明治7年、廃藩置県が行われ、成相・新田・鳥羽・吉野村が合併して豊科村は
生まれました。その後大正時代に町となり、平成17年、穂高町・三郷村
・堀金村・明科町が合併し安曇野市となり今日に至っています。成相新田の
地名は豊科駅を挟み南北に残っています。


熊倉の渡しから1時間あまり、どうやら国道147号線に着いた様子です。この場所は
国道の成相交差点と豊科駅入口交差点の中間。
銘菓あずさ本舗小林に突き当たる場所です。
この成相で
二本の千国街道は合流します。もう一つの千国街道はここから南へ125m
下った地点で国道と合流し2つの街道は、この交差点で合流となります。
ここからは1つの千国街道となり右折し北へ向かいます。


画家であり俳人の藤森桂谷は、この地に洋風建築の
豊科学校を創設し長く校長を務め
自由民権運動にも尽力しました。
ポン菓子ぽんべえの前にはうろたえばしの石碑が
有ります。ぽんべえによると街道に橋がかかっており、付近に店が多くて人々が
どの店に入ろうかうろたえたところから、この名が付いたそうです。


小豆やくらかけ豆、黒豆を量り売りする店があります。その先が豊科駅入口で
左を覗くと260m先に駅舎が見えました。ここでブレイクしても良いでしょう。


新田の交差点の先には、安曇野市消防団第2分団の火の見櫓が目立ちます。
この櫓は珍しいことに3層になっていて半鐘が2つ付いていました。近所が火事の
時と遠くが火事のときで鳴らす半鐘が違うのでしょうか。店が並ぶ国道を更に
進むと食事によさそうな店、
お茶元みはら胡蝶庵があります。満車の所を見ると
結構人気の店なのかもしれませんが、穂高で食事と決めた我々は進みます。


小さな川を渡った先の右側に豊科町上水道発祥の地と刻まれた石碑があります。
ここに伏流水をくみ上げる井戸でもあって殺菌し配水していたのでしょうか。
古い門扉と植樹広い敷地が往時を物語っていました。
細萱に入ると左側に
面白い鳥居があります。甲州道中双葉の船形神社の低い鳥居を思い出します。
よく見ると足が埋もれて低くなったように見えます。またこの鳥居をくぐっても
その先は塀しかなく謎の鳥居です。


鳥居は、この洲波神社の境内の片隅にあったものです。洲波神社はすわと読み
諏訪神社の流れを汲む神社で、前宮の幣拝殿の形が良く似ています。


細萱の交差点から360m行くと右側に現れた看板に飯沼飛行士記念館とあります。
早速、立ち寄って見学と参りましょう。飯沼飛行士と言っても現代人には誰かなって
ところですが、当時は世界を熱狂させた偉人なんです。
昭和12年4月塚越機関士と
二人で朝日新聞の神風号を操縦して
東京〜ロンドン間を94時間17分56秒で飛び
世界記録を打ち立てたのです。当時フランスではパリ〜東京間を100時間以内で
飛行したら賞金を出すと挑戦者を募りましたが、欧米人12名が挑戦したものの
事故や故障で成功するものはおらず、懸賞金の話も中断されていました。
しかしこの神風号の成功により日本の航空機技術と操縦技術は世界的に
認められるようになったのでした。そんな機関士の塚越は、群馬県倉淵村出身で
筆者の祖先に当たることが判明し、これまた驚くこととなりました。


館の入り口には、飯沼飛行士の胸像が誇らしげに建っています。その台座には
大飛行の記録が刻まれていました。館内に入ると、多くの新聞記事や報道写真が
展示されており、その偉業がよく分かり当時の感動が伝わってきます。


隣接する家屋が飯沼飛行士の生家で、館長である御子孫の飯沼久文氏が丁寧に
解説してくれました。紹介するビデオもあり彼について知ることが出来ました。


30分ほどの見学を終え、再び街道に戻ります。記念館のすぐ先にはよけざわはし
架かりこれを渡って進みますがこの川を下ってゆくと
田淵行男記念館があります。
街道からは1kmほど外れているので残念ながら立ち寄ることは出来ませんでした。
その先で千国街道は国道から離れ
Y字路を左へと入って行きます。


豊科駅と穂高駅の中間には柏矢(はくや)町駅があり、この交差点が駅への道になります。
柏矢町は柏原と矢原の地名を合成したもので大正4年の開業です。


4分程進むと研成学校の碑があります。豊科学校といい飯沼飛行士といい
長野は教育県ということを思い出させてくれる史蹟が続きます。



 研成学校について
  明治五年(1872)の学制の発布に伴い、翌六年穂高組十五ヶ村(吉野、寺所、踏入、
 細萱、重柳、柏原、矢原、白金、等々力、等々力町、保高町、保高、牧、橋爪、狐島)
 で、本校であるここ「研成学校」支校十校が設置されました。
  この研成学校は、明治八年に「穂高学校」と改称され、明治十六年に穂高学校、
 東穂高学校、穂高美学校の三校に分離されます。その後、明治十九年に「穂高
 学校」として再び三校が合併し三枚橋地籍に移るまでの間、この地で開校され、
 多くの文化人を輩出しました。


南小学校入口交差点を過ぎると、穂高神田簡易郵便局が現れ穂高に
入ったことを知らせてくれます。