最終日は残り8km、と言う訳でゆっくり新宿を出発しました。。


東武のスペーシアが新宿から日光へ出発する珍しい絵です。
8日間かかって歩いて来た道をたった2時間で到着します。
街道に向ける道の途中にある「しもつけ手打ちそばのつちや」に
入って昼食ですが、メニューにききなれない
ちたけそばというのが
あったので、所望しました。ちたけは乳茸のことで、裂くと乳白色の
汁が出ることから、そう呼ばれています。味と香りがよく良い
出汁が出来ることから栃木の郷土料理となっています。


JR今市駅と東武下今市駅の中間にあるのが、この小倉町交差点。
ここが今回の出発点です。今市は伏流水が豊富とみえて、街中に
このような
水のみ場が現われます。木曽路以来の水場でしょうか。


国道119号線を春日町まで進むのですが、その間470mはアーケード
だったのですが、今は老朽化したのでしょうか撤去されて青空が広がります。
春日町にはまたり漬けの店が集まり、宿場らしい
日野為商店や、日光ろばた
づけの店が並びます。


更に300m進むと、左に瀧尾神社、右に旧街道杉並木が始まります。
杉並木は、ここから900mの間、公園となり快適な街道歩きが楽しめます。


公園の中ほどには、朝鮮通信使今市客館跡があります。


  朝鮮通信使の今市客館跡

  江戸時代、「信」を通わす善隣友好の朝鮮通信使は一二回来日しました。
 うち、寛永一三年(1636)、同二〇年(1643)、明暦元年(1655)の三回、正
 使・副使・従事官の三使ら約二〇〇人が日光を訪れました。
 寛永一三年は遊覧でしたが、次の二回は東照宮と大猷院で朝鮮式の参拝
 をしました。
  一行は春日部(埼玉県)・小山(栃木県)・宇都宮(同)に泊り、四日目の
 夕方今市客館に着きました。翌日日光へ行き、再びここに宿泊し、同じ道
 を江戸にもどりました。
  寛永一三年の正使任絖は、ここを「材木を江戸から運び一万両余の費
 用で、新設の板屋が百軒近く」、「人馬が多く、麦畑を平坦にして特別に
 この館舎を設けた」(『丙子日本日記』)などと書きました。その後の三使の
 日記にも、新築の豪華な客館にふれています。
                                      
今市市




その隣には、二重連の水車が街道側からは見えませんが、電車からは
より多くの水車が有ることが分かります。時間のある方は、線路の方へ
降りて行くと見られます。
報徳庵は、とちぎのふるさと田園風景百選に
認定された茅葺屋根の手打ちそば店です。ここで昼食も良いかもしれません。


報徳庵を過ぎると、杉並木が切れ石畳の街道になりました。
右側の民家の庭には
桜の木があり、11月というのに花が咲いてます。


再び杉並木に入り、5分程行くと左側に日光彫と看板を掲げたお宅があり、
街道沿いのショーウィンドウにはお盆が展示されています。私は、流行の
セルフィースティックで自撮を初披露です。


さすがに古い並木道、明治維新の砲弾の跡がある杉が元気に残っています。
この戦いは、戊辰戦争今市の戦いで、新政府軍板垣退助と旧幕府軍大鳥圭介の
戦いでした。日光街道と会津西街道の接点である今市をめぐっての攻防で、
ここを掌握した板垣退助により、関東地方が新政府軍の管制下に入る結果と
なる戦いでした。この砲弾は、板垣退助が放った砲弾なんでしょうか。

 
 
杉並木の為、紅葉には縁が無いと諦めていると、少しだけ
慰めてくれる紅葉が出現。嬉しい限りです。

 
杉並木の中に小さな社があったので休憩します。街道側には小さな石の梵鐘
きっと太平洋戦争のとき本物が供出され、村人が石で再現したのでしょう。
裏に回ると、遥か日光連山に雪が見えました。もう山は冬が来たのでしょうか。
ここの標高は461m、宇都宮が130mですから、東京タワーほど登って来ました。
ゴールの神橋が約600m、あと140m頑張りましょう。

 
 
杉並木の石畳が交互に現われるようになりました。冬に備えて
薪をたくさん積み上げた民家が印象的です。

 
この辺りからゴールまでは、杉並木の中を国道が走っているため
我々も歩道の無い危険な国道歩きを余儀なくされました。
並木のある土手に
常夜燈(左)や弘法の霊水(右)などが現われます。


土手の上を歩けるところも少しありますが、基本は白線の中の
国道歩きです。車のスピードも速いので十分注意して歩いてください。

 
 
並木の中で一番大きな並木太郎が出てきました。この並木の樹齢は
最も古いもので360年、屋久島の縄文杉の10分の1程度の子ども
見たいな杉たちですが、長寿の杉の産地のように雨量が少ないこの地で
立派に育つには訳がありました。杉並木に沿って華厳の滝から流れて
来る大谷川の伏流水をこの子たちは飲んでいたんです。
3000年経ったら、どんな杉並木になっているか想像してみて下さい。


明治天皇七里御小休所の先には、高速の入口へと続く道と分岐する
七里Y字路がありますので、右の国道を進みます。しかし明治天皇は生涯一体
何キロメートル歩いたのでしょうか、中山道にも東海道にも小休所があるので
興味が沸いてきました。



右の社のところで線路が近づいてきたら、200mだけ旧道を歩けるところ
があるので、無理して国道を左に渡ってください。静かな並木を進むと
電車のガードの下で再び国道に合流します。ここは次の為に右側に渡ります。

 
 
今度は120mだけの杉並木です。しかし安全に歩けるので助かります。

   

短い杉並木を抜けると、いよいよJR日光駅(左)が姿を現しました。
続いて
東武日光駅も現われます。その間は200mあります。 
 

JRと東武の日光駅の間の200mがここで、杉並木の中にもみじがちらほら
とても美しい印象的な杉並木になりました。これで日光杉並木は終わりです。

 
 
日光駅から神橋までは1500m、両側に老舗の蒲鉾店や新たらしい有名店が並びます。
標高差は60mなのですが、見た目にも登り坂なので、歩いてゆこうという人は少なく、
バスを利用するようです。御当地ナンバープレートの
日光仮面発見。

 
 
金谷ホテル下の物産店を回りこむと、いよいよゴールの神橋が見えて来ました。
昔は、神様しか渡れなかったはずですが、なんと入口に
料金所が、もちろん
神様になった気分で、ゴールへと向かいました。

 
 
ここが日本橋から146.7km、日光街道のゴール神橋です。
全て1泊旅行として歩いて来たので、9日間も掛かりました。
一日16kmというペースは、ゆっくり寄り道して食事するには
最適な距離だと思います。次の街道が楽しみです。
御覧の方もお疲れ様でした。