五千石街道とは奇妙な名前の街道ですが、その由来もまた面白いものがあります。
ここを領地とする松本藩は、小笠原秀政を領主としていましたが、大阪夏の陣で
戦死したため、その後の八万石を忠政が継ぎます。しかし播州明石移封されてしま
い、高崎藩から戸田康長七万石が領地替で、松本藩にやってきます。そこに石高
の差が一万石できてしまったため、これを諏訪藩と高遠藩に五千石づつ分け与えら
れました。諏訪藩は飛び地となったこの五千石の領地巡見ため、この街道を作った
と言われています。


塩尻の本陣間近、中山道右側に注意していないと見落としてしまいそうな標柱があります。
それが
五千石街道入口の目印です。国道20号仲町の交差点から177mの地点です。
五千石街道は、ここから松本市内の牛つなぎ石先まで約16kmあります。
今日はここで終了しても良いのですが、まだ15時と少し余裕があったため、行ける所まで
歩いてみることにして見ました。今夜の宿は塩尻駅前のため、タクシー利用になります。


五千石街道に入ると、30mの地点で左折ポイントがありますが、これは入らず、
その先の80mいったところにある場所(写真左)で
左へと曲がります。
今日は5月3日、都会では見られなくなった立派な鯉幟を上げている家が目立ちます。


雀踊りのある家並みを進んでゆくと、最初に現れたのが街道左側の住吉神社跡の石柱、
続いて右側に小さな住吉神社が現れます。その横には例の養蚕の神様、蠶玉神の碑が

住吉神社は底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を祀る海に関わりの深い畿内の神社
ですが、この山里にあるのが面白いと思います。昔は大きな神社があったのでしょう、
跡の碑がある場所と、現在の小社のある場所は少し離れており、その大きさを想像します。



塩尻峠から続く
高ボッチが近づいてきました。水を張った水田の向こうに見えます。
この山にはダイダラボッチが腰を下ろして出来た窪みがあることから高ボッチという
名前が付きました。ダイダラボッチは全国に伝承のある巨人の妖怪で、各地に登場
します。塩の道の先にある仁科三湖はダイダラボッチの足跡といわれ、甲州道中で
通ってきた世田谷の代田にも足跡があったということで地名となりました。
そんな高ボッチでは、8月になると高ボッチ高原観光草競馬大会が行われ県内外から
競走馬、農耕馬、ポニーなど80頭余りが迫力満点のレースを繰り広げます。


なまこ壁の美しい土蔵が街道沿いに現れ、長畝集落に入ってゆきます。
柿沢で見た鳥居と同じ目的ではないかと思えるゲートが道をまたぎます。

この集落長畝には、吉江喬松の生家があります。
旧制松本中学(現松本深志高)を出た彼は早稲田
に進み研究生を経て教授となります。その後
フランスへ留学し、帰国後早稲田大学に仏文科を
作ることになります。その功績を称えられフランス
政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与されます。
そんな彼の教え子には、西条八十・井伏鱒二・
日夏耿之助などがおり、詩人としても有名です。
彼のエッセイ杜の家では、400年も経った欅が
7本並んでいるとありますが、入口から見ただけ
では、その欅がどれなのか良く分かりません。

この地方は学者を輩出する風土なのか、続いて現れた赤門の家は、
九州帝国大学総長で法医学の権威であった
高山正雄博士の生家です。
旧制長崎医科大の学長から九州大学総長になった人物が、何故ここに生まれ
どのような人生を歩み、九州へ行ったのかとても興味あることですが
分かりません。詳しい方がいらっしゃいましたらご教授ください。


道は
二木建設設備のところで、二股になりますが、ここはそのまま真っ直ぐ進みます。
現れたのが酒類の自動販売機、首都圏では条例で禁止されているのか、なかなか
お目にかかれない自販機です。案の定、免許証で成人を判別し売っているようですが、
こんな自販機があったら、夜中にビール飲みたいとき最高です。


桟敷の集落に入ると、目の前に国道20号が迫ります。右へ行けば300mほどで
長野自動車道の塩尻インター、左は1150mで高出の交差点、中山道を歩いたとき
良く車でこの上を走りました。思い出に浸りながら国道をトンネルでくぐると
左に大きく展望が開けて、北アルプスが再び顔を出します。


国道20号をくぐると南熊井上道の集落へと入ってゆきます。ここからは道が細く、
分岐を重ねるので非常に分かりにくい五千石街道となります。このルートは塩尻市発行の
しおじり学びの道を参考に、2万5千分の一の地形図に落とし決定したものですが、
本当の五千石街道かは、土地の人しか知りません。とにかく松林寺まで進みましょう。


国道をくぐったら真っ直ぐ進み、この奥の
Y字路までやってきます。ここを
右へ進みます


ここで更に細い道へと左折します。


駐車場へ入ってしまいそうな感じですが、臆せず進むとアスファルトになり
水路の脇
進んでゆきます。やがて水路は閉渠となり小さな水門のハンドルが頭を出します。
そこで道は広くなります。左へ行く道もありますが我慢して真っ直ぐ登り気味の道を選び
Dの地点で黄色い矢印の方向へ
草の斜面を下りましょう。


正面に、洋風建築の家が見えてきたら正解です。右側は草地、左側は田圃の間を進み、
この家を回り込んで行き終わるところに、
五千石街道の石碑が立っており、左へ行く道が
ありますが、ここは直進して県道63号へと向かいます。


県道と合流しそうになった場所Fで、右の細い道を選んで入ってください。
この旧道は200mで、再びG地点で
県道と合流します。合流した場所にも
白い石柱の
五千石街道の碑が立っています。


県道と合流して30mでこの場所、松林寺の山門前に出ますので、
ここはゆっくり
夫婦鶴伝説のあるお寺を見学してゆきましょう。


参道を入ってゆくと梵字の描かれた石碑が出迎えます。寺の左側にひときわ高く
そびえる木は、
二天舎利桧で樹齢500年と書かれた札が付いていました。


本堂の右手へ入ってゆくと、海軍大佐が寄贈した砲弾が立っている碑があり
その奥に古いお堂がたっています。このお堂の欄間にある
鶴の彫が夫婦鶴で
これには伝説が有るそうですが、内容については分かりませんでした。


寺の住職に勧められ、お堂の裏手の丘へ登ってみました。
この一帯は
南熊井城跡で、小笠原氏配下の領主が居た城だという。
裏手は一段高い土地となっていて、高ボッチ方面の眺望が素晴らしい。


珍しいことに、現在も戦国時代の
空堀が残っている。その両側には畑が広がります。


JA塩尻市片丘事業所と長いもの貯蔵庫の間を進み、道路へ出たところで
左へ下ってゆくと、城跡であるとの
説明柱が、今にも朽ち果てそうに立っています。


再び県道の松林寺山門前に戻り、県道を進みます。山門から70m道の場所、
地酒の看板があるY字路になりますので、右の細い道へと進んで行きます。
旧道の右側には150mに渡って黒塀が続きます。もちろん昔は1軒の家だった
のでしょう。今は、中に小さな家も数軒あり、一族で住まわれているようです。
それにしても、こんなに立派なお屋敷は、街道いろいろ見てきましたが初めてです。


左側の田圃の向こうには、まだ穂高連峰が見えます。こうして一日を通して見えることは
春にしては珍しいことではないかと思います。その先右の森の中に出てきたのは
村社
南熊井諏訪社です。太い木々に囲まれ鬱蒼とした境内に、ものすごく巨大な覆屋
があります。あまりの大きさに驚きました。この中に本殿があるのですが、それにしても巨大
です。もちろん昔はこの覆屋は無く、拝殿の後ろに本殿がそのままあったと思われます。


諏訪社の境内が終わると右に石碑群があり鳥居で祭られています。この先は
Y字路になっていますが、ここは左へと入ってゆきます(写真左)。
そこから100m、道は左へと曲がってゆきますが、今度は
細い道を直進です。


のどかな草地の中、小さな建物が雰囲気を出していますが、何のための
建物かよく分かりません。この付近ではしばしば見られる建物なのですが。


細い道は150mで県道へと合流しました。県道を振り返ると、先ほどの地酒看板の
店が後方に見えました。地酒に目の無い我々は、本日の旅をこの合流地点で終え
県道を300m戻って地酒の店
坂野酒店へ、ここでタクシーを呼び宿へ向かうことに。


ここで手に入れた今夜の酒は、この店オリジナルの酒
緑香村という銘柄。
原料から製造まで塩尻にこだわった酒で、フルーティな中にも塩分を感じる
ブルーチーズのような不思議な旨い酒です。他にも地ワインを購入し、これらを
土産にタクシーを呼んでいただき、今夜の宿塩尻駅前の
ホテル中村屋へ。
中村屋は中山道のときにも泊まった宿、今夜は駅前の知春で宴会と言うことに・・・。