佐野から飯田は旧道が分かり辛いと思っていましたが、
道標が完備しており、迷うことなく進めました。



峠を下って飛び出したところは、白馬さのさかスキー場
ゲレンデはカタクリの花が咲き乱れています。


クアッドリフトの下をくぐり、ゲレンデ下部へと入ってゆきます。正面には
ゲレンデを見上げる
レストランが、山菜取りをしていた親子が降りてきました。


ちょっと急なゲレンデに居たのは、ニホンカモシカ。芽吹いた草を食べにゲレンデに
やってきたようです。かなり上部にいたので、デジカメではこの程度。


FREE  STYLE  SNOW  RESORTと書かれた大きな看板が目立ちます。
塩の道は、踏切を渡って左へと進みます。カモシカを見た親子は興奮気味。


レストハウスを後に、踏切を渡って進むと、右下には国道に面した
大きな駐車場があります。スキーを担いで、ここを登って来るのは大変そうです。


駐車場の脇には、雪解け水がガンガン流れる小川が、左には
二十三夜塔と庚申塚に挟まれた
お堂がありました。


道はすぐに二手に別れます。右へ下ると国道、塩の道は左へと進みます。


3分ほど進むと左に東徳寺が見えてきます。門前には大きな顕彰碑が目立ちます。
この寺は、高野山金剛峰寺の末寺で、長い歴史があったが、戦後住職がいなくなり
荒れ果ててしまった。しかし、最近貴重な文化財と言うことが分かり、村人達が
保護に努めています。明治には、ここの
佐野学校が置かれ、四ヶ庄地方における
学問発祥の地となりました。顕彰碑は学校開設に努力した佐東明空師の書です。


右から国道からの道が合流する場所に立派なお堂があります。この裏には
大き目の観世音菩薩の石像や小さな石仏がたくさん並んでいます。


左は明治期の石仏で祈一家強壮とあることから、何か悲劇にでも見舞われた
一家の供養塔なのかもしれません。お堂の正面には
道祖神と大黒様があります。
この道祖神(右側)は寛政三年(1791年)の作で、
双体神祝言像と呼ばれています。
道祖神は、江戸期に流行った庶民信仰ですが、戦後は石仏賛歌の中で
アイドル的存在となり親しまれてきました。白馬地方には現存するものが多く
50体ほどが路傍に佇んでいます。道祖神の祀りは、三九郎、せいの神、おんべ
おんべんまき、などと呼ばれ五穀豊穣や旅の安全祈願、また夫婦和合や
子宝に恵まれるなど、性をめぐる神として村人の信仰を集めてきました。


小さな交差点の角にも塩の道の道標があります。左へ進むと、大糸線の
南神城駅で、山懐の森の中にひっそりとその駅はありました。


道はまたしても、T字路になってしまいました。右へ行くと国道、
左は南神城駅、真っ直ぐ
森の中へ進む道があり、これが塩の道です。
入口左に道標があるので、安心して進むことができました。


森の小径は250m、中ほどに小川があり、洒落た木の橋でわたります。


森の出口には多くの道標、そして庚申塚があります。この庚申塚は、沢渡南原庚申塚です。
庚申塔は村の出入り口にあって、悪魔や疫病から村を守る守護神でしたが、元々は
人間の体内に居て、庚申の夜になると出てきて、人の罪業を帝釈天に告げ口する三尸という
虫を抑えるため徹夜で番をするという中国から伝わった信仰です。庚申塔は60年に1度
回ってくる庚申の年に建てられるもので、ここには建立年不明の1基と、享保9年、万延元年、
大正九年の庚申塚があります。


白馬三洋加工紙工場の前を過ぎると、古い民家が並びます。この地方の土蔵
ちょっと風変わりで、他の地方では見られなかった形をしています。
土蔵の屋根から真っ直ぐ柱を降ろし、土蔵を囲むように周囲に柱があります。
そこに木材などが立てかけられていましたが、秋になると稲をかけるのかも知れません。


石仏や道祖神を左右に見ながら進むと、左に民話雪女が書かれた板がありました。
この地方が名高い民話の発祥の地とのこと、原文が書かれているのも面白いので
ご紹介しましょう。


 民話 
”雪女”

  むかし、むかし茂作と箕吉親子の猟師は、初雪が来るのを待ちかね
 たように岳山へ猟に出かけました。カモシカを追っている中に、急に
 あたりが暗くなり大吹雪となりました。二人は山小屋へ逃げ込み、た
 き火をしながら体を暖めましたが、夜になっても嵐はいっこうに止み
 ません。
  茂作は眠ってしまいましたが、箕吉はなかなか寝つかれません。そ
 のとき「箕吉さん、箕吉さん」と娘の呼び声がしました。娘は箕吉に、
 白い息を吹きかけながら細い声で「おまえさんをずっと前から知って
 いました。好きでした。山がどんなに荒れようと、私はおまえさんを守
 ります。でも里に帰ったら、わたしのことはだれにも言わないでください。
 きっとですよ。」そう言って娘は、吹雪の中に消えました。
  箕吉は、それ以来猟をやめてしまいました。そうして、1年がたちました。
 ある吹雪の晩、箕吉は夜なべ仕事にわらじを作っていました。すると
 「とん、とん」と戸を叩く音がしたので、出て見ると娘が「旅のものです、
 泊めて下さい。」と頼んでいます。
  娘の名を小雪と言いました。二人は、パチパチと燃えるいろりのはたで
 話をしました。吹雪は幾日も続き、小雪はとうとう箕吉と夫婦になりました。
 子供も生まれ、評判の働きものでした。
  ある吹雪の晩のことでした。箕吉は、針仕事をしていた小雪に、岳山で
 娘に会った話をしました。その時でした。「おまえさん、なんてことを、とう 
 とう約束を破って・・・。子供たちを頼みます。さようなら。」小雪はそう言うと
 風のように姿を消してしまいました。「小雪!小雪!」。と叫ぶ箕吉の声
 も、荒れ狂う吹雪の中に、かき消されてしまうばかりでした。


隣は
沢渡北原庚申塚石仏群です。ここには宝永元年二基、万延元年、
大正9年の4基と大乗妙典廻国供養、勢至大菩薩、一切功徳、大日如来
馬頭観音など多数の石仏が見られます。沢渡集落を南北で守ります。


石仏群の先で塩の道は、白馬南小学校へ突き当たってしまいました。
当然当時、小学校はなかったので直進していた塩の道も、ここでは
学校を大きく左に迂回して進むことになります。


学校裏を線路に向かって進むと、道の両側は残雪に囲まれ、その中に
フキノトウがたくさん芽吹いていました。採って行きたいところですが、
今夜もホテル泊まり、諦めて進みます。線路の土手で右へ曲がると
今度は大きな
石碑があります。


学校と線路にはさまれた狭い土手の上を進みます。


左に踏切が見えたら、右へ坂道を下って国道を目指しましょう。


国道148号線に出ました。頭上には道の駅白馬600mの案内板が、
その先の
飯田と書かれた標識の角を左の小径へ入るのが塩の道です。


塩の道は再び線路に近づきながら進みます。珍しく列車がやってきました。


このまま線路沿いの小径を抜けると思ったら、工事中の場所へ。
なにやら蛇篭を使って、川の流れを変えて公園でも造るような雰囲気です。
再び線路沿いの道になり、田圃の中を進んでゆきます。


線路沿いの道も終わり、再び国道と合流する手前に大きな
1本杉があり、その下に
飯田犬川端庚申塚石仏群があります。ここには延享二年、文化二年、万延元年、
大正九年の庚申塚があり、そのほか60余基の石仏がありました。
田圃の向こう、国道沿いに見える建物は
道の駅白馬です。


国道に出るとすぐ、白馬五竜交差点です。そこから白馬五竜スキー場が見えます。
一番上のアルプス平ゲレンデは、まだ営業中で、大勢のスキーヤーが見られました。


国道を歩いて300m、今回のゴール神城駅に到着しました。
正面に五竜スキー場を見ながら、国道から130mで駅舎です。


駅の跨線橋からは、今まで見られなかっら白馬連峰が一望です。
次回は2010年10月下旬〜11月上旬を予定しています。