中山道の難所といえば、碓氷峠があり和田峠そして鳥居峠と標高差の激しい峠が
数多くありますが、忘れがちなこの塩尻峠も、諏訪側から登ると大変な急坂で
難儀します。登りは長野県岡谷市になり、ここに降った雨は諏訪湖へ注ぎ、天竜川
を下って太平洋へ一方、峠を越えた塩尻市に降った雨は、田川を下り薄川、
奈良井川と合流し梓川と合流すると名を犀川に変え千曲川に合流し最後は信濃川と
なって日本海に注ぎます。つまり、太平洋と日本海に分ける日本の大きな分水嶺の
ひとつなのです。太平洋の水系を歩き続けてきた我々は、この峠を越えることに
より日本海水系へと入ります。



5年前はバギーを2台押しながら登った峠道でしたが、今日は自分ひとりの身体を
峠へ持ち上げれば良い訳ですから楽なものと思っていたら大間違い。5年の月日が
身体を衰えさせたのか、やはり苦しい登りと成ってしまいました。最初に現れるのは
大石で、次のような伝説が残されています。子供達は怖がったなぁ。


 旧中山道の大石
  この巨石は昔から「大石」とよばれている。「木曽路名所図会」にも、「大石、塩尻峠東
 坂東側にあり。高さ二丈(約六メートル)ばかり、横幅二間余(約三.六メートル)と記され
 ている。伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われて
 いる。ある時のことこの大石の近くで旅人が追いはぎに殺され、大石のたもとに埋められた。
 雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石のところで青い火がチロチロと燃えていたという。
 またこの辺は昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている
 提灯のローソクを奪ったという(ムジナはローソクの油が大好物という)。





石船観音から峠までは距離950m、標高差150mですが、特に最後の200m
何でこんなに急な道を作ったのかと嘆きたくなるような急坂、しかし、頭上に
展望台の建物が見えたら峠はすぐそこ、みなさんも頑張って登って下さい。


この素晴らしい景色を見たくて山に登るのが登山家ですが、街道歩きだってご覧の通り。
苦しい思いをして登ったときに広がる景色は最高です。諏訪湖の向こうは、茅野の後ろに
広がる
永明寺山(1119.4m)、その後ろが八ヶ岳の編笠山からの長いスロープです。
私達は、あのスロープを富士見で越え、永明寺山の裾野を、湖を巻いてやって来ました。
そんな歩いてきたルートを一望できるのが、この
塩尻峠の展望台です。


諏訪湖とは反対側に目を向ければ、北アルプスの峰々が手に取るように望めます。
送電線が視界を遮ってしまうのは非常に残念なところですが、
穂高連峰が迫ります。


峠では
45分ほど休憩し、下のコンビニで買ってきたお弁当を広げます。5年前は7月だったので
若々しい草の上に座り昼食をとれたのですが、今回はまだ土が露出した状態。しかしビールも
入りご機嫌な仲間たちでした。
昼食が終わったら塩尻に向け出発です。早速峠を下り始めます。


峠から180m下ると、柿沢茶屋本陣です。峠には一里ほど人家が無く、参勤交代や
旅人が難儀したため、峠の両側に茶屋本陣を設けました。諏訪側が先ほどの今井
茶屋本陣で、ここが柿沢本陣となります。以前は犬が居たのですが、今は静かです。


茶屋の向かい側には明治天皇塩尻嶺御膳水の石碑と、その後ろには古い井戸が
ありました。明治天皇も皇女和宮もきっとここで休憩なさったのでしょう。その時代に行って
その様子を見たくなりました。茶屋の後ろの山は
留山らしく、立ち入り禁止の札が。
この留山という言葉は藤村の夜明け前にも出てきますが、ちょっと解説してみましょう。

留山:木の種類がヒノキなどの良い森林資源を守るため村人の立ち入りを厳重に禁止した山
巣山:鷹狩り用の鷹を捕獲するため、鷹がまだ巣に居るうちに捕るため村人の入山を禁止した山
明山:村人が自由に入れて枯れ木などを拾うことができた山だが、伐採は許されなかった。
鞘山:留山・巣山の周辺で伐採を禁じられた区域
預山:村に山を預け、水害防止のためなどに植林をさせた山

これらは全て木曽でのルールとなっている。従って山主は幕府なので個人所有の
留山というのは少し変である。留山と書くと昔の人はご禁制の山なので効果があったのだろう。
しかしキノコ狩りなどで山へ入ろうとする都会の人間には、何のことだか分からないでしょう。


下り始めると夜通道(よとうみち)の石仏が並んでいます。塩尻側に住む
美しい娘が岡谷の男に惚れて、毎夜この道を通って逢いに行ったという伝説が残ります。
追いはぎも出たと言うこの峠道を、若い女性が一人で通るなど信じられませんが
もしかしたら警護付きで通ったのかも知れません。その後二人はどうなったのでしょう。


東山一里塚は南側のみ現存する一里塚です。当初中山道はここを通らず、
岡谷の東堀追分を東に進み、三沢峠から小野の下り、再び険しい牛首峠を
越えて桜沢へ出ましたが、元和二年(1616)塩尻峠開通と共にここが中山道に
なりました。牛首峠は中央アルプスに続く峠で険しく、当時の人は苦労した
ことと思われます。この平坦な塩尻峠の開通は、画期的な出来事だったのでしょう。




東京の桜は、とっくに終わってしまいましたが、ここでは山桜が満開です.


東山で厄介なのがこの二つの分岐点。写真左では左に進み、写真右では右に進みます。
詳しい地図をご覧になりたい方は、ボクたちが歩く中山道をご参照ください。


二番目の分岐を振り返って見た写真が左の写真です。丸印の中に
半僧坊大権現の石碑があります。ちょっと寄り道しないと見過ごして
しまいそうな小さな石碑なので注意しましょう。その先は芝桜の街道となりました。


前回間違えて違う道を通ってしまった犬飼の清水です。ここで国道及び旧国道へ
出ますが、旧中山道は国道を斜めに二度横断して真っ直ぐ進むと土地の古老に
教えていただきました。今回も旧国道へ入り犬飼の清水の碑(写真左)を見ました。
犬飼の清水は、江戸時代にここを通った公卿の飼い犬が病気になったが、ここの
清水を飲ませたら治ったという伝説がある場所です。しかし現在、清水は見られません。


国道を来ても、旧国道を来てもこの場所へ出ますので、ここからは
国道を離れて右の上へと旧道をたどります。入口には中山道の標識もあり
迷わず入れると思います。


旧道は国道を眼下に見下ろし、
静かな田園風景の中を進みます。
5年前に来たときは林がうっそうとしていた場所も、綺麗に刈り払われ展望が
よくなっているのは、ありがたいのですが、日差しを除けることはできません。


その開けた場所で、左側を望むと遠く
穂高岳連峰が顔を出しました。
このメンバーでも登った山が、今日も我々を励ましてくれます。
写真にカーソルを合わせると山々の名前を紹介できます。


国道20号を越えると、道も緩やかになり柿沢の集落へと向かいます。
ここはバギーで来たとき、どうやって横断しようと悩み、
トンネル
見つけて安堵したところ。今回も懐かしのトンネルをくぐって国道を渡り増した。