松沢は、栂池高原の麓、姫川に注ぐ松沢に沿って集まった集落です。
ここからは千国街道のメインルートと言ってもよい道で、前山の百体観音
から牛方宿を見て、親坂を下り千国の番所へと続きます。





松沢を渡れば、松沢の集落です。出迎えてくれたのは左の木々の下にある
松沢薬師堂です。隣には庚申塔なのど石仏群もあります。ここはやはり
スキーシーズンに活気を帯びる町で、今はとても静かな佇まい。一番右にある
白い建物が、Hotel Sunny Valley、正面はかねます館、その左奥に松沢荘と
スキーの宿が軒を連ねています。ゲレンデも近いのでボクたちと来ましょう。


集落の中を歩くと、目の前にリフト乗り場が。鐘の鳴る丘第3ロマンスリフト
書いてあります。このリフトは鐘の鳴る丘ゲレンデの一番南端にあるリフトで、
6本のリフトの乗り継ぐとゲレンデで一番高い栂の森ゲレンデへ行けます。
そう言えば昔、栂の森からスキーを担いで天狗原まで登り、山の反対側の
蓮華温泉まで滑り、更に大糸線の平岩駅まで滑ったことが2度ありました。
今では、そんな体力が無く、ちょっと情けない気分で、千国街道を進みます。
車道から離れて一気に松沢口に登ろうとしたら、
通行止めの看板。通常
この手の通行止めでも歩いて行けば何とかなるものですが、はっきり塩の道
と書いてあるではありませんか。ちょっと無理かなと車道を進みます。


車道を回って行くと200mほど塩の道より長くなりますが仕方ありません。
リゾートホテル栂池の向こうには、白樺ゲレンデの上に
馬の背コースが見えます。
その奥の白い峰が天狗原から乗鞍岳です。まだまだ滑れそうな程の雪があります。
なおも車道を行くと右手に通行止めの場所が見えました。切通しにして
新しい道を造っているので、完全に塩の道は
分断されていました。道路完成後
には緑で描いたような横断歩道橋ができるのでしょうか。


松沢から登って来るとこの内川スポーツで街道はT字路に突き当たります。
千国街道は、ここで右に曲がり、すぐ左折して百体観音へ向かいますが、
もうすぐ13時、今日の昼食を予定していた
手打ちそばのふる里という店へ
向かうために我々はひとまず左折します。


しかし、蕎麦屋まで行ってみたら、今日に限って休み。さてどうしようと、付近を
探索しましたが、食事を提供してくれる店がありません。ホテルのレストランも
シーズンオフのためオープンしておらず、2階でピザをと思ったらここも閉店。
仕方なく、その下のお土産店の
ろまんに飛び込みました。カップ麺を売っていた
ので女将さんに相談したら、快くお
湯を沸かしてくれました。おまけに古代米
作ったおにぎりまでいただき、大感激。店の前の鉄塔の下で、青空レストラン
それでも、蕎麦に勝る最高の昼食となりました。本当に
有難うございました


腹いっぱい、元気いっぱいで、先ほどのT字路まで戻り、街道歩きの
再開です。旧道への入り口(写真左)は、すぐ分かります。両側に
塩の道・千国街道の道標が建っています。中へと進むと地元の
ジャンプ台があります。その下には、まだ
大量の雪が残っていました。
日影でないこの場所でよく残ったものと感心します。


振り返れば栂池スキー場の、鐘の鳴る丘ゲレンデがよく見えます。
その向こうの雲の下には、白馬岳が見えるはずなのですが・・・・。


入口から3分。千国街道で一番人気の前山百体観音に来ました。
観音様の頭の上には番号があり、現在は80体ほどになってしまったといいます。
街道に向かって立っていることから、きっとここを旅する人を見守っているのでしょう。



 史跡 前山百体観音

 
 この百体観音は、西国三十三番・秩父三十四番・坂東三十三番の百体であった
 が長い年月の間に八十余体のみとなってしまった。
  しかし、これだけ多くの観音像が一個所に集められた所は村内では他にない。
  前方に建てられている弘法像の台座には安政五(1858)年の銘があるが、百体
 観音像そのものの造立年代はさだかではない。いずれも伊那高遠から招かれた
 石工の手になったものということで、その作風も優れている。
  百体観音は、百番霊場・札所になぞらえて百体の観音像を造立供養したもので
 あり、この造立にあたっては、往時の三十余の集落名と百四十人近い願主の名前
 が見られ、現在の南小谷地区のみならず、中土・北小谷地区、さらには遠く借馬
 大町の人まで加わっていることがわかり、往時の人々の信仰心の深さがうかがえる。

                平成元年1月十四日指定   小谷村教育委員会



百体観音の向かいには、水芭蕉の池があります。形状からするとこの池は
昔、田んぼだったものを、観光客のために水芭蕉の池にしたものと思われます。
千国街道はこの時期、いたるところで水芭蕉を見ることができます。


水芭蕉と同様、このゼンマイもいたるところで発見できます。あまり多くて
地元の人も採らないのでしょうか。前山の麓を廻る千国街道は20分ほどで
車道に出ますが、自然の中、平坦な道をのんびりと歩けます。
百体観音にいた人たちも、次の牛方宿には車で向かったのか誰もいません。


左側の森が開けて新しい建物が現れました。この建物はペンション塩の道
ガラス工房もやっているようです。入り口はもちろん車道側なのですが、名前も
塩の道なので、是非本物の千国街道側にも入口が欲しいものです。
民家が出てきたら森の中の道も終わり県道433に合流します。


前方に見えてきた茅葺の家は牛方宿で、その向こうには右に東山、左奥には
雨飾山と妙高焼山を結ぶ稜線上にある
金山が望めます。山の向こうはもう糸魚川市です。


名も無い観音さまが一人佇まれているところを過ぎると休処の沓掛茶屋です。
ここで千国街道は、山道から車道へと出て行きます。





   県宝 千國家住宅

  
ここ沓掛の牛方宿(千国正幸家旧宅)は江戸時代の千国街道沿いの
 輸送に 携わった牛方やボッカが寝泊りした建物である。
 間口六間、奥行十間の茅葺の寄棟づくりで、建築年代は1700年代末か
 ら1800年代初頭と考えられ、何回かの改築が行われたが、大きな変化
 はなかった。
  元治元年(1864)の家相図(建物周辺配置を含む)が残されており、これ
 によると当初の間取りは座敷の入口に畳敷きの玄関があること、土間が
 かなり広いこと等が特徴的で、母屋の西側に大きな牛小屋があり、往時
 の往来の多さを物語っている。
  街道に面したウマヤロから土間に入ると右手に中二階があり、牛方は
 もっぱらここに泊まり、下方の牛馬の様子を見ながら寝たといわれている。
  牛方宿としては旧街道沿いに現存する唯一の建物である。

             平成二十年四月二十日   長野県教育委員会
                               小谷村教育委員会




牛方宿パンフレットより


千国街道は山坂が多く、平地では馬のほうが速くとも、山道では蹄が割れて踏ん張りの効く
牛が利用されていたのですが、さらに馬では、時々出没する狼や野犬に襲われたとき、逃げ
出してしまうのですが、牛は立ち向かってゆく頼もしさがあったと言います。また、前述の
ボッカとは、荷物を背負って運ぶ人たちのことで、雪が積もる半年間は、この人たちが
活躍しました。一人塩一俵背負って数人のパーティで雪山を越えたのです。街道沿いの
百姓が農閑期に収入を得る大切な仕事でした。ボッカと言えば、山岳部で40kgの缶ジュース
を担いで、5月〜6月の週末のたびに丹沢のバカ尾根を塔の岳まで往復した訓練を思い
出します。その訓練のこともボッカ訓練と呼んでいました。ボッカで有名なのは、新田次郎の
直木賞作品『強力伝』です。白馬山頂に150kgの石の案内板を担ぎ上げたボッカの話でした。
話がそれてしまいましたが、そんなボッカや牛方たちが目に浮かぶような雰囲気です。


この牛方宿は平成九年に村の有形文化財となり、村が買い受けて整備復元事業を
始め、平成十六年春より資料館として開館しました。かつては千国街道沿いに
何軒もあった牛方宿ですが、明治二十年頃別に新しい国道ができると、街道は
その役目を終え牛方宿も消えていきました。唯一この建物だけが奇跡的に残りました。
囲炉裏のある茶の間の隅には、機織が美しい障子と一つになっていました。


街道では手前にあるのが土蔵で、今は塩の道ギャラリーとなっています。
内部に入ると柱がむき出しで、その間隔の狭さは泥棒除けとの説明があります。


ギャラリー展示物の大半は塩の道の写真ですが、目に留まったのはこの版画。
武田光弘さんという昭和18年小谷村で生まれた版画家の作品です。彼は元
美術教師で現在は安曇野市穂高在住で信州版画協会会長を務めています。
シンプルの中にも力が漲る作品で、忍耐強そうな小谷の人々が表現されています。


牛方宿を出ると県道から離れ、標高769mから617mの千国へ一気に下ります。
その降り口がこの
沓掛石仏群のある場所です。そこには、こんな文が書いてあります。

ここは沓掛というところです。昔から上方、下方の二戸のみの集落で、
子供達はこの親坂を歩いて南小谷の学校へ通い、冬は大変でした。

我々の足で下りに30分かかっています。登りだったら1時間はかかるでしょう。
それを冬で、豪雪の中を毎日上り下りはとんでもないことです。
東海道箱根の畑宿でも湯本の小学校へ石畳の道を通う小学生の
話を紹介しましたが、それ以上の過酷な通学路ですね。


ここがその親坂です。春は水の溢れる素晴らしい道なのですが・・・。


ここは弘法の清水という水飲み場です。飲みやすいように石舟が設置されて
いるのですが、それは2段になっており、上の石舟は牛方用で、下の石舟が
牛さん用だそうです。牛を大切にしていた気持ちが伝わります。石舟の上には
安山岩で作られた弘法大師像が旅人をやさしく見守っています。


左がその弘法大師像。右は清水のすぐしたにある錦岩です。
正体は不明ですが、どうやら雨で濡れると色が変化するようです。


親坂も段々急傾斜となり川へと下って行きますが、その急な場所に
牛つなぎ石がありました。中央の蔦の輪が巻かれた石がそうです。
写真にカーソルを合わせると拡大します。


九十九折の道をガンガン下って行くと、やがて親坂も終わり、親沢を
渡ります。ここには
馬頭観音の石仏群があり、手水場と書かれたトイレも
有りました。休憩には良い場所。沢には鯉のぼりが元気に泳いでいます。


コンクリート製の橋を渡れば県道に合流します。県道を2分ほど歩き
再び右下へ降りる旧道へと入って行きましょう。


県道と旧道の分岐には街道の方を向いて千国街道の石碑が建っています。
その隣には庚申塔と馬頭観音、2体の観音さまが建っています。


5分足らずで旧道を抜けますが、その中にらんぷ堂という不思議なお店がありました。
どうやら藍染の小物を売る店のようです。その先で再び県道に出ます。
ここからが
千国の集落になります。