ゴールデンウィーク2日目も快晴、今日は常念岳や蝶ヶ岳を見ながら松本を
目指します。
タイトルの第14日目というのは日本橋から甲州道中経由での
日程、(2day)は、下諏訪からの日程となります。今日の行程は天気に恵まれな
いと楽しみが半減するので、みなさんも是非晴天の日を狙って出かけて見ま
しょう。それでは出発です。



今朝は塩尻駅前のホテル中村屋で目覚めました。ゆっくり朝食をいただき、すっかり元気を
取り戻した我々は、駅前まで歩いてタクシーを拾い、昨日のゴール地点へと向かいます。


ゴール地点の山岸集落から400mほど行くと、頭上を覆うように高速道路が
立ちはだかります。この高速道路は
長野自動車道で、塩尻ICと塩尻北ICの
中間点に当たります。高速のトンネルをくぐって進むと2分ほどで、分岐の道路標識が
現れますが、この標識の下を入るのではなく、その先にある
宮村の交差点
Y字路になっていて、我々はそこから左、
広丘駅方面へと進みます。


宮村の交差点の角には小さな石碑があります。これは
宝永の道標で、真ん中に
南無阿弥陀仏の念仏が入り、その両脇に、右牛伏寺、左松本と読めます。


五千石集落を抜けると、左側には素晴らしい展望が開けます。左は穂高から右へ
常念・横通・燕岳・爺ヶ岳、鹿島槍から白馬へと北アルプスが姿を現しました。
ここから見える山々は、若いときから全て登ってきた山なので、感動もひとしおです。


渋沢の集落の手前、郵便局の手前右には、16体の馬頭観音が寄せ集められています。
碑文を見ると江戸時代から明治、大正のものまであり、畑の一角をその用地に定め、
丁重に祭ってあるその様は、土地の人の信仰心を物語っています。程なく進むと
右側にまるで
城壁のような石塀が現れました。最後のところに門があり、個人のお屋敷と
分かるのですが、その規模にはとても驚かされました。


右側にこんもりした丘が現れ、小さな信号機のある交差点の左に、
君石はあります。
ここから1.3kmほど進んだ場所に弘長寺というお寺がありますが、どうやらその寺は
昔この場所にあって火災で焼失してしまったようです。弘長寺は、鎌倉幕府の五代執権
北条時頼が、直領地良田郷を支配するために派遣した六男
相模六郎が亡くなった為
建てられた寺で、その跡地にこの君石を置き、彼を忘れないようにしたのではないでしょうか。



君石を過ぎると、左側は大きく開け、平行に走るようになった長野自動車道の向こうに
北アルプスの山々が迫ってきました。ここから
常念までの距離は29km、燕岳までは37km、
しかし実際に見ると、その距離は感じさせず、すぐ目の前にあるように感じます。
裏の写真は2001年10月に合戦尾根から登り、燕岳から常念岳へ縦走したときのものです。


里に目を落とすと、山の雪とは対照的な春の風景がありました。代掻きをする人、
白く咲き乱れたリンゴの花、青々と風になびく麦の穂、春を満喫して歩きます。


赤木の集落に入ると最初に現れるのが、赤木上の宮です。ここも弘長寺同様
明和二年と寛政五年に焼失してしまい、現在の本殿は寛政六年のものです。
本殿、拝殿、神楽殿のほかに蚕玉社、津島社、疱瘡神三峯社があり参道入口には
六臂青面金剛庚申像や光明真言供養塔が並び、荘厳な雰囲気を醸し出しています。


上の宮の隣にあるのが弘長寺で、芝桜の参道を登り山門をくぐると、樹齢350年の老松があり、
その中央に本堂があります。本尊は不動尊で、正和五年(1317)の六角位牌があり、そこには

当山守護人良田郷赤木真左衛門平政清三百石代官子息政信建之

と書いてあるそうです。相模六郎は幼名
赤木丸ということから、かなり幼い頃この赤木に
着たのか、また幼名からこの土地の名が赤木になったのか、郷土史家の話を聞いてみたい。
ともあれ相模六郎は若くして病死してしまい、それが弘長年間だっため弘長寺の名になります。
元号を寺号に許されたのは非常に珍しいことで、この寺の規模が大きかったことを物語ります。


上の宮、弘長寺の境内は広く、外れに
梵字の光明真言供養塔がありました。
この石碑には正徳時代の銘があり、この地方では古い石碑です。近くには
百万遍念仏供養塔もあるとのことでしたが見つかりません。史跡が多い地方
なのか案内の石柱もあり、この辺りの史跡だけを回る旅もよいかもしれません。


公民館のところは枡形らしくなっており、そこには赤木町内の案内図があります。
この先、下の宮からは何度も曲がるややこしい道となるので、この地図を見て確認
しておくとよいでしょう。五千石街道は、赤い点線の道ですが、実物の案内板には
書いてないので注意して下さい。


この辺りには灌漑用の池が多くあり、その一つから流れ出す小川を渡ります。
その手前左にちょっと見逃してしまいそうにあるのが
双体道祖神です。
一見普通の道祖神なので、どこが双体なのかよく分かりません。もしかしたら
手前の道祖神の後ろにある石も道祖神かと思い、覗いてみましたが
それらしくなく、結論が出ないまま進むこととなりました。中山道の中津川には
双頭一身道祖神という変わった道祖神がありましたが、これは違うようです。


道祖神から260m、公民館から670mの場所に赤木下の宮がありました。
街道は、ここで右へと入り、複雑な迷路のような道を進むことになります。


下の宮の入口には
古い石碑が並んでおり、その前を通り過ぎ鳥居をくぐって
境内へと入ってみます。街道を参道は平行しているので、参道を進んでも
また戻ってくるということは無いので、そのまま参道へと進んでみてください。



 赤木下の宮
 諏訪社と津島社の合殿で天王の宮ともいう。承京年代悪疫流行せし時、津島様
 (素戔嗚尊・牛頭天王とも言う)赤木氏神である諏訪大神と合祀した。享保九年
 に焼失の記録が残り、昭和五十二年十月に再び火災に遭い五十三年五月に
 再建された。              寿地区景観整備委員会 平成八年三月


拝殿は新しいものですが、まわり舞台は古き時代のものらしく、風格が違います。
トイレと思った建物は、なまこ壁の倉庫らしく、さしずめ宝物殿といったところでしょうか。