右側に現れた大きなお寺は平福寺、ここには日限地蔵尊が祀られ
 地元では
おひぎりさまとして信仰を集めています。このおひぎりさま
 は、もともと伊豆三島の蓮馨寺から贈られたもので下諏訪の商人
 市十郎の自宅に祀ってありましたが、とあるお寺に移し、その後廃仏
 毀釈の折り、この平福寺にやって来ました。今では毎月23日に縁日
 が開かれ大勢の信者で賑わっています。、また本堂には岡谷市の
 文化財と成っている、左の
仏像が安置されています。


お日限さまから、70m進むと写真左の交差点、この交差点は不思議な交差点で
中山道を進んでゆくと「
長地・東掘」と表示されていますが、交差する側の信号機には
長地中町」と書いてあります。地図では長地中町なのでそれが正解なのかもしれま
せんが、中山道を歩く人はこの先の「東掘」交差点と勘違いしてしまいます。
交差点の向こう側の左角には道標があり「右中仙道、左いなみち」とあります。
つまりここが中山道の
伊那追分と言うわけです。


長地中町からは、植木の手入れが行き届いた閑静な街並みとなり
国道まで一直線の道が続きます。国道と交差する交差点が「
東掘
向かい側にローソンがあり、塩尻峠への
最後のコンビニと成ります。
この交差点は変形六差路となっており、横断歩道を渡るには信号の
変わるのを待っているだけではいけません。ボタンを押さないといつまで
たっても歩行者用信号は
青にならず、待ちぼうけをくわされます。


東掘の交差点を渡ったら、Y字路の左、細い方の道を進みます。60m先の右側に
一里塚跡の碑が現れたら正解です。前回は緑に囲まれた碑でしたが、そのイメージの
まま探したらあっと驚く変貌振りに呆れてしまいました。裏に隠れている写真が
2003年7月の状態、どうしてこのような状態になってしまったのでしょうか。
やがて
岡谷自動車学校が左手に現れ、その先230mの交差点角にはこの石仏があります。


横河川を渡るともうすぐ峠への入口、川の上流には東山が迫り、右奥に
高ボッチが見えてきました。正面の稜線を左に下がったところが峠です。


川を渡ると右側に小さな森があり、そこには石碑が三つ。左右に天満宮と道祖神を
従え中央に
蠶玉神社の石碑が建っています。この難しい字は蚕の旧字でこだまと
読むのではないでしょうか。こだま神社は養蚕の守り神、すなわちこの辺りは養蚕が
盛んだったことを物語っているのかもしれません。あゝ野麦峠でも岡谷は製糸工場
がたくさんあり、政井みねもそこで働いた一人でした。大竹しのぶの映画を
思い出しながら歩いてゆくと、
今井中山道と言うバス停を発見。


 
 今井番所跡

  今井地区は 地勢上往古より道の存在が想定されているが 史実の上に出てくるのが 
 鎌倉時代の街道であり 戦国時代武将兵が往来した道であり 江戸時代の中山道である
 徳川家康は 関ヶ原戦勝後 全国統治のため街道を制定し 慶長六年に東海道を開削
 して 翌慶長七年(一六〇二)本州中部を横断する中山道を開削した 中山道は 当初
 此処から東方の東掘から川岸を経て木曽へ通じる道であったが 諸事情により十二年後
 の慶長十九年に塩尻峠越えの道を開削した この碑の前の道がその中山道である 道幅
 は二間二尺(約四.二四メートル)であったが 昭和に入り交通事情にて拡幅されている
  徳川幕府は 江戸防衛の為 街道の要衝に多くの関所を設置して 特に入鉄砲・出女・
 咎人等の検察に当たった 高島藩内に関所は設置されていなかったが 藩では塩尻峠口
 の交通の要衝に口留番所を設置して 諸事の検察に当たった また 当時は藩毎の領国
 経済であり米を中心とした穀類の流出や搬入が 藩の経済に大きい影響を与えたので
 穀留番所を設置して穀類の流通を監視させた この今井口の番所は口留・穀留の両面の
 検問を司っており 此処を通過するには 前もって許可の手形が必要であった 番所には
 高島藩の出役が交替で勤め 添役として村役人の名主や年寄りが当たった
  番所は 当初 番小屋を造り検問に当たっていたと伝えられており その後 家作が進
 み村役人宅に常設された 番所の建物は 寛政元巳酉(一七八九)年二月類焼に遇い
 再建されているが 現在の建物は 元治元甲子(一八六四)年に建設されたもので 番所
 の建物として 諏訪地方に現存しているのは 此処今井だけであり 当時の面影を残している
                   岡谷市 美術考古館長 伊藤正和  撰文


 

明治天皇今井御膳水(写真左)と今井番所跡(写真右)が現れ
天皇の小休所が近いことが分かります。この番所は碑文でも
分かるように140年前の建築で、実物を見るのは初めてです。
世が世なら私達もここで通行手形を役人に示し通行したでしょう。





たまには縦書きも良いかと、この文章は写真にある案内板をそのまま
再現したものです。皇女和宮さまも明治天皇も休まれた建物が
いまでも当時のまま見られる貴重なところ、峠を前にゆっくりしたい
場所です。写真にカーソルを合わせれば建物も見られます。


突然目の前に現れたのは、大きな赤い旗をつけたバイクのおじさん
そう言えば、さっきから子供も峠のほうから下りてきます。お祭りでも
あるのかと、子供のほうを見るとその向こう国道にコンビニがあります。
そこは国道20号の岡谷インター東交差点、Kマートや
すかいらーく
あるので、峠に際し、山中でお昼を食べることに抵抗のある方は
このファミレスは絶好の昼食ポイントと言えるでしょう。右手の中山道
案内板と石碑が出てきたら思い出してください。


街道はだんだん登り坂になり、ここで初めて諏訪湖を望むことができます。
眼下にはさきほどのKマート、そして諏訪湖の向こうには八ヶ岳の緩やかな
斜面も見え、我々の歩いてきた道が遥か遠くになったことを感じさせてくれます。


道はフェンス沿いとなり、その下には長野自動車道の岡谷インターから出てくる道が、
新しい国道20号へ突き当たっています。その20号を越える橋を渡ったら
左へ曲がります。(写真左)
そして100mほど進み右から横断歩道橋が合流するところで今度は
右に曲がります。(写真右)
とにかく、道の勾配を感じ、上へ上へと行けば塩尻峠です。


最後に曲がらなければいけないポイントはここ石船観音です。ここで太い道と
別れ狭い舗装路を一気に峠へ向かいます。この先は腰を降ろす場所もないので
ここでは是非休憩を取って行ってください。


 石船観音
  本尊馬頭観音が船の形をした台石の上に祀られているところから石船観音と呼ばれ、とくに
 足腰の弱い人に対して霊験あらたかであるといわれている。境内を鳴沢清水といって豊富な
 清らかな水が流れていて、参拝者の喉をうるおしている。例祭は五月の八十八夜ごろである





確かに
例大祭は五月八十八夜の頃であった。その日が本日なのである。だから先ほどから
子供達の影が濃く、バイクに旗を付けた人や、消防団の姿も見られたのだ。9時半から
石船マラソンという催しがあり、11時から甘酒の接待が始まった。しかし今11時51分。
すでに甘酒も終わりに近づき、売店は全て売れきれという状況、もう少し早く来れば楽しめました。
鳴沢清水の上の境内は人でいっぱいのため、とても清水を飲める状況ではありませんでした。
ゆっくり休むのも諦めて、静かな峠道へと足を進めることにしました。