われなくなったもので、左は建設中の井戸です。
糸魚川―静岡構造線(フォッサマグナ)によって、ここで西日本と東日本が
分かれています。昔からこの辺りは、姫川の氾濫や洪水、稗田山や風吹岳の
大規模な崩落、清水山風張山の大きな地すべりと大きな災害が頻発しました。
これに対処するため県は、姫川砂防事務所を昭和17年に設置します。
昭和46年7月16日、大規模な地すべりが発生し、すぐ下を流れる姫川がせき止
められて大惨事となりました。そのため、砂防事務所は、この集水井を造り
再び、大地すべりが起こらぬよう対処しているというわけです。
この二つの構造物には、そんな村民の願いが込められていました。
私も、同じものを東海道のさった峠で見たので、分かりました。


小土山集落の入口には、小土山石仏群が並んでいます。
この中には、珍しい線画の鍾馗が描かれている石仏があります。


九十九折の坂を下る手前に、水田に水車のある農村風景が広がりました。
ここは
南雨中という集落で、南小谷駅の真上にある集落です。国道や駅より
100m以上高い位置にある集落なので、とても静かなところです。


九十九折を下って、小谷村役場のある南小谷の町へ向かいます。
思わぬところで小径へと入る千国街道ですが、道標がしっかりしているので
迷うことなく進めます。


最後の急坂は三夜坂と呼ばれ、二十三夜塔や石仏が点在します。
ボッカや牛方には辛い坂で、行き倒れの旅人を弔うために石仏が建てられました。


一気に標高差50mを下ってくると、車道に出るので、横断し真っ直ぐ進む
小径に入ります。そして国道148号線へと降りて行きましょう。


出てきたところが、パン工房一輪の華の店先。国道の向かいにはコンビにみなとや
があります。少し進むと
おたり名産館と小谷村郷土館がありました。
この茅葺の建物は、昭和48年まで茅葺の村役場として使われた珍しい建物です。
現在16時20分、あと10分で閉館してしまうため、恐竜の足跡化石は見ないで進みます。


郵便局と交番の手前、消火栓のあるY字路を左へと入って行きます。
道は再び山中となり、和平の集落を目指します。途中にあったのが
イシバンバという場所、石馬場と書くのか?解説が無く分かりません。


この辺りには燕岩という、千国街道が、三坂峠コースと大網峠コースに分かれる
目印の岩があることになっていますが、街道上に見当たりません。今は国道の
そばにあるのでしょうか。とにかく小径を和平めざし進みます。


和平の集落が見えてきました。十牛之○と書かれた杭の脇を進み直角に
右に折れ、再び車道へ出ます。右へ降りれば宮本橋で姫川を渡り三坂峠です。


集落の中は狭い道で、軒下をかすめるように進みます。
おじいさんが不思議そうな顔をして私達を見送ってくれました。
この付近の方たちは大人でも子供でも、しっかり挨拶してくれます。


国道から上がってきて虫尾から白馬コルチナ国際スキー場へと向かう道に
出ます。これを左折して、九十九折をショートカットして登れば
虫尾の集落です。


本日最後の急坂を登ると、頂上に虫尾阿弥陀堂が迎えてくれます。
最高のロケーションの中に建つ立派な屋根を持ったお堂です。
お堂の左側から急坂を下り、下里瀬へと向かいます。


標高差70mを、林の中のZ坂で一気に下ります。途中木立の合間から
下里瀬のメインストリートが一直線に見えます。


下里瀬の北にそびえる特徴的な山は立山(938.6m)でまるでピラミッドのようです。
夜、頂上にUFOがやってきそうな山でしょう。土石流危険渓流に沿って町へ降ります。


16時57分、長かった一日が終わり、やっとの思いでここ
下里瀬(くだりせ)へ到着です。
今夜は、下里瀬温泉
サンテインおたりという旅館に泊まって疲れを癒すことにしましょう。