藤原実方の悲しい伝説が残る土地が雀宮です。


雀宮宿は、南北5町の裏道や横丁の無い街道沿いの宿場でした。
小倉本陣は、大和田胃腸病院隣とのことでしたが、確認できず。
芦谷脇本陣も、黒塀が残るとありますが、よく分かりません。
駅前を通過すると右に
雀宮神社があります。この神社は小倉
百人一首の歌人、藤原実方が陸奥守を命じられ奥州へ向かう途中
ここで休み、その後彼を追って妻の綾女もこの地へ来たが、
ここで病に倒れてしまう。悲しんだ実方は没後、雀になって
この地へ来たと伝えられています。


境内手前には大きな馬頭観音があります。国道のポストはとうとう100km
雀宮神社境内北の外れにあります。100kmといえば、東海道では箱根天ヶ
石坂、中山道は新町宿の先、甲州道中は初狩駅手前、まだまだ先は長い
という感じですが、日光街道はゴール間近です。


雀宮神社から500mほど進むと右側に乙女屋という和菓子屋さんが
ありました。間々田の街道沿いに本店があったのですが、スルーして
しまったので、ここではかんぴょう物語の
るかんたをいただきました。


乙女屋の先には国道121号との立体交差があります。これを渡り
自衛隊の北宇都宮駐屯地正門を過ぎたところに目を引く自動車
整備工場が。中に並んでいたのは
ヨタハチではありませんか。
1965〜1969年に販売された車なので、すでに45年経過しています。
それが2台もピカピカで並んでいるのを見ると感動します。
私が若い頃、憧れの車の1台でした。店の名前は
四ツ葉オート
何かのときは憶えておいてください。


時刻は12時20分、丁度良いところにかりん亭という蕎麦処が。
街道歩きに食べすぎは禁物ということを学習した私達は、躊躇無く
入ります。注文は盛り蕎麦とビールというシンプルな昼食。
これで午後も身体が軽く快適に歩けます。


西原のY字路は、現代の日光街道と奥州街道の分岐点。国道は
ここで分かれますが、旧道は700m先の不動前が追分になります。
傍らの民家の庭には、なんと
タラの芽が、山へ行かずとも採取できる
なんて、なんとも素敵な民家です。

 
 
国道119の宇都宮池上町交差点以南の日光街道をここでは東京街道
呼んでいます。東京から見るから日光街道で、ここでは東京へ向かうので
東京街道なのでしょう。千国街道でも糸魚川に入ると松本街道という
呼び名に変わっていましたっけ。日光まで31kmになりました。
JR日光線は、日光街道とはなれて日光へ向かいます。