JR大糸線神城駅周辺は、今でも飯田といいます。駅の山側には五竜とおみ
スキー場がゴールデンウィークで閉鎖しましたが、いまだに雪は頂を白く
覆っていました。1年ぶりの塩の道になってしまいましたが、この辺りの残雪残る
季節は最高です。



1年ぶりに帰ってきた神城駅からの白馬連峰です。昨年より1週間遅いせいか
山々の雪が若干少ない。しかし萌える緑や、咲きほこる花々は昨年と同じです。
今回も雪と緑と花の塩の道を歩いて行きます。


駅から125mで国道148号線で、この国道を北上します。160m進むと
右側に
旅館さすかがあるので、その先の小径を右に入って、すぐ左へ
曲がると旧道になります。この道は300mほどで再び国道へ出てしまい
ますが、千国街道に間違いありません。中ほどには
飯田北村道祖神
あり、隣には説明板も設置されています。ここでは、道祖神は三九郎、
せいの神、おんべ、おんべんまき、などと呼ばれ五穀豊穣、旅の安全、
夫婦和合、子宝に恵まれるなど性の神としても村人の信仰を集めたとあります。


国道に合流する場所には中部北陸自然歩道(中小谷まで20.7km)の標柱があり、
ここにも、ここで国道を横断すると書いてあります。それに従って国道を渡ると
飯田北原庚申塚石仏群があり、明治20年に開通した国道により千国街道が
分断された様子が図で解説されています。また千国街道を流れていった荷に
ついての解説もあり、珍しい案内板でした。


左が飯田北原庚申塚石仏群になります。庚申とは、甲州道中でも説明しましたが、
庚申の夜に出てきて、その人の罪状などを帝釈天に告げ口する、三尸(さんし)という
虫を押えるため、夜を徹して番をしなければならないという、中国の道教思想から
始まっています。ここにある庚申塔は、元禄6年、大正9年、昭和55年の3基で、共に
60年毎やってくる庚申の年に建てられたものです、次は2040年ですが、きっと村人は
新しい庚申塔を建てると思います。他にも大乗妙典六十六部供養塔や80基におよぶ
不動明王・馬頭観音像があります。石仏群の先、写真右のように旧道へと入りましょう。


路傍には石仏が多く、ここには嘉永6年のものがありました。嘉永6年といえば
ペリー提督率いる東インド艦隊が浦賀沖に現れた1853年なので158年前のもの、
その先には珍しい頭の形をした
僧侶の石像がありました。この像を皮切りに同様な
石仏が数体出現するのですが、何故頭部がこのようなのか説明はありません。


左を望めば、白馬五竜スキー場です。中央最上部の雪の多いバーンが
グランプリコースで、雪のなくなったチャンピオンコース、下部のとおみゲレンデ
と続きます。昔はペンション安曇野に泊まり良く通ったゲレンデですが、
しばらく足が遠のいてしまいました。ボクたちがもう少し上手になったら来ましょう。


大糸線の飯森旧道踏切の手前には飯森南村道祖神があります。
この道祖神は文化十年(1813)の建立です。踏切を渡ると飯田から
飯森へと集落が変わります。左に現れたのは
飯森十王堂です。


十王堂は、冥土にいる閻魔王など十人の王を祀ったお堂で、村人が亡くなると
無事十王の裁きを終え極楽浄土へ行けるようこのお堂で念仏講が行われていました。
中には大日如来らしき仏様が安置されているだけで十王の姿は見えません。
また、右の壁には
昭和15年に再建された当時の写真が飾られていました。
上の現代の写真と比べると面白いと思い、上下に重ねてみました。


飯森の集落を抜けると視界は開け、左手に五竜岳・唐松岳・白馬三山と
大パノラマが展開します。両側は田植えを待つ水田で、その先に小さな
森が見えてきました。その森には飯森神社があり、石仏群が舞っていました。


飯森神社は古く、創建は南北朝時代の永徳年間と言われています。
祭神は水神の「みずはのうのみこと」で、雨乞いの社として旱魃が起こると
祈祷者たちが、八大竜王の旗を持ち、八方尾根の上にある奥の院へ
向かいました。そこには竜神が棲む水神池があると書いてありますが
きっと八方池のことではないかと思います。境内には、元文・安永・寛政
安政の庚申塔ほか二十三夜塔や馬頭観音が並んでいます。


   
               
 塩の道
            千国街道

 千国街道は松本城下から糸魚川まで約百二十キロの間をいう。
 この街道は明治二十年前後の新道の開通によってにわかに
 衰微したが、それまでは北国街道脇往還として南北を結び、
 塩・麻などを主とする海陸物資交易の要路として栄えた。
 沿道の村々は、旅籠屋・ボッカ・馬方を営むものが多く街道が
 果たして来た役割は非常に大きかった。
 四ヶ庄(白馬村)から小谷を経て越後への道は、険路と豪雪の
 ために難渋を極め、幾多の悲話が語り伝えられている。
 戦国時代上杉謙信が武田信玄に対して敵にへ塩を送ったという
 美談で知られる塩の道もこの街道であった。傍の「右ゑちご
 左やま道」の道標は、古くからこの地に伝わるものである。




神社を過ぎるとHakuba47スキー場のある地蔵の頭から延びた
尾根越しに八方尾根が見えてきました。あの上に水神ノ池の

八方池
があります。右の写真が、パパが昔撮った八方池です。
このときは、八方尾根をケーブルで登って、唐松岳へ。その後、
五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳と縦走し、種池小屋から扇沢へ下り
ました。もう13年も前の話になります。


やがて千国街道は県道33号白馬美麻線、通称オリンピック道路に合流します。
長野オリンピックのとき、川中島に有った選手村と白馬の会場を結ぶメインルートでした。
合流点には飯森北の原の
秋葉さまがあります。これは文政二年、静岡の秋葉山修験者が
この地で亡くなりそれを弔って建てたもので、小さいけどかなりの風格があり見ものです。


オリンピック道路になってしまった千国街道を1000m弱歩くのですが、途中に
不思議な交差点があります。交差点名は
名鉄です。何故かというと、この信号の
左へ入って行くと、600戸におよぶ名鉄白馬別荘地があるためです。
中古の別荘ならは1300万円〜1800万円で手に入れることができそうです。
平川を渡れば最大の別荘地みそら野へと入って活きます。


平川の上流は大黒岳、正面に八方尾根が雪をかぶり、左の森が先ほどの
名鉄別荘地、右の森がみそら野別荘地となります。平川は姫川へと注ぎ、
塩の道に沿って日本海へと下って行きます。もう日本海はすぐそこです。


平川を渡ると右に大きな駐車場があり、道路沿いに大きなトイレがありました。
綺麗なトイレですので、ここは是非寄りたいものです。
みそら野の交差点を過ぎたら
写真右の場所から右手へ延びる
旧道へと入ってゆきます。


さすがは旧道、入るとすぐに出てきたのは、空峠庚申塚石仏群です。
ここには5基の庚申塔のほか、珍しい
双体抱肩道祖神がありました。
ここの規模は大きく全部で50体ほどの石仏が並んでいます。部落に入って
行くと、右側に
珍しい消火栓を発見。通常の消火栓の3倍の高さがあります。
これはきっと雪が消火栓の2倍積もるということなのでしょう。


右手奥にあるMaxValuというスーパーマーケット(東海道の新蒲原駅前で
ボクたちが車を置いたスーパーと同じです)を過ぎると、路傍に大きな
お地蔵様が一人座っておりました。古き良き街道の面影を残した
素晴らしい道です。


近づいて来た八方尾根の方に目をやると、巨大なジャンプ台が見え隠れします。
もちろん1998年
長野オリンピックで原田雅彦・舟木和喜・岡部孝信・斉藤浩哉が
ラージヒルを飛び、団体で金メダルを取ったジャンプ台です。今でも原田選手の
「舟木〜〜〜〜ッ」と言う声が聞こえてきそうです。
しかしそばで見なくとも
その高さが分かり、ここをどうして人間が飛べるのか感心してしまいました。


小さな大楢川を渡ると、右に薬師堂のある広場が出てきました。
ここにはなんと足湯があるではないですか。
薬師の湯と名付けられた
その温泉は、温度も良く、思わず靴を脱いで入りたくなってしまいます。
しかし山屋の我々は、途中で足を可愛がってしまうと、後でどうなるか
知っているので、決してゴールするまでは足だけ可愛がりません。


仕方がないので、手だけ温泉に入ってもらうことにしました。
この薬師堂のある小さな交差点は、日本橋から300km地点です。
甲州道中〜中山道〜五千石街道〜千国街道と歩いてとうとう300km
歩きました。300kmといえば、中山道では木曽路の須原宿、東海道では
二川宿の先、岩屋観音付近になります。


次の大きな交差点は、右へ下ればJR大糸線白馬駅、左へ登れば八方尾根
スキー場になります。450m7分ほどで駅前に出られます。通りを横切り2分程進むと、
右側に巨大な駐車場が広がります。ここは
ハピアA-COOP白馬店。都会では
考えられないような駐車場です。


白馬村役場の裏、木流川を渡ると、また大展望が開け、八方尾根スキー場の
リーゼンスラロームが真正面に見えてきました。その上の雪がついた兎平ゲレンデは
まだ滑れそうです。一番上から一番下までノンストップで滑れたのは、もう20年前です
リーゼンとは巨大という意味で、終戦直後、オーストリアで行われていた誰でも
自由に参加できるダウンヒルレール・カンダハーのような権威あるローカル大会を
目指した村人の努力により始まったレースで、その会場がこのリーゼンスラロームコース
です。歴史の全貌を知りたい方は、こちらへ


左側の神社は、平川神社で白馬村の産土神です。もともとこの地は平川といい
大正時代に四ッ谷になり昭和29年に白馬になりました。白馬(はくば)はもちろん
白馬岳(しろうまだけ)からきているのですが、元は代馬岳だったのを、大正2年
陸地測量部が白馬と表記したのが始まりです。もっとも千国街道のころは西岳と
呼ばれ、越後からは大蓮華岳と呼ばれていました。エベレストとチョモランマみたいな
ものですね。従って我々山屋はしろうま岳と呼び、下手すると白馬駅さえ
信濃四ッ谷駅と呼んでしまいます。今の山ガールには分からないだろうなぁ。
神社を過ぎると
白馬北小学校と白馬高校が並んでいます。校庭を覗くとなんと
ジャンプ台があるではないですか、しかも高校ではなく小学校にですよ。


白馬高校を抜けると松川が近づき、広大な景色が広がります。そこにポツンと
あったのは、千国街道の標柱と
民話”雪女”の一節です。何となく良い風景です。
雪女の一説は白馬南小学校まえにあったものと同じ内容なので、そちらを参照下さい。


松川はあの有名な白馬大雪渓から流れ出た水を日本海へ流します。
この辺りで横切った川では一番大きな川です。天気は良かったのですが
あいにく白馬三山には雲がかかり、雄大な山々は見えませんでした。
しかし、この松川の看板を見て気がついたのですが、白馬村は村の中に
町があるのです。
白馬村白馬町がそうで、9000人ほどの人口で白馬町には
900人ほどが住んでいます。白馬村の行政区をみると、みそら野とか飯森
深空といったように町がついた区はなく、唯一白馬町だけに町が付いています。
そもそも昭和31年、神城村と北城村が合併して白馬村になったのですが、
白馬町はどのような経緯で生まれたのでしょうか。とにかく、旧道は松川で
国道と合流し松川橋を渡って10分ほどは国道歩きとなります。


国道沿いには藤森酒店をはじめ、白馬塩の道温泉(写真左)、不思議なサンタクロース館、
お食事処松ノ木、お土産店などが並んでいますが、地図にあったコンビには閉店していました。
右を見ると、
信濃森上駅へ向かう1両編成の大糸線が走っていきます。


ここ新田・森上交差点で国道歩きも終了です。右前方には信濃森上駅
見えますが、歩くとぐるりと廻って反対側へ500mほど距離があります。
千国街道は、この交差点を渡ったらそのまま細い道を直進し、
新田の集落へ
入ってゆきます。左側に綺麗なトイレの建物があるので、寄って行くと良いでしょう。