大沢から今市は巨大な杉並木に圧倒されました。


大沢宿は江戸から19番目の宿場で、飯盛り女が許可された宿場だった
ので、非常に賑わいました。本陣1・脇本陣1・旅籠41の規模で、南北
4町4間といわれたので、444m町並みが続いていました。その中ほど
やや日光より左側に本陣はあったようですが、今はまったく面影がありません。


杉並木を抜けたところにある交差点が大沢交差点です。右は鬼怒川への道
左へ進むと大沢インターから宇都宮へ戻ります。元々荒れ果てた土地でしたが
源頼朝が狩に来た際、家来の安西・高橋・大島・宮下の4氏に開拓移住を命じ
開いた町です。注意してみると、オートサービス安西という板金屋さんを発見。
いまだに、当時の子孫がこの町を大切に守っているようです。町を抜けると
再び杉並木が現われました。元々車道が並木を走っていたようですが、保護の
ために車道はここから右へと並木を迂回するように進んでいました。

 
 
並木の入り口左にあるのが大沢小学校。名前を聞いてハッとした方も
いると思います。2005年12月1日、この学校から帰宅途中の女児が
誘拐され殺害された事件は、今年(2014年)の6月容疑者逮捕で解決
しました。確かにこの辺りは女児が一人で帰宅するには危なそうな道が
あるように思われます。吉田有希ちゃんの御冥福をお祈りしました。


ここから、日光杉並木は普通地域から保護地域に入りました。
日光の杉並木は、1992年版
ギネスブックに世界でもっとも長い
並木道として登録されました。日光・例幣使・会津西の三街道の
全長37kmの両側に約12,500本の杉がそびえています。
400年近く経ちますが、当時は20万本植えたといわれています。
何度も伐採の危機を乗り越えて、現在の景観が守られました。


杉並木と平行して、地面を紅白に染めて続くのは芝桜の植え込み。


元々は、国道だった並木道も保護の為交通が遮断されました。
今は、
街道ウォーカー天国です。


並木の真ん中にあるのが水無一里塚です。両側に何となく残っていますが
杉並木に圧倒されてパッとしません。


振り返ってみると、この景観。日光でしか観られません。

 

再び、並木が途切れて水無集落が現われます。

 

ここには車両通行止の看板があり、国道119号は迂回路を
回ることになります。水無の集落には大きな鯉幟が泳ぎます。


水無から先は特別保護地域になり、並木の右側水田との境を進み
20分ほど行くと、再び国道と別れ並木道は右へと続いてゆきます。


この辺りから杉の木に日光杉並木オーナーを書かれたプレートが
出てきます。これは神田明神ですが、個人名のものもたくさんあります。
企業などは、続けて3枚4枚と掲げていました。これは面白い!
我々街道ウォーカーチームも、1本協力しようじゃないかと、
持っていたiPhoneで日光杉並木保護財団にアクセスしてビックリ。
なんと1本のオーナーになるには1000万円必要とのこと、
小金持ちチームの我々にはとても太刀打ちできる値段ではありません。


下森友交差点で一旦、並木が途切れ森友交差点から再び
一方通行になった並木道へと入ります。源頼朝が開拓を命じたのは
増淵・星野・福田・永岡・赤羽・茂呂田の6氏で、みんな仲良く
開墾しようということから森友という地名が出来ました。
いまでも国道沿いに福田線香店・永岡線香店が店を出しています。


20分ほど進むと右側に七本桜一里塚があります。そこには
大きな空洞の開いた大きな杉があり、大人四人入れることから
並木ホテルと呼ばれています。

 
並木の中に現れた信号機は、七本桜交差点です。右へ進むのが
国道461の日光北街道で、矢板で奥羽街道と合流します。
東北から日光へ参拝する人たちが通った街道でしょう。
少し進むと
東武日光線のガードをくぐります。

 
小倉歩道橋をくぐると、杉並木を出て今市の町へ出ます。


日光杉並木は国道119号に合流し、更に国道121号の例幣使街道と
合流します。その追分にあるのが、
追分地蔵尊です。その先の
小倉町交差点が今回のゴールです。ここから東武下今市駅に向かいます。
駅までは375m。反対の左へ行くと369mでJR今市駅です。
例幣使街道は、京都から日光へ朝廷の勅使が毎年通った街道で、
京都から中山道を使って、倉賀野宿からこの日光例幣使街道をやって
来ました。帰路は、日光街道で江戸へ出て、東海道を帰りました。
ボクたちの歩く中山道でも倉賀野で紹介しています。
 

下今市駅到着は、14時24分。1時間後に新宿行きスペーシア
発見。待ち時間を駅前の蕎麦処まるいで一杯やって、直行の
特急で帰りました。次回は最終回。晩秋の日光を楽しみます。