日光街道の中間地点は、ここ間々田宿の逢いの榎です。


間々田駅入口から北へ160m、我々の里程74kmの場所に
思川まんじゅうの朝日屋本店があります。ここはゆっくり、
まんじゅうでもいただきましょう。朝日屋は明治30年創業で、
116年の伝統を誇ります。主力商品はきんとんまんじゅうで、
昭和7年には、地元の人気商品20傑投票で、福助足袋に次
いで2位に選ばれました。思川まんじゅうは、茶まんじゅうを
ベースに、西へ1km行ったところにある思川(おもいがわ)から
ネーミングしたまんじゅうで、小豆のこしあんが甘すぎず旨い。


朝日屋の向かいには、民家と蔵で構成された車屋美術館があります。
特に常設の展示物があるわけではなく、小山市が管理し色々な展示会を
開催しているようです。更に5分程進むと、
逢いの榎がありました。
これは、日光街道の中間地点に植えた榎の木があった場所です。
東海道では袋井のどまん中茶屋、中山道では宮越宿〜福島宿間に
ある原野の中間点、日光街道はここ間々田にありました。我々の日光
街道の延長は146.74km、ここは74.34kmですから、ちょうど
1km手前の沸光寺あたりが中間点ということになります。

 

すぐ先には、
龍昌寺があり境内にある寝起不動尊の形には驚かされます。
ここの境内には
几号が刻まれた十九夜塔もありました。表面を磨いて見易く
してあったということは、他にも几号に関心がある方がいらっしゃるということ
我々だけでは無いということで、少しうれしくなりました。


間々田宿問屋場跡

間々田宿は、江戸時代に、五街道の一つ、日光街道
(道中)の宿駅として栄えていました。江戸日本橋から
十一番目の宿駅(宿場)であり、江戸と日光の
丁度中間に位置していました。
天保十四年(1843)の記録によると当宿は
石高 九四四石    家数 一七五軒
人口 九四七人   旅籠 五〇軒
本陣 一 脇本陣 一
と記されており、幕府の定めにより、常備の人足二十五
人、馬二十五疋を備え、幕府の公用に応じたり、一般の
輸送も引受けていました。日光社参・参勤交代など特別
の場合は、近隣の農村から助郷と称して、人馬を臨時に
集めました。それらの人馬継立業務の一切を取扱う
のが宿役人で、問屋・年寄・帳付・馬差・人足差などと
呼ばれ、その詰所に当たる場所が問屋場です。ここ
間々田宿の上中町の上原家が、名主職を兼ね、代々
世襲で幕末まで問屋を勤めていました。

間々田商工会 小山歴史研究会


 
 間々田宿本陣跡

本陣は江戸時代に主な街道に設けられた
宿泊施設で、本来は幕府公用の大名・勅
使・公家・門跡(僧)上級武士の便をはかる
ためのものでした。大名などが宿泊休けい
する時は宿場や本陣の入口に「関札」を
掲げ、誰が宿泊休けいしているか知らせ
ました。また本陣には定紋入りの提灯を
掲げ、門や玄関には幕を張りました。
本陣主人は名字帯刀を許され、他の宿
役人と共に、大名などを宿の入口まで出
迎えました。江戸時代の初めから江戸
時代を通して青木家が代々、この地で
本陣を維持し、明治の世となって明治天皇が
休けいの一時を過ごされました。

間々田商工会 小山歴史研究界

小山が近づく粟宮南交差点角には、西堀酒造があります。酒蔵となれば
必ず試飲がお決まりのコース、早速中へ。西堀酒造は元々東近江に
有りましたが、明治5年、日光連山からの湧水と美田に惹かれた当主が
この蔵を譲り受けて始めました。銘柄は若盛で、我々は今お勧めの
門外不出
を、今夜の宿用に購入しました。

 
酒蔵の敷地の一角には、大橋訥庵・巻子旧居跡(写真左)があります。

 
     大橋訥庵・巻子旧居跡

 
 当地粟宮の医師大橋英齋の子で宇都宮で母方の姓を嗣いだ菊池淡雅は、
 江戸日本橋に出た豪商で、文化人としても知られていました。娘巻子に生家
 を嗣がせるべく迎えた婿は、昌平黌教授佐藤一齋門下の俊才で、大橋訥庵
 を名乗り、日本橋に思誠塾を開いて、当時の青年志士に大きな思想的影響を
 与えました。しかし、尊皇攘夷を唱え、幕政を批判するなど先鋭的でした。坂
 下門外の変への関与を疑われて投獄され、出獄後文久二年(1862)病没し
 ました。四十七歳でした。その経緯を綴った妻巻子の歌日記「夢路日記」が
 刊行されると当時のベストセラーとなりました。中でも夫訥庵の生涯を追想し
 た詠、「天がける魂の行方は九重の御階の下をなほや護らん」は、夫を支え
 通す貞節な妻の生き方を示すものとして賞賛されたのでした。明治十四年(
 1881)五十八歳の生涯を終えます。巻子はこの地に一時夫妻で居住したと
 伝えられています。
                        間々田商工会 小山歴史研究会


写真中は、また豪華な結婚式場が現われました。その名も
Belle Vie AN FRAN BELLEGE 栃木県は凄い。結婚式場の
隣は
安房神社、こちらは地味で幼稚園は有りますが、
結婚式は出来るのでしょうか。

 
 
粟宮の交差点は、国道4号線と旧国道の分岐です。日光街道は右の旧道
県道265へと進みます。その二俣の間にある看板が驚き。
レース鳩と書かれて
います。そういえば、ここまでの間、大きな鳩小屋を持つ家が数軒ありました。
レース鳩の飼育が盛んな町なのかもしれません。


神鳥谷東交差点は、国道50号との立体交差、直ぐ右を新幹線が走ります。
小山駅が近づくと左365m先にある
須賀神社の灯明に明かりが付きました。


駅前手前の路地にはクリスマスのイルミネーションが。駅前交差点が
本日のゴール。まだ16時43分というのに、もうすっかり夕暮れ時となって
しまいました。これから左折し、思川河畔、小山城址前の
絹屋旅館へ。
夕食は、小山駅ビルの
炭旬で友人を招いて宴会です。