草加といって思い浮かべるのは、お煎餅でしょう。ここは試食せねば。


色々な街の商店街には、凝ったデザインの街路灯があり、そこにはペナントが飾られます。
ここ草加に飾られていたのは、宿場まつりの立派なペナントでした。大名行列と、綾瀬川の
太鼓橋の写真がデザインされています。共に松原が描かれており、どうやら名物のようです。


この草加は、日本橋から18kmと日帰り圏内ですが、我々は宿泊を愉しみます。
昨夜は
埼玉屋に泊まり、酒と肴で英気を養いました。年寄りは朝が早く、中には
早朝の散歩を愉しむメンバーも、そろそろ8時になるので街道へ出発です。
宿を出ると、すぐ
草加市役所前です。敷地の片隅に小さな祠があり、役所には
水不足を訴える横断幕が掲げられていました。そういえばこの秋になり、
利根川水系の八木沢ダムなどの貯水率が低下し、東京都も節水モードになり
ましたが、ここ草加でも水不足のようです。


駅前にやってくると、右側に
日光街道道標があります。右側を覗き込むと
葛西道
と刻まれています。写真左の黄色いポールの方へ進むのがそれで、
江戸川区の葛西へ続いていた古道との追分がこの場所になります。右の写真
は、街道から草加駅を覗いたもの、丸井とイトーヨーカ堂が空中回廊で繋がっ
ています。街道から300mと利用するには便利な駅でしょう。


その先には、草加町道路元標がありました。駅前から70m進んだ右側にあるのが
八幡神社。狭い路地の奥に鎮座した、可愛い神社ですが寄ってみることにします。
そこには、
獅子頭雌雄一対という草加市指定有形文化財がありました。


  
     
 昭和五十六年一月三十一日指定
      市指定有形文化財

   
八幡神社 獅子頭雌雄一対
                                草加市高砂二−二〇

  この雌雄一対の獅子頭は、高さ八十三センチ、幅八十センチ、奥行八十七センチ
 もあり舞に使われる獅子頭と比較すると、大型で重量もあり、獅子の胴衣をつける
 穴もなく、獅子頭として神幸に供奉したものである。しかし、現在では山車に乗せて
 曳いたという以外に伝承は残っていない。
  かかる大型の頭では、重量の関係もあり彫技に変化をつけることは至難であるが、
 江戸末期の平面的な技法によって構成されている。この彫工も男獅子の角には、
 かなり苦心したらしく宝珠との釣り合いもあり、中央に一角の太い角は、獅子の頭部
 の一部が岩のように盛り上がったごとく彫り込んであるが、獅子の角としては珍しい
 手法である。塗りは、布着せ黒漆塗りとし、唇・鼻の穴・舌は朱漆塗り。巻毛・耳・宝
 珠等は金箔押しとし保護のため生漆をかけてある。本体は寄木工法からなり、材は
 檜であろう。歯は上顎から二本の牙がでて歯の並びに変化を与える古い手法を用
 いている。
  このような大型の獅子頭は、遺構も少なく貴重なものである。

  昭和五十六年三月          草加市教育委員会


 

町のいたるところで、第10回草加宿場まつりのポスターを見かけました。祭りを通じて
草加人のもてなしの精神で、歴史や文化を活かした個性と活気にあふれる草加宿を、
市内外に表現してゆくことを目的としているそうです。主なイベントとしては、
子どもパレード、おみこしパレード、草加宿時代行列、旧町イベント、街道
パフォーマンス、キャラクターショー、ダンスイベント、物産展、防災体験コーナー
子どもコーナー、10周年記念イベントと、盛りだくさんのイベントがあります。残念ながら
今日は9月16日、まつりには半月ほど早かったようです。


元々日光街道は草加を迂回するルートであったのですが、土地の大川図書という
人物が中心となって、萱原を開き、沼を埋め立て、千住から越谷への直線道路を
造り、その途中に宿場を作ることを幕府に願い出て、認められ宿場が出来たと
言われます。草を刈って道を開いたので、草加という地名になりました。そこには
本陣一軒と脇本陣一軒があり、本陣は宝暦年間までは
大川本陣、その後明治に
なるまでは
清水本陣ということで、二つの碑が向かい合って建っていました。


ここは、おせん茶屋という人々のふれあいや出会いの場、街をながめる視点場、
市民文化の地域小拠点として建てられました。名称は草加せんべいから付け
街道ウォーカーの休憩所として役にたっています。こんな取り組みが認められ
国土交通省の手づくり郷土賞も受賞したと碑が語っていました。
トイレや水場もあり、みなさんも休んで行かれると良いでしょう。


宿場の北の外れ、神明町に入ってくると、お煎餅屋が多くなってきます。
この店もその一つの堀井商店、店先の
大きなせんべいのモニュメントは目を引きます。
その並びは、
久野家住宅です。草加宿では、街道が直線状に設けられたが、北の外れの
この辺りで、曲輪のように大きくカーブし、そこに位置しているのがこの家です。
また、この家は、安政二年の江戸大地震や明治三年の大火にも免れました。
宿内では、古い形式を伝える伝える町屋建築で、居住部分は後世建替えられましたが
所有者の強い思いから店舗部分がこうして残されました。


曲輪の頂点は、神明宮でその鳥居礎石に例の几号を発見。例とは、大山街道
赤坂見附にあった記号で、明治時代の水準点です。以下傍らの説明板。


  神明宮鳥居沓石(礎石)の高低測量几号

 石造物に刻まれた「不」の記号は明治九(1876)年、内務省寮がイギリスの
 測量技師の指導のもと、同年八月から一年間かけて東京・塩釜間の水準
 測量を実施したとき彫られたものです。記号は「高低測量几(き)号」といい
 現在の水準点にあたります。この石造物は神明宮のかつての鳥居の沓石
 (礎石)で、当時、記号を表示する標石には主に既存の石造物を利用して
 いました。この水準点の標高は、四・五一七一メートルでした。その後、明治
 十七年に測量部門は、ドイツ方式の陸軍省参謀本部測量局に吸収され、
 内務省の測量結果は使われませんでした。しかし、このような標石の存在は
 測量史上の貴重な歴史資料といえます。


この先、粕壁までで4箇所、更に宇都宮までは22箇所あるので、是非
探してみたいと思います。また、ここが標高4.5171mで幸手を過ぎると
やっと標高10mを越えます。幸手は日本橋から約50km、関東平野の
平坦さが分かるような気がしました。

 

曲輪を抜けると旧国道4号線に合流しますが、その角に小さな公園があり
芭蕉の旅姿と、宿場の入口が分かるモニュメントがあります。正面には
ナマズが看板になった店が、株式会社サン勇建設のトレードマーク。
地震に強い家を作る、建築会社ということで、
ナマズなんだそうです。


その隣、伝右川の畔に手焼きの実演を行っている草加せんべいの店を発見。
その名は、創業寛政八年
草加屋本店です。二人の旦那さんが、気温30度の
暑い中、炭火でせんべいを焼いていました。あまりにも美味しそうでしたので
早速購入し、いただきました。市販のせんべいとは一味違い香ばしさ溢れる一品
です。模造品が横行する中で、伝統を守ろうと基準が制定され、この押し瓦での
堅焼きもそのひとつです。詳しいルーツは草加市のページを御覧ください。


草加屋本店の隣には伝右川が流れ、その橋のたもとには札場河岸跡があります。
橋を渡った右側は札場河岸公園となっていますので、ここは是非休憩を兼ねて
寄ってみましょう。


札場河岸公園には、望楼、芭蕉像、甚左衛門、正岡子規句碑などがありトイレ休憩所も
完備されています。この望楼は、石垣の上に埼玉県産のスギ、ヒノキを使った木造の
五角形の建築物で、高さは11.1mあり内部は螺旋階段になっています。この上に常に
見張りを置いて、街中の火事発生の発見に努める施設でした。また芭蕉像は奥の細道
旅立ち300年を記念して製作されたもので、彫刻家麦倉忠彦の作です。名残惜しそうに
江戸を振り返る芭蕉の気持ちが良く出た作品だと思います。


公園を北上すると、松並木のジョギングコースとなり、ジョガーの足を止めないように
交差点にはこのような太鼓橋が掛けられていました。最初の橋は
矢立橋といって、
走っても登り易いようになっています。振り返ると綾瀬川沿いの札場河岸公園が見えます。


矢立橋の上からは池袋のサンシャインビルが遠望できます。先を見ると
これから進む
松並木が続いています。歩く人とジョガーに路が別れていて
歩きやすい街道となります。


橋の上には草加松並木を歩く大名行列のタイル、そしてジョガーの石畳には
距離を示した石がはめ込まれ、行政のゆとりを感じました。


次の交差点に掛かる百体橋の上から左を見ると、320m先に東武スカイツリーラインの
松原団地駅が見えます。綾瀬川を渡る人道橋も江戸時代風の洒落たデザインです。

 
 
松の木はまだ若いけど、その心意気は伝わります。やはり街道歩きは
こうした
松並木の中を歩くのが最適です。橋のための少しの傾斜も
ジョガーには抵抗となる為か、左に平坦な迂回路があるのも憎い!


水神さまと馬頭観音が入った小さな祠を過ぎると、頭上に高速道路が、
これは
東京外環道で、草加インターのすぐ西になります。街道は
綾瀬川に沿ってそのまま、かさね橋をくぐって進みます。


かさね橋の下をくぐると、壁に奥の細道の絵が描かれています。芭蕉が
草加に着いたところを想像して描かれた絵で、「その日やうやう早加といふ
宿にたどり着きにけり」がタイル画となっています。その先の石柱には
なぜか
カブトムシ?の小さなモニュメントが張り付いていました。

 
 
前方に見えてきたのは蒲生大橋、街道はあの橋を渡って綾瀬川の左岸へ進みます。


蒲生大橋の下には、手の届きそうなところに青鷺が、この辺りの綾瀬川は、かなり
綺麗なので餌も豊富なのでしょうか。洒落た欄干のある橋に行くと、観光案内板が
はめ込まれていましたが、特に日光街道を意識したものではなく、この辺で
魚が良く釣れますといった、街の情報が載っていました。この橋は、日光道中分
間延絵図によると、
大橋土橋と記され、長さ十二間四尺、幅二間一尺の土橋
でした。橋の真ん中が、草加市と越谷市の
市境になっています。

 
 
蒲生大橋を渡りきり右手にあるのが、蒲生の一里塚跡です。五街道分間延絵図には
綾瀬川と出羽掘が合流する地点に日光街道をはさんで二つの小山が描かれており、
愛宕社と石地蔵の文字が記されていて、一里塚が東西に一基づつ設けられていた
ことが分かります。この写真東側の一基で、埼玉県内の日光街道に残る唯一の塚です。

   
 
蒲生大橋を渡ったら、すぐ左、綾瀬川と出羽掘の間の道を進みましょう。
これが日光街道の
蒲生茶屋通りとなります。840mで清蔵院前で旧国道
と合流しますが、途中こんな石像もあり楽しめます。この石像がどこに
あるのかは、カーソルを写真に当てて御覧ください。
砂利道供養碑
彫られた石柱の上部、格子の中にあるので、うっかり見過ごしてしまいます。

 
 
清蔵院の門は冠木門で、甲州道中分倍河原で見た、内藤家の冠木門以来の
立派なものでした。そのすぐ先、
蒲生本町交差点で旧国道と合流し、その道を
2760m瓦曽根の旧道入口まで、真っ直ぐ北へ進みます。ちょっと厭きます。

 

蒲生駅入口交差点から駅までは260m、ここも利用しやすい距離に駅があり
旅人にとっては便利でしょう。
教習所の前を通過するともう南越谷駅が近いです。