昔は、松本営林署塩尻種苗事業所の苗畑があった場所なのですが、
今は何もない草原となっているのが、ここ。国道20号のトンネルをくぐると、右側の
土手の上に
防風林が見えます。良く探してみると、1ヶ所その土手に登れる小径が
あるので時間があったら是非登ってみましょう。目の前の草原と、その向こうに見える
穂高連峰の圧倒されること間違いなしです。この草原の木陰に寝転んで山々を
眺めていると、都会での暮らしや、街道歩きのことなども全て忘れてしまいます。
休んでいる間、2組の街道ウォーカーが下の道を塩尻方面に歩いてゆかれましたが、
どのパーティも今日の目的地が遠いのか、声をかけても登ってくる人はいません。
これこそ街道歩きの
醍醐味なのですが、何をそんなに急いで旅するのか分かりません。
このページをご覧になった諸兄は、ここを通ったら草原に寝転んで休んでゆきましょう。


気がついたら30分も草原に寝転んでいました。さあ、元気いっぱいになったので出発です。
防風林が切れると
長野自動車道を渡る橋の上に出ます。橋の前後は高速バスで出かける
人たちの駐車場となっており、無人の駐車場に何台もの車が止まっていました。きっとここへ
車を置いて松本や岡谷へ通勤している人がたくさん居るのでしょう。


道っていいですね!真っ直ぐ伸びたその先に何があるんだろうと想像を掻き立てます。
左は長野自動車道の松本方面、右側には
みどり湖PAが見えます。
あとの2枚は、
柿沢の集落へと続く中山道の下り坂です。手前の街道と少し遠くの
塩尻郊外の田園、その向こうには山々と本当にのんびりした良い風景です。
こんな道をのんびり旅できるなんて、もしかしたら最高の贅沢かもしれません。


柿沢の集落に入ると、街道左側に
首塚胴塚の標識があります。矢印に導かれ
入ってゆくと100mで写真中央の白い案内板にでます。ここで左折し更に90m
行くと首塚と書かれた石碑が田園風景の中にひっそりとたたずんでいました。

野に山に討死なせし益良男のあとなつかしき柿沢の畔


 首塚・胴塚の由来
  今を遡る事 四百三十四年前 歴史上戦国時代と言われる天文十七年七月十九日甲斐の
 武田信玄軍と松本林城主小笠原長時軍が 永井坂において交戦し数時間に及ぶ激戦の末
 戦いは小笠原軍の破れる所となり多くの戦死者を残して退却をした。
  武田軍は 家臣の戦功を賞する為 首実験を行った後 戦死者の遺体を放置したまま引
 き上げて行ったので 柿沢の村人はこれを哀れに思い ここに埋葬したのが これら首塚
 胴塚である。
  その後 戦国時代も終わり 世は豊臣・徳川の時代となり平和が続くに連れて 何時し
 かこれら塚の所在も忘れられて長い間尋ね弔う人もなく 塚は夏草の生い茂るに任せる惨
 めな状態にあった。
  昭和十年に至り柿沢の熊谷善蔵氏は この有様に大いに無情を感じられて多くの有志者
 と共に寄付金を集め小笠原氏支流の末裔である小笠原長生子爵の揮毫を得て首塚・胴塚の
 碑を建立し哀れな戦死者の追善供養を行い冥福を祈ったのであります。
 御来訪の方々に於かれましても この悲惨な戦死者にご同情下され 一掬の涙と共に そ
 の亡き御霊のご冥福をお祈りください。
        昭和五十七年六月
                                     中村一一記
    柿沢ふるさとづくり推進委委員会


この戦いで33歳の小笠原長時は戦死しておらず、70歳の人生を会津で
全うしています。武田軍は自領に引き上げていったのに、何故彼は自分の
将兵の亡骸を弔うことをしなかったのでしょう。戦国とはいえその余裕は
有ったのではないでしょうか。それとも先に柿沢の人々が弔ったのでしょうか。


この景色は、首塚からの穂高連峰です。綺麗に西穂高から北穂まで望めるこの地で
行われた戦闘と首実検。人々の目にこの景色はどのように映ったのでしょうか。


首塚を後に街道へ戻り、120m行くと右側に待望の酒屋、
一の瀬酒店がありました。
喉も渇いた我々飲兵衛は、スポーツドリンクではなく缶酎ハイです。くぁ〜しみる〜ってな
具合で飲み干し再び元気に街道へと戻りました。しばらく進むと、道路を跨いだ
大きな鳥居
これは首塚の交差点を反対側に入った丸山にある神社の鳥居で、珍しい形をしてます。


下柿沢の交差点を過ぎると、小さな火の見櫓が見えてきます。ここで道は大きく
右へカーブしますが、中山道は火の見櫓の左の小径を進みます。程なく右から川が
近づき
国道20号へと出ます。ここでは右へ橋を渡って行きましょう。


仲町交差点を過ぎると、町名も柿沢から塩尻町に変わり、交差点右側には
是より西 中山道 塩尻宿 の標柱が現れました。更に50m進むと右側から
三州街道が合流してきます。
三州街道は、ここから善知鳥峠を越え小野の
集落で旧中山道とクロスし、辰野から伊那、飯田へと向かいます。
それは塩の道の南コースとなり駿河へと続きます。いつかは南へ向かいたいものです。


塩尻口留番所跡の石碑、これから宿場へと入ることが分かります。
付近には道祖神が多く現れるようになり、安曇野が近いことを物語ります。