権現堂調整池(行幸湖)に沿って進み、いよいよ利根川を渡ります。。


トンネルを抜けてしばらく行くと、左手に真光寺があり、その隣が
弁財天堂になっています。この祠の場所が
小右衛門一里塚があった
場所です。祠の周りの土塁は塚だった時のもので往時を偲びます。


国道4号線工業団地入口交差点の下をくぐるトンネルがありますが、
行幸湖がこちらからでは、まったく見えないので、国道の反対側に
移動します。国道をくぐるトンネルを進み、出たら左の階段を登って
交差点を横断、そのまま進むと、この
トイレのある場所に出ます。


権現堂調整池(行幸湖)の土手に出ました。ここにも延々と桜が並びます。
パーゴラ休憩ベンチを見つけたので小休止。春に来たら凄い場所です。


ベンチの向かい側は、
キューピーマヨネーズ五霞工場です。
キューピーといえば甲州道中の仙川にある瀧坂旧道入口に
仙川工場というのがありましたっけ。対岸の工場までは
200mもあり、水は少なめで釣り人もちらほら、洪水時は
工場ぎりぎりまで、水を入れるのでしょう。


土手の道をそのまま進むと、ラウンドワンの右側を通って利根川に
出てしまいますので、国道のすぐ脇を走る
歩道へ上ります。階段で登れるところも
有ったのですが、ラウンドワンに近づき過ぎて逸してしまい、土手を藪漕ぎで
登り、歩道に出ました。草ぼうぼうの歩道を進むと、ラウンドワンの前に出ます。

 

ラウンドワンは、御存知の通りボクたちの遊び場で、ここ栗橋店は郊外型の
大型店舗で、ボウリング・カラオケ・ダーツの他に、スポッチャといって
サッカー・ゴルフ・テニス等、30以上の遊び場があります。
店舗の前を通過して、新幹線のガードをくぐって進みましょう。


国道4号線の西側へ出るトンネルがあるので、そこもくぐります。
側道に沿って進むと、道は国道へと登って行きます。


国道を少し進むと、ライブシアター栗橋前に出ます。ここで
旧道は左へと入って国道と分かれます。シアターは、この日
花輪満載で、お兄さん達がなにやら忙しそうに準備していました。
何でも、今日がリニューアル初日で、夕方に向け準備に
追われているそうです。花輪の贈り主がちょっと気になりました。
浅草ロック座・川崎ロック・新宿TSミュージック等々。


旧道は800m続きますが、その出口付近にあるのが、
会津見送り稲荷です。街道より一段高い民家の庭にあります。
案内板があったので、御紹介しましょう。


 栗橋町指定文化財  会津見送り稲荷
              昭和五十三年三月二十九日指定

  江戸時代、徳川幕府が参勤交代制をとっていたころ、会津藩の武士が 
 藩主江戸参向に先立ち、先遣隊として江戸へ書面を届けるため この街 
 道を栗橋宿下河原まで来たところ、地水のため通行できず、街道がどこ 
 かわからずたいへん困っていると、突然白髪の老人が現れて道案内を 
 してくれた。お蔭で武士は無事に江戸へ着き、大事な役目をはたせた、 
 という。
  また、一説には、この地で道が通行できずに大いにあせり、そのうえ大 
 事な物を忘れたことに気がつき、困りはてたすえ、死を決意した時、この 
 老人が現われ藩士に死を思い止まらせた、ともいわれている。
  のちになって、この老人は狐の化身とわかり稲荷様として祭ったもの 
 である。
                 栗橋町教育委員会

 

前頁でも紹介したとおり、この街道は洪水になるととんでもない
街道になってしまうようです。道が流されてどこだか分からないとは
大井川の川止めどころの騒ぎじゃなかったんですね。


200mほど側道を進み、国道の東北自動車道加須インターへの案内板
辺りで、左折し、70mで右折します。そこには、会津見送り稲荷と炮烙地蔵
の道標が立っていましたが、朽ち果てそうな道標で、更新が待たれます。


クランクを過ぎて進むと、4号線とぶつかる、国道125号線の下をトンネルで
くぐりましょう。真っ直ぐ進むと住宅地に入り行き止まりになるので、
写真右のように用水路の反対側へ進むようにしてください。


住宅地を抜けると、栗橋宿に入ります。約1000m直線道路が続きます。
ここで街道の右側へ渡ってください。角から二軒目の庭に
炮烙地蔵
あります。

 
 
 
   栗橋町指定文化財  炮烙地蔵
              昭和五十三年三月二十九日指定

  むかし、現在の利根川に関所が設けられ、人の通行をきびしく 
 取締っていた時代、関所を通らないで渡った者、あるいは、渡ろ 
 うとくわだて事前に発見された者は、関所破りの重罪人として火 
 あぶりの刑に処せられたと伝えられている。処刑場も地蔵尊の 
 ある現在の場所であったという。
  こうした多数の処刑者を憐れみ、火あぶりになぞらえて、その
 後土地の人が供養のため焙烙地蔵として祭ったものである。今 
 も焙烙に名前を書き入れ奉納されているのが見うけられる。
  また、エボ地蔵ともいわれ、あげた線香の灰をエボにつけると 
 治る、といい伝えられている。
                 栗橋町教育委員会




幸手と違い、この街のキャッチフレーズは、利根川と栗橋人の
ふれあうまち、この
フラッグは、街並み統一作戦−街灯フラッグ編−で
作ったもので、5千円×50枚×2種類で50万円。設置費16万円、
デザイン料4万円、締めて70万円という訳です。いろいろな街で
色々なフラッグを見てきましたけど、大変なんですね。
電信柱には例のカスリーン台風時の冠水水深がマークされて
いますが、栗橋の水深は
2.4mと二階に達しそうな深さです。


栗橋宿の中心辺りに来ましたが、本陣と思しき場所は発掘調査が
行われており、ブルーシートで覆われていました。左には脇本陣跡が
あるはずなのですが、案内板などは見つかりませんでした。
突き当りが
八坂神社、その手前を右に入ります。

 
 

右に入ると利根川の土手に、栗橋関所跡の説明板があります。
それによると、この関所は利根川の渡し場から発展したもので、
房川渡中田関所と呼ばれ、この堤防の内側にあり、そこは現在
河川敷となったため、碑がこの場所に建てられたそうです。

関所の番士は4名で、明治二年の廃止まで250年間代々世襲で
勤めたとあります。東海道の箱根、中山道の碓氷と並び関東
3大関所と呼ばれるほど重要な関所だったようです。

 
 
関所跡碑の裏に階段があり、登ると利根川の土手に出ました。向こうの
土手までは670mmやはり日本有数の河川です。