日本海からは塩・魚・海草、内陸部からはタバコ・麻などが行き交い物資の
集散地として650年ほど前から発展してきた大町は、静かに眠っているよう
でした。しかし郊外へ出れば目の前に広がる北アルプスの山々に圧倒される
景色が広がり、旅人を感動させます。



2010年5月9日の朝は、信濃大町駅前の竹乃屋旅館で始まりました。
かつて、スキー客や登山客で賑わったこの駅前の旅館は、時代の変化と共に
取り残されたような静けさを見せています。旅館の前の道は、真っ直ぐ蓮華岳に
向かって延びており、新宿を夕方発った列車で夜中に到着し、朝の山々に
心を洗われ、武者震いしながらその山を目指した若者が見た風景でしょうか。


駅へはこの線路沿いの道で160m、昨日のゴール、今日のスタート地点である
日の出町塩の道通りへと向かいます。朝食はコンビニ弁当でと、旅館を7時前に出発。
スタート時刻は
6時55分と言う異例の早い時間となり、山を目指した若者になります。


大町市内にはこのタイプの案内板があり、塩の道を歩く旅人のために
配慮された気配りがうれしい。最初に出てきたのは
塩の道千国道と銘打った
この案内板です。下には解説があるので、ちょっと読んで見ましょう。


  塩の道千国道(糸魚川街道)  ―塩や魚が運ばれた道―

 各地の遺跡から姫川流域でとれたヒスイが出土しているように、この地方を通り
 内陸信州と日本海を結ぶ道は、大昔からありました。650年ほど前の記録には
 「仁科千国口」と見えています。江戸時代には糸魚川街道と呼ばれ、日本海から
 は塩や魚・海草などが運びこまれ、長野県側からは、タバコ・麻などが運び出さ
 れました。特に冬のブリは正月魚として喜ばれました。大町から北は、けわしい
 山の中を通るために運送には主に牛が利用され、途中には牛方宿や塩倉があ
 りました。大町は、この道の物資の集散地として発展してきました。今でも市内の
 あっちこっちには、かつての「塩の道」の面影を伝える街並みが残されています。




昨日立ち寄った塩の道博物館は、この交差点を右に入ってすぐの場所に在ります。
また、そのまま進めば大町山岳博物館があり、時間を調整して我々も寄ってみました。
市内の歩道で見つけた珍しいものは、写真右の
街中図書館です。貸出料金無料、
貸出期間無期限、貸出冊数1冊まで、みんなも読まない本があったら、そっとこの箱に
入れてください、と書いてあります。なかなか良い仕組みです。こんな箱が数箇所
あり、それなりに本が入っていました。そういえば昔中山道を歩いたとき、軽井沢の
先、追分に「夢のはこ」という、同じようなシステムがありましたっけ。


左に松葉屋旅館を過ぎた辺りの街道右側に女清水、左側に男清水という清水が
あります。是には次のような伝説が残っていました。


 大町水物語 女清水と男清水

 昔々、信州信濃に大町という集落がありました。村人達がその真中を南北に通る道を造り、
 生活を始めた頃のお話です。その道の東側の村人は里山の居里谷という池の湧水を、
 西側の村人はアルプス白沢の湧水を生活に使い始めたのです。そして月日がたち、たく
 さんの子供達が生まれました。しかし、東側の集落は女の子ばかり、西側の集落は男の子
 ばかりが生まれたのです。いつしか村人達は里山居里谷の水を女清水アルプス白沢の水
 を男清水と呼ぶようになりました。これでは困ったと東と西の村人が話し合いをして、南北
 の道の真中に川を造り、両方の水を合わせて流すことにしました。そして、更においしくなっ
 た水の流れる川の両側にたくさんの村人達が集まるようになり、男も女もみんな仲よく幸
 せに暮らしましたとさ・・・


今では、男の子ばかり生まれるお母さんや、女の子ばかりの家も多いことから
産み分けを希望される人は、是非この大町の清水を飲んで望みを達成しましょう。



女清水のある場所は、町中ギャラリーを併設した酒屋さん。
ご主人お勧めの
いいずらを購入しました。


駅から890m、九日町の交差点角にはセブンイレブンがあります。ここで、朝食の
おにぎりなど買って、本格的にスタートしましょう。長野家庭裁判所出張所前には
大町で一番古い仏像である
木造観音菩薩立像の案内板があります。この先の小径を
西に入ったところにあるお寺に安置されているとのこと、弾誓寺という寺のことでしょう。
平安時代中頃の作で、仁科氏の守り本尊と伝えられています。


その先の九日町で見かけた問屋という看板を掲げた家、蔵も立派で間口も
広いことから、五街道でいう問屋場だったのでしょうか。それとも普通の塩問屋かな。


大黒町にある若一王子神社では、七月の祭礼に6台の山車が出ますが、その山車の
ことをここでは舞台と呼んでいます。長野県宝である
大黒町舞台のイラストが刻まれた
案内板がありました。その先で道はY字路となります。真ん中には
庚申塔があります。


ここは大黒町追分、右へ進むと美麻から長野方面へと道は延びています。
我々は左の大きな道である塩の道へと進みます。庚申塔の後ろには、三つの顔と
6本の腕を持つ
阿修羅像が街道を見守っていました。


大黒町追分には大黒天像があり、これが町名の由来となっています。この大黒天は、
嘉永五年(1852)に高遠領非持村から出稼ぎに来ていた2人の石工、伊藤徳十・留十により
彫られた石像で、松本平で一番古く、また一番大きなものです。その後ろには、追分の
シダレザクラと呼ばれる大町市の天然記念物があり、推定樹齢が150年ということで
大黒天が造られたときに記念植樹されたものと考えられています。エドヒガンが変化した
種類で病虫害に弱い木ですが、樹高8.5m、目通り周囲3.05mと大町市では最大です。


追分の先、大黒町交差点を過ぎると左に若一王子神社の鳥居が出てきます。
その先へ進むと、急に左の景色が広がり、神社の杜の右側に
爺ヶ岳が顔を出しました。


この先、三つの信号機のある交差点を通過して行きます。最初が俵町二丁目(写真左)、
爺ヶ岳スキー場への案内板があります。次が
文化会館入口、ここには左黒部ダム
大町温泉郷となりその先、
南借馬交差点(写真右)には左松本・黒部ダムと書かれています。
黒部ダムへは何処で曲がればよいのか分からなくなりそうですが、文化会館が近道です。
我々は最後の南借馬交差点に注意してください。その先
160mで旧道に入るからです。


この小さな大黒様が左側にあったら、ここが旧道入口です。ここで真っ直ぐ国道を行くと
大糸線に沿った木崎湖の東を行くことになりますが、塩の道は木崎湖の西を通る道、
木崎湖を過ぎるまで、国道とはお別れ、古い塩の道を行くことになります。旧道に入ると
景色は変化し、水田の向こうに北アルプスの山々が手に取るように見えてきました。

爺ヶ岳 2669.8m 北葛岳 2551m
五竜岳 2814m 鳴沢岳 2641m

借馬は、北アルプス川に平野が広がり、素晴らしい眺望を提供してくれます。
木崎湖が近づくに連れて手前にそびえる小熊山などに、それらは隠れてしまい、
残雪の残る峰々を眺められるのも、しばらくお休みとなるため、ここではゆっくりと
北アルプス後立山連山を楽しんで行きましょう。
この山は、
鹿島槍ヶ岳で、鶴と獅子の雪形で有名です。
写真にカーソルを合わせてみてください。


旧道へ7分ほど入った路傍には愛嬌のある道祖神がありました。
そのそばの家は驚くことに、庭の中を
せせらぎが流れています。
何と贅沢な造りの庭ではないでしょうか。


こちらは小熊山に隠れる直前の爺ヶ岳、ここにも雪形である北の種まき爺さん
現れます。種まき爺ヶ岳さんには南もあり、ここではその形がよく分かりません。
写真にカーソルを合わせ、赤くなった雪形が種まき爺さんです。
雪形はこの地方の人が種まきや田植えの時期を知るために利用した残雪が
形作るいろいろな造形で、黒い部分を見るものと、雪の部分を見るものがあります。
あの富士山にも豆まき小僧・農鳥・農牛・農男・お犬雪などの雪形があります。
これから向かう白馬だけでは代馬が現れ、山や町の名前になったほどです。


爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳を前方に見ながら進みますが、その手前の小熊山も
だんだん迫って来ました。
塩の道は小熊山の東山麓に沿って進むため
もう少しで展望が利かない道になってしまいます。道ばたには、
田植えのための用水が滾々と流れています。



右手の街道から少し外れた場所に海岳寺があります。境内には小さな石仏が
並び、また街道沿いには
大黒様が祀ってありました。


北の山々はだいぶ隠れてきましたが、眼を南に転じれば、まだ
蓮華岳や北葛岳などの
山々がその美しい姿を見せてくれます。田植えの終わった田圃に映るその姿は最高です。


大町駅から1時間ほど歩きました。ここは金山神社、参道を230m行かないと
本堂は現れません。八重桜が満開の参道にザックを下ろして初めての休憩です。