梅雨の晴れ間、暑さに負けず、北緯36度線を越えて、北へ北へ。


半蔵門線や千代田線を使って春日部駅に集合したのは11時30分。
途中、急行が快速に抜かれたりして、メンバーは盛り上がりました。
あらかじめ調べておいた
宝来屋という中華料理店で昼食、出発前と
言うのに、いきなりビールで乾杯。満足して店を出ると、目の前に他の
お客さんの愛車が、そのデコレーションに度肝を抜かれました。


宝来屋の隣は山中千手観音堂です。旧日光街道公園橋西交差点から50m進み
左に20m入ったところにあります。江戸時代の俳諧師、増田眠牛がこの千手観音
を背負ってこの地方を行脚していたとき、粕壁宿の米問屋伊勢平家に止宿する
ようになり、伊勢平が好意で建てたこの観音堂で生活し、この地で一生を終えまし
た。眠牛を慕う人々が、観音堂の境内に墓標を建て千手観音を祀って信仰しました。

 
粕壁宿の町並みは一宮から1200m程続きます。その突き当たりにあるのが
最勝院(写真右)です。しかし街道はその手前100mの新町橋西交差点を
右折します。角には
BELISTAタワー春日部が90.4mの高さを誇ります。
写真左は
永嶋庄兵衛商店です。蔵造りの立派な建物です。

 
すぐに、大落古利根川新町橋で渡ります。右手を見るとSEIBUと描かれた
大きなビルが見えます。あれっ、確かあそこは
ロビンソン百貨店ではなかった?
調べて驚きました。前回春日部に来た2012年9月16日には確かにロビンソン
だったのですが、2013年1月11日に
西武百貨店になっていたのです。
これで小田原店とあわせて日本からロビンソン百貨店が無くなりました。前頁に
掲載したロビンソン百貨店の写真は今となっては貴重な写真になってしまいました。


橋を渡りきって80m、信号機の有る交差点を左斜めに進むのが日光街道です。


8分ほど進むと、このY字路黄色いセンターラインの道が日光街道。ここは
関宿往還との追分です。右の小さな道標は宝永六年(1709)のもので
「右方せきやど道」「左方あふしう道」。大きな道標は宝暦四年(1754)、正面に
「青面金剛」、左面には「左日光道」と刻まれています。関宿往還は、日光東
往還と呼ばれた脇街道で、南柏辺りから野田、関宿、結城を通って宇都宮
で日光街道に合流しました。従ってこの右の道は関宿往還へ向かう道と
言ったほうが正確なのかもしれません。


すぐ先で国道4号線に合流し(写真左)、続いて国号16号線を横断します。
大きな国道同士の交差点ということですが、交通量が少なく、驚きました。
2分ほど行くと37kmポスト、我々の道程は38.5kmですので、旧道の方が
やや長いと言ったところです。

 

国道16号の交差点小渕から5分ほど進んだ左側に小渕山観音院があります。
新編武蔵風土記稿には以下のように記された由緒ある古刹です。

本山派修験、京都聖護院末、安永二年(1773)正年行事職を許さる。
小渕山正賢寺と号す。本尊正観音、応安二年(1369)住持玄通が書し
縁起有に拠ば、古き像なるべし。中興開山は尊慶と云、年代を知らず


楼門を守る仁王像もボロボロで痛ましい。楼門そのものも地震により
崩壊の危険があるため立ち入り禁止になっていました。


かつては、毎年3月に馬寄せ祭があって、農耕に従事した馬が着飾って
集まり安全を祈願したという。その名残の白馬が安置されていました。
境内右に安置された
、役ノ行者神変大菩薩は、身体健勝・健脚祈願・
腰痛平癒・膝痛平癒
に御利益があるというので、街道歩きの老人部隊には
もってこいの神様ということになり、みんなで祈願しました。


小渕小学校入口交差点を過ぎると、春日部市ともお別れ、北葛飾郡
杉戸町に入ります。目を引いたのがこの
36度線モニュメント
どうやら、ここに北緯36度の緯度線があるということです。
地球儀には36度線が刻まれており、同じ緯度にチンタオ・テヘラン
ナッシュビル・ラスベガス・グランドキャニオン・ジブラルタル・
地中海・カラコルムがあるそうです。中山道や甲州道中でも
越えたことが有るのですが、こんなモニュメントはありません。
昔、三陸を走っていたとき普代村で40度線モニュメントを見た
覚えがありますが、他に知りません。

 
 
モニュメントから1km、ここで左の旧道に入ります。旧道は700m程しか
ありませんが、途中、面白いものがありますので、忘れず入ってください。


左側には九品寺の境内には、日光街道の道しるべがあります。
この道標は天明四年(1784)、堤根村の人々が新川村(春日部市)の石工に
作らせ江戸と日光の方面を知らせました。またこの道標は庚申塔も兼ねて
いて、三尸をなぞらえた見ざる・言わざる・聞かざるが刻まれています。
向かいには立場もあり、良い休憩所になっていました。また、道標の左下には
几号水準点が刻まれていました。これは明治九年ごろ内務省で始めた
測量で付けられたもので、我々も草加宿で発見し、ボクたちも
赤坂御門で見つけました。日光街道にはまだまだ有ります。